赤きナイトと青きポーン・11

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二人が病院に到着したころには午後1時を過ぎていた。

ベッドに横になったまま出迎えた成歩堂は、前日よりも幾分顔色も良く見えた。
しかし、それを言えばすぐ退院したがりかねないので敢えて黙っておく。

「なるほどくん、もうお昼済んだの?」

着替えをベッドの脇に置きながら真宵が問う。

「うん? 今日はまだだよ」

着替えなどの入っているバッグを複雑な様子で見ながら成歩堂は苦笑する。

「着替え、持って来てくれたんだ……ありがとう」
「どれが要るか分からなかったから、とりあえずこれだけ持ってきたんだけど……」

言いながら真宵はバッグの中身を取り出して並べて行った。

「歯ブラシ、歯磨き粉、コップとタオルがこれだけに……あと、下着がちょっとしか……」
「わ~~~~っ! ま、真宵ちゃん!!」

下着類まで出そうとする真宵を慌てて止めて、テーブルの下に置いておくように頼む。

「え、でも下着が二枚ずつしかないよ」
「ううう~~~」

唸って黙り込んでしまった成歩堂は真っ赤になってしまっている。

出来るものならば、年頃の女の子である真宵にこんな迷惑は掛けたくなかった。
いくら親しいとは言え、男物の着替えを持ってこさせるなど……

「洗濯するから大丈夫だよ……足りなければ買うから」
「え~~~~~っ」

遠慮してそう言う成歩堂に、真宵は思いきり頬を膨らませてみせる。

「そんなこと言ったって、動けないじゃん、なるほどくん」
「うぐっ……」
「それに下着買うってたってお金は? それに自分で買いに行くの?」
「あうう……」

答え切れない成歩堂に、真宵は半眼になってダメ押しする。

「そうやって見栄張って無理して動いて悪化して入院長引いたって知らないんだからね!!」
「うギャッ!!」
「……君の負けだな。弁護人」

二人のやり取りを黙って見守っていた御剣が最終ジャッジを下す。

「こんな時くらいは大人しく周りに甘えていたまえ」
「御剣……」

弁護するどころか真宵の側にすっかり付いてしまっている御剣に、成歩堂は恨めしげな眼を向ける。
その視線を冷笑で返して、御剣は真顔で真宵に言った。

「それにしても見事だ、真宵君……司法試験を受けてみる気は無いかね?」
「えっ!? あ、あたしがですか?」
「君は案外検事に向いているかもしれない……」

驚く真宵に真顔のまま頷きながら、御剣は続ける。

「対成歩堂の秘密兵器になれそうだ」
「あ、それいいかも」
「こらこらこら……」

勿論御剣が本気とは思わない。
それは真顔の中に何処か微妙に面白がるような気配がすることで判る。

しかし真宵にその冗談が通じるか、そちらの方は極めて危うい。
何しろ叶うものならば成歩堂を弄り倒そうと虎視眈々と狙っている節があるのだ。

しかし、今回は冗談が通じたらしい。
真宵はニヤッと笑うとポンッと両手を叩いた。

「ま、でもあたしはほら、霊媒師だし! なるほどくん、傍で見てないと危なっかしくてしょうがないし!」
「うぐっっ!!」

今回ばかりは何も言えない……

現に今この時点で病院のベッドの上では、反論に一切の説得力は無かった。

「ま、それはさておき……」

たいして表情も変えず、御剣は話題を変えてきた。

「着替えと足りないものに関してはまた後で買い足すなりするといい。
それより君に少しばかり聞きたいことが有る」
「そう来ると思ってたよ。捜査してきたんだろう?」

疑問形では無く断定して、成歩堂は苦笑する。
もし逆の立場だったならば、成歩堂も間違いなくすでに動いている。
言われて止まる輩ではないのはお互い様だ。

すっかり腹を括ったのか、落ち着いた表情に御剣は少しばかり意外そうな顔をした。

「随分落ち着いているな」
「お前にばれた時点でもう腹は括ったよ……で、何が聞きたいの?」
「うム、そう素直に応じてもらうと助かるがな……」

言いながら腕を組み、再び解く。

「では、事件当日の行動をなるべく詳しく話してもらえるだろうか」
「当日……
もう調べはついてると思うけど、どの辺りから話せばいい?」

流石は伊達に逆転弁護士を張っていないな……

御剣は知らず背筋が緊張するのを感じながら、心の内で苦笑する。
法廷同様に気を引き締めて掛からなければ、足元を掬われそうだ。

「そうだな……君が例の証拠品を見つけた時……ぐらいからか。
その前にもし気付いたことが有ったならば……」
「別に無いよ……審理が終わってから直接向かったから」

打てば響くように返してくる。
御剣は頷くと、

「では、そこからで良い」

と、先を促した。

「あの時は審理が終わってすぐ、真宵ちゃんと現場に調査に向かったんだ……」

考えを纏めるように眼を閉じながら、成歩堂はぽつぽつと話し始めた。

「そこであの証拠品を見つけて、その後真宵ちゃんを星影先生の所に送り届けた」
「その時に、現場には他に誰かいただろうか?」
「…………糸鋸刑事と、女の人に会ったよ」
「何か話はしただろうか?」
「別に大した話はしなかったよ。ただ、事件の起こったあの場所に用事が有ったらしくてね……」
「事件の関係者では無かったのか?」
「どうだろう……殺された準教授の教え子だとは言っていたよ。
事件を聞きつけてどうしても現場を見たいと思って来た、って言ってたな」
「ふム、それで糸鋸刑事が付き添っていたわけか」
「多分ね……」

眼を開けてしっかりと見つめてくる大きな瞳を見つめ返しながら、御剣は思考を巡らせる。

どうも少し話がおかしい……

(後で糸鋸刑事にも詳しく話を聞くとするか……)

「それ以外は何か話しただろうか」
「そうだね……事件の事を聞きたがってたけど、内容に関しては何も話してないよ」

淡々と話す言葉に淀みは無い。
だが、多くの事件を扱ってきた検事としての勘が、御剣に告げる。

成歩堂は何かを隠そうとしている……

しかしまだ情報が足りていない今は、それを暴く術は無い。

「そうか……では、続きを」

今は取り敢えず先を聞くべきだろう……

「現場から出て、真宵ちゃんを星影先生の所に送ったんだ」
「その時にラーメン屋に寄ったのだな?」
「……参ったな。そこまで調べてたんだ」

苦笑を隠しもせず、成歩堂は頷いた。

「丁度夕飯時だったからね。途中のラーメン屋でご飯を食べたんだ」
「そこでは何か変わった事は無かったか?」
「…………」
「君は途中で席を外しているな? どこに行っていた」
「やっぱり調べてたんだ……もしかして、真宵ちゃんかな?」
「ああ、協力してもらっている」

真宵にちらりと視線を流し、成歩堂は観念したかのように大きく息を吐いた。

「ちょっと用事があってね。向かいの雑貨屋に……」
「雑貨屋……? 君が何の用事で?」
「……紙の袋が欲しかったんだよ。真宵ちゃんに証拠品を預けておこうと思って」
「なるほど、紙の袋……か。その中に証拠品を……?」

呟きながら再び両腕を組み、黙考する。
恐らく成歩堂は嘘をついてはいない。
そして彼は、自身や人が思うよりはるかに優秀な男だ。
二手先、三手先を殆ど本能で打ってくる。

つまり成歩堂はこの時点で既に、真宵に証拠品を預ける算段をしていたことになる。
更にそれを秘密裏に行うためにわざわざ紙の袋を買い求めた。
それが意味するところは……

(監視の目を欺くため……か?)

と言う事は、成歩堂はなにがしかの理由から、
自分たちの行動が相手に筒抜けになっている事を勘付いたと考えられる。

「その証拠品を入れていたものは、まだあるのだろうか?」

一旦、成歩堂から視線を外し、御剣は真宵に向き直ってそう訊いた。

「あ、はい、たぶんまだ持ってると思います」
「…………」

成歩堂は何故か黙ったまま二人のやり取りを見つめている。
真宵はそれに気付かないまま、当時を思い出すように視線を上に向けた。

「あの時、証拠品はそのままなるほどくんに手渡して……そうだ! 多分鞄の……」
「……鞄の中の証拠品を入れておくケースにそのまま入ってるよ」

淡々と表情を消して、成歩堂が口を挟む。

そして真宵に鞄を持ってくるように頼むと、中から件の袋を取り出した。

B6サイズくらいの、ポケットにでも余裕で入るくらいの小さな袋には、
可愛らしいキャラクターがプリントされている。
証拠品は小さなカフスボタンだった。
これならば十二分に入る。

「預かっても構わないだろうか?」
「嫌と言っても、預かる気だろ……?」

苦笑しながら成歩堂が袋を差し出すと、御剣は尊大にも見える態度でそれを受け取った。

「解っていただけて何よりだ。では、これは預からせていただく」
「そんなのが重要とは思えないけどね……」

疲れたように呟く成歩堂に向かって、御剣はわざと肩を竦めて見せる。

「おおよそ君の言葉とは思えないな……
どんな小さなものでもそこから何が判るか分からない……
事実君はこうやって来たのではないかね?」
「僕にはそれしかできなかったからだよ」

御剣の言葉に天邪鬼な言葉と苦笑を返し、成歩堂は続ける。

「それに証拠品を入れて、真宵ちゃんに預けたんだ……これでいい?」
「解った。ではその後……真宵君と別れた後の事を話してもらいたい」

成歩堂の顔色にやはり本調子ではない様子を嗅ぎ取って、御剣は先を促した。

「その後……僕は一度、警察に立ち寄ったんだ」
「エッ? 現場に行ったんじゃ……?」

真宵が思わず口を挟む。しかし尋問中であることを思い出し、慌てて口を閉じた。

「嘘、だったのだよ……恐らくな」

恐らく、と言いながら断言に近い口調でそう言い切ると、御剣が成歩堂に向けて視線を流した。

「ごめん……真宵ちゃん」
「あの時には私もいたからな。暴行の件を悟られたくなかったのだろう……」
「スーツの事を突っ込まれるかもとは思ってたからね……心構えはしてたんだ。
でもお前があそこにいたのは誤算だったよ……」

だからとっさに出た嘘だった。

一瞬不味かったか、と内心冷や汗を流したが、真宵が同調してくれたおかげでその場は何とか誤魔化せた。

尤も、本当に御剣を誤魔化せていたかどうかは今となっては定かではないが……

「それで、警察には何の用で……と、それは聞くまでも無いか……」
「多分想像してる通りだと思うよ」
「解った。それは後で確認するとしよう。何時頃だったか覚えているか?」
「日付は変わっていたよ……確か30分より前だったと思う」
「徒歩で移動したのか?」
「バスも電車も無かったからね……そんなに距離も無かったから歩いて行ったよ。丁度考えも纏めたかったし」
「ルートを思い出せるなら教えてくれまいか? 出来る限りでいい」
「いいよ」

メモを取り出した御剣に向って、成歩堂は淡々とルートを説明する。
裏道は殆ど無く、大通りを移動していっていたようだ。

メモを取りながら、御剣はそのルートを出来る限り頭に再現した。
殆ど鳥瞰図が出来上がるくらい、成歩堂の説明は的確だった。

ついでに、と、そこから事務所までの道を尋ねる。
それはいつも使うルートだと確認してから、御剣はメモを一旦閉じた。

「では警察での用事が済んだあと、事務所に戻ったのだな?」
「そうだよ」

短く答え、成歩堂は眼を閉じた。
その顔に隠しきれない疲労の色が浮かぶ。
しかしそれを誤魔化すかのように成歩堂はフッと笑みを零した。

「そしてこの通り……後は昨日話したことくらいだよ」
「なるほど……ではもう一点だけ……暴漢について、何か思い出せる特徴はあるか?」
「…………」

御剣が何気なく投げかけた質問に、一瞬、成歩堂の顔が強張る。

(!……また、だ……)

本来ならばどうと言う事の無い普通の質問のはず……
しかし何故か成歩堂は、犯人の事を尋ねる度に本当に一瞬、こうやって硬直するのだ。

それが御剣の中の疑念をますます深めることになる。

しかし成歩堂は御剣が言葉を差し挟むよりも早く、口を開いた。

「僕を暴行したのは3人だったと思うよ。一人は多分僕よりも大きかったんじゃないかな」

少しの淀みも無く話すその顔から再び表情が消えている。
何も含むものも無い、と言った顔だ。

御剣は一瞬息を飲みかけたが、辛うじて平静を装い頷く。

「つまり一人は170後半から180代、と言った所だな」
「そのくらいは有ったと思うよ。立ってる僕の後頭部に顎が当たってたからね……
後の二人は判らない。その後は殆ど蹲ってたから。
でも多分、僕と同じくらいかちょっと低かったんじゃないかな」
「なるほど、参考になるかもしれんな……」

言いながら今のデータを頭に叩き込む。

……それにしてもある意味冷静な目の持ち主だ。

それに淀み無く言い切った所を見ると、どうやら実行犯に対しては何ら庇い立てするつもりは無いらしい。

では、成歩堂が御剣に向かって話したがらない事とは……?

「それ以外に誰かいただろうか?」
「あと一人、居たと思うよ……」

今度は一切間を空けず、成歩堂が答えた。

「それは確かか?」
「別の方向から声が聞こえてたからね……そいつが僕に証拠品を渡せ、って……」
「それは、男だろうか?」
「……男、だったよ」

(――――!)

断言した瞬間、ほんの僅かに成歩堂の瞳が揺れた。

一般的に、女は嘘をつく時決して眼を逸らさないと言い、逆に男は眼が泳ぐと言う。
通常であれば成歩堂は嘘をついていないように見えるのだが……

(つまりここがポイントと言うわけだな……)

言葉に出さずに御剣はそれを心に留める。

成歩堂が実は相当な役者であることを、つい昨日思い知らされたばかりだ。
彼は時に自分と言うものをキレイに覆い隠してしまう。
どんな小さなものも見落とすまいと注視していたからこそ見つかったものなのだ。

しかしまだ、これ以上の追及材料が無い。
御剣は出そうになった溜息を微かな苦笑に摩り替え、メモをポケットにしまった。

その時、何か小さなものが指先に触れ、
御剣は昨夜ポーンをポケットに仕舞い込んでそのままだったことを思い出した。

そうだ……自分は決意した……
成歩堂をこのような目に遭わせた輩を許さない、と……

「御剣……? どうした?」

知らず動きを止めてしまった御剣に、成歩堂が怪訝そうに声を掛ける。

「……! いや、何でもない」

その声にハッとなって、御剣は慌ててポーンを手放し、ポケットから手を出した。

「? ……もしかして、お前、疲れてるんじゃないか?」

逆に心配そうに問われ、御剣は苦笑せざるを得なかった。

「心配は要らない。少し考え事をしていただけだ」

これでは立場が逆転だ。
そんなものは法廷だけでいい。

「それよりも、また君に無理をさせてしまったようだな」

見れば顔色が更に冴えなくなってきている。
尋問の緊張が堪えたのだろう。

しかし、またもや成歩堂は笑みを浮かべると頭を振った。

「お前の仕事は解ってるから、気にしないで……
それより御剣、一つだけお願いがあるんだけど……」

フ、と……
成歩堂の瞳に強い光が宿った。

「何だろうか?」

御剣の背中に緊張が走る。
御剣は自然と背筋を伸ばした。

「僕にも、捜査を手伝わせて欲しいんだ」
「手伝う……? つまりは『協力』では無く、『参加』と言う事か……?」
「…………」

黙ったまま、成歩堂が起き上がり頷く。

その意味するところを本能的に察して、先に声を上げたのは真宵だった。

「だ、ダメだよ!! なるほど……」

「……許可は、出来ませんね」

真宵の言葉を遮ったのは……

「先生……!」

「……あなたには此処にいて貰いますよ……当分、ね」

いつの間にか病室の入り口に姿を現していた、成歩堂の担当医だった。

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