〒503-1382 岐阜県養老郡養老町船附722
真宗大谷派 法龍山尊光寺

尊光寺の紹介

概要

 宗旨  浄土真宗
 宗派  真宗大谷派
 ご本山  東本願寺・真宗本廟
 ご本尊  阿弥陀如来
 宗祖  親鸞聖人
 中興の祖  蓮如上人
 山号  法龍山
 文化財  蓮如上人御尊像(蓮如上人御自作)

沿革

 当山尊光寺は、1458年(長禄2年)に天台宗の寺として、滋賀県坂本に創建されました。その後、本願寺に帰依し、浄土真宗に改宗して、戦乱ののち1606年(慶長11年)当地に移り、釋了教を開祖として、法龍山尊光寺を再興しました。
 その後1836年(天保7年)には多良城主西高木家より蓮如上人御自作と伝えられている由緒ある「蓮如上人御尊像」が寄付され奉安されており、今に至るまで毎春御開扉法要を営み多数の皆様にご参詣をいただいています。
 再興から約四百年、船附の地で三度再建、一度移転して現在に至っています。その間、私たちの先祖は、力を合わせ法灯を守り、幾多の苦難の道を乗り切ってこられました。中でも、明治24年の濃尾大震災の際には、村内殆どが被害を受け、当寺本堂、庫裡も全壊、3年後には濃尾大水害と未曾有の転変地異に見舞われました。言い知れぬ不安と貧困の中、信仰の力の下で心を一つにして明治41年再建されました。
 昭和8年に揖斐川・牧田川の大改修で約200m程西の現在地に移転、門徒総出のご奉仕とご懇念で後々の為にと、補強して移築されました。
 その後昭和34年8月の東海豪雨並びに9月の伊勢湾台風と2度に渡り牧田川が決壊、本堂は床下、庫裡は床上浸水しました。そのようなこともあり老朽化が著しい為、門徒の皆様の多大なご懇念により平成16年瓦の葺き替え等大修復が行われました。そして、平成17年4月30日に本堂等修復奉告法要並びに蓮如上人五百回御遠忌法要執行、5月1日には親鸞聖人七百五十回御遠忌法要を執行し、現在に至っています。

略年表

 西暦  和暦 事象 
 1173  承安3年  親鸞誕生
 1198  建久9年  親鸞(29歳)、これまで堂僧を勤めた延暦寺を出て、六角堂に参籠、聖徳太子の夢告により源空(法然上人)の門に入る。
 1207  承元元年  専修念仏停止の院宣くだり、源空と門弟処罰される。
親鸞(35歳)、越後へ遠流。(承元の法難)
 1211  建暦元年  親鸞(39歳)、流罪を許される。
 1262  弘長2年  親鸞(90歳)、京都の住居で病臥、入滅。
京都東山鳥辺野にて火葬する。
 1415  応永22年  蓮如誕生
 1458  長禄2年  尊光寺:滋賀県坂本に天台宗の寺として創建
 1461  寛正2年  蓮如(47歳)、初めて『御文』を書いて門徒を教化
 1472  文明4年  三河国の西圓、吉崎に蓮如上人を訪ね教えを聞き、形見に御自作の尊像を授かる
 1473  文明5年  蓮如(59歳)、『正信偈』・『三帖和讃』開板
 1499  明応8年  蓮如(85歳)、山科にて入滅
 1602  慶長7年  東本願寺成立・東西分派
 1606  慶長11年  当地船附に移り、法龍山尊光寺として再興。開祖:釋了教
 1664  寛文4年   親鸞聖人御絵伝本願寺琢如上人より御下附される
 1836  天保7年  「蓮如上人御自作御尊像」が多良城主西高木家より尊光寺に寄付され奉安
 1891  明治24年  濃尾大震災にて尊光寺本堂等全壊
 1908  明治41年  尊光寺本堂等再建
 1933  昭和8年  尊光寺約200m程西方の現在地に移転。(揖斐川・牧田川の大改修)
 2004  平成16年  尊光寺本堂・鐘楼・三門、瓦の葺き替え等大修復
 2005  平成17年  尊光寺本堂等修復奉告法要、蓮如上人五百回御遠忌法要並びに親鸞聖人七百五十回御遠忌法要執行