Story Tellers from the Coming Generation! Interactive fighting novel JOJO-CON

双方向対戦小説ジョジョ魂

ROUND 3

21. Chill

太陽が連なるチベットの山々の向こうへと姿を消し、山腹は暗く闇に沈んでいた。その中を、二人の男の荒い呼吸音が、微かに吹く風に乗って山を滑るように降りていく。

陽光の恵みを得られなくなった山肌は、その表面から熱を急速に失っていった。気温も下がる。そこに立つスピードワゴンが吐く息は、即座に白く凍り付いた。しかし、そのスピードワゴンが油断無く睨みつける相手……前方で風に長い黒髪を揺らながら、身体を震わせているブラフォードが吐く息は、その姿を白く現すことがなかった。

(寒いな……)

スピードワゴンが、砕かれた左肩を走る痛みに顔をしかめながら、空へと目を向けた。山を照らす星々の光を、広がり行く雲が徐々に覆い隠していく。「山の天気は変わりやすい」……多くの人間が知っていることだ。ましてや、世界中を旅したスピードワゴンである。それは実際の体験を通して学んだ、生き残るための知識であった。

(だが、それだけじゃあない……「これ」は「自然の」寒さじゃあない)

ブラフォードへの警戒を忘れずに、意識を背中へ向ける。そこにある一点の異常。ほんの1、2センチ程度の大きさだが、棒状の物が突き刺さっている感触がある。背中に感触はあるが、実際にはそこに何もないことを、右手で探って確認済みだ。また、突き刺さっていること自体に、痛みはない。

だがそれは、氷で出来たかのような冷たさを発していた。時間が経つに連れてその冷たさは増し、今や背中全体が凍り付いたような苦痛を、スピードワゴンは感じていた。

(アラスカでエスキモーと一緒に見た流氷……あの上に素っ裸で寝っ転がったら、こんな感じかもしれねぇな……ッ!)

空へ向けていた視線をブラフォードに戻す。ブラフォードは左手で顔を覆い、ガタガタと大きく身を震わせていた。

(どうしたんだ? 今頃になって、さっきの銃撃が効いてきたのか?)

左右に素早く視線を飛ばし、周囲を観察する。近場では地面にいくらかの草花を見ることが出来るが、ブラフォードの攻撃を遮ることができそうな、木や岩の類は見当たらない。遠方、右方向……山の上方は同じような景色が続いている。

(……ひょっとして、俺の言葉に反応したのか?)

左、山の下方へ目をやって、スピードワゴンの目が一瞬留まった。次にブラフォードの様子を確認し、また目を左へ。ほんの数秒の間に、下の遠方に立ち並ぶ木々の向こうとブラフォードの間を、スピードワゴンの鋭い視線が行き来した。既に呼吸は、緊張感を帯びつつも静かな状態に戻っていた。

(それなら……)

目を閉じ、ふぅと大きく息を吐く。そして吸い直すと、ブラフォードの毛髪によって銃を握らされたままの右手を、軽く差し出した。

「三百年も……三世紀以上も前になるんだな。お前が生きた、最初の人生は……」

ゆっくりと、スピードワゴンは語り始めた。ブラフォードの、『黒騎士』の人生を。


22. 運命鉄道 - Epilogue

ゴドトーン ゴドトーン
ゴドトーン ゴドトーン

真夜中。闇に溶け込みそうなほどに黒い車体。その列車の車体を通して、重く力強い走行音が客車に響く。車両の中程に二つある照明だけが弱々しく灯る暗い客車は、乗客がまんべんなく席を埋めており、彼等の殆どが静かに寝息を立てていた。時折、ぼそぼそと話し合う男達の声が走行音の狭間に聞こえるが、聞こえるほどの大きさでもなければ、わざわざ聞こうとする者もいない。耳をそばだてればその行動自体が音を立てて、走行音の向こうの男達に届いてしまいそうな……そんな緊張感のある、奇妙な静けさだった。

カアァ

何処かで、カラスの鳴き声が聞こえた。

ゴドトーン ゴドトーン
ゴドトーン ゴドトーン

後ろから二番目の車両、その一番後ろの席に女が座っていた。白いコートに赤く長いマフラーを巻いている。頭に7インチくらいの白い帽子を被っていて、ブリム(つば)で目元を隠していた。その陰から、黒い長髪が伸びているのが見える。帽子には、二輪の薔薇の花が飾られていた。

ゴドトーン ゴドトーン
ゴドッ ガダダダガダタッ ガガガガガッ ガゴンッ

少し強めの揺れが客車に響いた。反動で、女の身体が左へ傾く。

ガゴン ゴトン
ゴドトーン ゴドトーン
ゴドトーン ゴドトーン

すぐに揺れは収まり、列車は再び重い走行音を奏で始めた。女の腕が動く。左の白い手が座席にあてがわれ、傾いた身体を真っ直ぐに起こして直す。右の手が、白い肌に紅い唇が印象的な口元へと寄せられた。

ガラガラ
コツコツコツ

女の座る席の脇に設置されている扉が開いて、車掌と思しき男が客車に入ってきた。無言のまま女の横を過ぎ、車両を前へと歩いていく。

「……ちょっと待って」

女の凛とした低めの声が、車掌の背に投げかけられた。足を止め、車掌がゆっくりと振り返る。

「……なんでしょう、お客様」

照明を背にしているために車掌の顔は陰となり、よく見えない。窓の外へ視線を移しながら、女が問いを発した。

「今、列車の進路が変わったような……気がしたのだけれど……」
「そうですか。しかし」

無感情な車掌の声には、しかし微かに楽しげな音が混ざっていた。女が再び、車内に視線をゆっくりと戻す。

「変わったのは、貴女様の運命でございます。お客様」

女の目に映った客車の内部。そこには、自分と車掌の二人以外に、人の姿は存在しなかった。

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天明さんの「スピードワゴン(1部)」
VS
於腐羅さんの「黒騎士ブラフォード」

双方向対戦小説ジョジョ魂


23. a mirage of mind

抑えきれない痙攣。漂い揺れるように、平衡感覚は定まらない。まばゆい光の点滅。背筋の冷気。

(ノ、ノノノ、脳ガ、ガアァ…………ッ!?)

突然五感を襲った異状の感覚に、ブラフォードは翻弄されていた。

ゴゥン ゴゥン ゴゥン

背中に突き立てられた『幽波紋』の『釘』から放たれる強い冷気に同調して、それはブラフォードの脳を、そして魂を覆い尽くすかのように殺到する。

そんな中で聴覚は、十数メートル前に立つ男の声を微かに捉えていた。男が綴る、どこか懐かしい過去の話を、ブラフォードは暗い呪文の詠唱のように感じていた。

(「懐かしい」……この感覚……覚えのある、この感覚……)

光の点滅の中に、『形』を観た。映像ではない、記憶でもない……。

ゴッ ゴッ ゴッ

(懐かしき…………『呪い』……)

それは過去に自らが覚えた、感情の固まり。

コッ コッ コッ コツ コツ コツ

いつしか、ブラフォードは『足音』を聴いていた。ブラフォードの感覚が捉えていたのは、今や背中の冷たさとその『足音』だけだった。背筋の冷気と歩調の合った足音と共に、ブラフォードの意識が『形』を追って過去へと遡っていく。

コツ コツ コツ コツ コツ コツ

―― 剣に託す「幸運」と「勇気」。波紋の勇者との戦い。ディオ。

コツ コツ コツ コツ コツ コツ

―― 屈辱の死。苦難の戦い。出会い、そして女王への忠誠。孤独、そして鍛錬の青春。弱小たる幼年期。そして……

コツ コツ コツ コツ コツ コツ コツ コツ コツ コツ …………

足音は続いていった。


24. 黒騎士、咆吼

「フハッ……フハハ、フハハハーーッ!」
「……ッ!?」

スピードワゴンの語りを打ち破り、大きな笑い声が山腹の冷たい大気を震わせる。それまで黙していたブラフォードが突如、天を仰ぎ見るようにして笑い出したのだ。その唐突な様子の変化に戸惑い、スピードワゴンはその口をつぐむ。改めて、ブラフォードの様子を詳細に観察する。

少しして、ブラフォードの笑いが止まった。顔を上げたまま眼球だけを動かして、ギロリとスピードワゴンを睨みつける。その眼光の迫力に、思わずスピードワゴンは一歩後ずさった。

最初は静かに、そして徐々に音量を増しながらブラフォードが言う。

「なんのつもりだ……? おれの過去を話して何とする? そんな話がおれをちょいとでも、センチメンタルな気分にさせると思・っ・た・の・か・ア・ァァ!?」

何も変わりないブラフォードの口調。むしろ、これまでよりも自信に満ちた、淀みのない口調であるとスピードワゴンは思った。そう、もう戸惑いのない、人の心を不安と恐怖に凍らせる口調に。

ブラフォードは左手を持ち上げると、吹き飛ばされた側頭部にその指を突っ込んだ。そしてバリバリと音を立てて掻きむしる。肉やそれ以外の物が、バラバラと飛び散った。

「脳みそを少しばかり吹き飛ばされてエェーー! 多少混乱していただけのことだアァーーー! もう何も問題はないなアァーーッ!」

右手に持った剣を前へ……折れた剣先を、スピードワゴンに向ける。

「そう、お前を殺るのに、もう何も問題はないなアァァーーッ!!」
「……くっ!」

ブラフォードの言葉に弾かれたように、スピードワゴンの右手が上がった。ブラフォードの毛髪によって握らされた銃が、スピードワゴンの被る帽子に近付く。そこには帽子のツバに仕込まれた刃があった。

「易々とそれをさせると思うかァッ!?」

ブラフォードの左腕が背中から回る。左に屈み込みながら手を地面に伸ばし、その場に落ちていた岩を掴むと、回転の勢いを乗せてアンダースローで投げ放った。

ドギュンッ

手と銃を覆う頭髪を切り裂く暇を与えず、飛礫(つぶて)はあっという間にスピードワゴンの頭部へ到達する。

「おうっ……」

スピードワゴンは背中を大きく反らして、頭を砕かんとした飛礫を避ける。更にそのまま身体を捻り、地面にしっかりと立った二本の足を軸に回転運動を作り、それを身体に巡らせる。そして首を通して、再び頭部に戻す。そのエネルギーの行き着く先は頭頂の帽子!

「……りゃあッ!」

ドンッ

スピードワゴンの頭で急に回転を始めた帽子は、スピードワゴンが頭を振ると、カタパルトから打ち出されたかのような勢いで前方へ飛び出していく。そこには、既にスピードワゴンに向かって走り出していたブラフォードが迫っていた。

ギャルルルルルルルッ

「何度も同じ手をオォッ!」

ブラフォードが飛来した帽子を右に避ける。ブラフォードの後ろへ行った帽子はすぐに方向を反転し、今度は後ろからブラフォードを襲った。

「くどいッ!」

しかしブラフォードはそれを予期していたかのように、くるりと身体を回転させて帽子を避ける。ブラフォードの肩の側をすれ違うようにして通過した帽子は、そのままの勢いでスピードワゴンへと戻っていく。ブラフォードが再び自分へと向かうのを肌で感じ取りながら、それでもスピードワゴンの目は、帰ってくる帽子と、差し出した銃と右手を見つめていた。

右手のすぐ先にまで帽子が到達しようとしたとき、その帽子の後ろに現れたものをスピードワゴンの目が捉えた。波打ちながら伸びてくる黒い触手。

(髪の毛かッ!)

意識がそちらへ一瞬だけ及んだとき、スピードワゴンのバランスが僅かに崩れた。靴の中を浸す血によって足が滑ったのだ。そして次の刹那、鋭い刃を持つ帽子が、スピードワゴンの右腕を伝うようにして駆け抜けた。

スッパアァーーーーーッ

「うぐあぁ……っ!」

右腕の先から肩口にかけてから、一斉に血が噴き出す。痛みに身体を震わせながら、それでもスピードワゴンは、続けて殺到するブラフォードの髪の毛に抗おうとした。

ズブゥッ

しかしその時、スピードワゴンの腹部に突き立てられたのは髪の毛ではなかった。剣。それを自分の腹の中に感じながら、ブラフォードの冷たい吐息が自分の首筋に掛かっていることに、スピードワゴンは気が付いた。その瞬間にブラフォードは、スピードワゴンの元に辿り着いていたのだ。

「のろい……のろいぞォ、人間よオォ……」

剣を握った右手でそのまま殴り抜くように、ブラフォードはスピードワゴンを吹き飛ばした。

「ぶっ、げぇ…………っ!!」

軽く十メートル以上を飛ばされてから、スピードワゴンの身体は山の固い地面をごろごろと転がった。

身体がうつ伏せに止まった後も、スピードワゴンは腹を抱えたまま、起き上がることが出来ないでいた。冷たい地表に、暖かな鮮血がスピードワゴンの腹からぼたぼたと滴り落ちる。

「フン、勝負ありかアァ……? おれの人生なんていう講釈を語っている暇があったならァ……準備運動に屈伸の一つでもしておけば良かったんじゃないかァ、お前エェ……ククハハハハーッ!」
「ぐ……あ、が…………ッ!!」

ブラフォードの嘲笑が、そのスピードワゴンに浴びせられた。しかし今のスピードワゴンには、先程までのブラフォードの様に身体を震わせて悶絶する以外に、出来ることはなかった。


「さて……」

ブラフォードの声が落ち着きを取り戻し、冷徹な響きを帯びた物に変わった。

「トドメを刺すとするか」

そう言ったブラフォードが、スピードワゴンに向けて足を踏み出した。スピードワゴンは必死に立ち上がろうとするが、背中の冷たさと腹部の熱さがその力を奪い去っていく。一歩一歩歩み寄るブラフォードの足音……それが突然止まった。

「ゥゥウ鬱陶しいぞオォッ!!」

そう叫んで、ブラフォードは振り向きざまに右手の剣を振り投げた。

ギャンッ

剣は風を斬りながら、崩れた洞窟の瓦礫に向かう。そしてそれが岩陰に飛び込む一瞬前に、そこから白いものが飛び出した。

「ヒギアアウゥッ!!」

獣じみた叫び声と共に現れたもの……それは白いローブを羽織った上半身だけの女、シマだった。瓦礫の上に張り付くようにして、長い黒髪の奥から鋭い視線をブラフォードに向けている。シマと「同じ能力」を持つ者がその場にいれば、シマの身体から十本ほどの『白い腕』が突き出して、その手に持った『釘』を刺して岩に取り付いている、さながら蜘蛛のような姿を見ることが出来ただろう。

シマの血走った目から送られる怨念の視線をものともせず、ブラフォードがシマへと足を向けた。

「気が付いていないとでも思っていたのかアァ? あれだけの殺意がこめられている視線をオォ……」

シマは歯をギリギリと鳴らしながら、ブラフォードとの間合いを計っていた。

「わたわたし私は……見ているだけ……」

シマの呟きを聞いてか聞かずか、ブラフォードが答える。

「ぶった斬られて生きているその生命力も気になるがアァ……貴様が見る度に疼くこの背の冷たさも気になるがアァ……」

バギッと音を立てて、ブラフォードの奥歯が砕けた。

「遠くから見ているだけで、ただ嘲笑っているゥ! 毛の抜けた病気持ちの猫のようなアァッ! 呪いに満ちたその眼が許せんンン……ッ!!」

地面を蹴って、ブラフォードが駆け出した。

「我慢ならぬ! 今度こそ殺すッ! 侮蔑に満ちたその眼から潰してくれるッ!!」
「ギイィッ!?」

身を翻して、シマが再び洞窟の中へと滑り込んでいく。そしてその後をブラフォードが追っていく。

「まっ……待ちやが、れ……ッ!!」

後ろから聞こえた弱々しい声に、ブラフォードが振り向いた。膝で立ったスピードワゴンが、ブラフォードに向けて右手の銃を構えている。右手と銃を強制的に固定していたブラフォードの頭髪は、既に取り除かれていた。

「ほう……先程の帽子のブーメランはァ、拘束を解く、端からそれが目的だったということかアァ」
「……シ……シマを追うんじゃねぇ……」
「ククク……止めてみせろォ……おれはその攻撃を避けん、好きに撃てィィ」

ブラフォードはスピードワゴンから目を逸らすと、瓦礫に近寄り、岩の陰に手を入れた。そのブラフォードに向けられた銃口は、ガタガタと大きく揺れていた。スピードワゴンの表情が歪む。その間に、ブラフォードは瓦礫の中から自分の投げた剣を抜き出した。

「その武器……『gun』とかいったか、ようは弓矢と同じタイプの飛び道具だなァァ。飛び道具はァ、標的との距離が離れるほど手元の僅かな狂いが大きなズレとなるウゥ……。今の貴様がおれに命中させられるかアァ? その傷を負った腕で、ボロクソの身体でエェ!」

ドオォンッ!

スピードワゴンの銃が火を噴いた。

バシッ

ブラフォードの右、十メートルほど離れたところにある岩の表面が砕かれた。

ブラフォードは剣を背にしまうと、シマを追って洞窟の中へと姿を消した。


少しして、スピードワゴンが立ち上がった。右手で押さえる腹部からは、今も血が滴り落ちて、地面を赤く染めていく。深い呼吸で肩を上下させながら、スピードワゴンは左、山の下方に目をやった。そしてそちらに向かって、一歩、また一歩と足を運んでいく。

しかし十歩も進まないうちに、その足が止まった。顔は、シマとブラフォードが消えた洞窟の中へと向いていた。逞しい胸に息を思い切り吸い込み、荒く息を吐く。それを数回繰り返してから、スピードワゴンは呟いた。

「はぁ、はぁ……肩を砕かれたって……腕を切ったって……はぁ……腹を刺されたって…………足が動くなら前へ進めるんだ……はぁ、はぁ……ハハッ、お、俺ってツイてるぜ……そうだろ? はぁ、はぁ……」

再び洞窟の、暗闇が支配する世界へと、スピードワゴンは入り込んだ。


25. 行き着いた先 - Dead End

黒く、黒く闇が詰まった洞窟の中に、ぽつり、ぽつりと橙(だいだい)色の明かりが灯っている。その二色の世界に、白く尾を引くものが滑り込む。それは橙と橙を結ぶように、なめらかな弧を描いて漂い行く。

カカカカカカカカカカカカ

白いものは行く先に、高い音を連れて行った。その音は、岩に小さな穴を穿つことで発せられている。白いものの右と左、交互に、一呼吸の間に十数個もの穴を岩に刻む。

カカカガカガガカカカガガガガ

長い髪をなびかせて飛ぶ白いもの……シマが、前髪の奥から血走った瞳をぐるぐると回していた。洞窟の入り組んだ道を、壁を、そして天井を、穴を穿つ音を立てながら飛び抜ける。

「……右……真っ直ぐ…………右……左……」

呟きと共に進路を変えながら、時折後ろを振り向いては、怒りと焦燥と恐怖の色を表情に浮かべる。シマの聴覚は捉えていた。自分を追う、敵の足音を。かあぁ、と獣のような呻きを、その口から発する。

「ストストレストレイツォ様を殺めえぇ! わたわたし私まで、キヒヒィ! 狙うアイツアイツアイツッ! 害! 害ッ! 害ッ! 死ぬべき! 死ぬべき! 死ぬべきッ!」

裏返った声を更に高くして、シマが叫ぶ。

「運命もそれをしっしって知っている! ヒヒ、ヒヒヒッ! 早く! 早く! 早くッ!」

到達した行き止まりの壁に張り付いて、後ろを振り返る。

「早くその時を私に観せて!」

ゴウッ!

シマの目が見開かれる。

ズドンッ!!

暗闇の中から飛来した剣が、シマの左肩を貫いた。

「ギッ!」

そのまま、シマの背後の岩壁に突き刺さる。シマの身体が激しく岩肌に叩き付けられた。勢い衰えず、剣が更に深くシマの肩に、その後ろの岩の中にズブズブとめり込んでいく。

「ヒギッ!?」

そして遂に根本まで突き込まれた剣によって、シマは突き当たりの岩壁に張り付けにされた。肩に走る激痛に、シマは身体を強張らせ、喉の奥からイタチのような叫び声を上げた。

「ヒギキイイイヤアアァァァァーーーッ!!」

シマの身体から、十本以上の『白い腕』がドッと突き出して、左肩の剣に殺到する。剣の柄を我先にと掴んで思い切り引っ張っては、力尽きるように離れて消えていく。そこに次の手がすぐに取り付いて、引っ張っては消えていく。餌に群がる池の鯉のように、何十本もの『手』が次から次へと剣を抜こうとするが、背後の岩に深く突き刺さった剣はぴくりとも動かなかった。肩から全身に駆けめぐる激痛に、シマは舌を突き出して、身体をびくんびくんと痙攣させた。

「クククククク……」

幅10メートル程の洞窟は、シマの右手に立ててある松明だけで灯されている。その明かりの届かない、20メートル程先の暗闇から、静かな、しかし悪意の籠もった笑い声が響いた。

「いいぞゥ、その悶絶っぷりイィ……それが見たかったアァ……」

しばらくして、闇の中からブラフォードが姿を現した。

「ヒグッ……てめ……え……」
「貴様がやっていたことだアァ……見て笑ってやるってのをなアァーー!」
「て……ッ」

シマの目元が、ビクビクと痙攣した。

「てめぇ! 蛆虫臭え屍生人なんかとおォォーーッ!」

幽波紋の『釘』をかざした『腕』が、シマの身体からズラリと突き出した。しかし『釘』のサイズがこれまでと異なる……一本が1メートル以上にも及ぶ、長く太いものだった。そしてそれを『腕』達が振りかぶると、

「一緒にすんじゃねええぇぇーーーッ!!」

ドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッ!

一斉にブラフォードに向けて投げつけた。『幽波紋』が見えず、ただ立っているブラフォードに十数本の『釘』が飛んでいく。

「ハッ!」

逆上していたシマが、その瞬間我に返った。右手を前に伸ばして、慌てて叫ぶ。

「ヤバイそれは! ダメエェッ!」

その言葉に弾かれたように、ブラフォードへ向かって一直線に飛んでいた『釘』が蜘蛛の子を散らすように、バラバラに向きを変えた。その場で急激に曲がる物、ブラフォードを掠めて通過する物。それらはどれもブラフォードには命中せず、その周りの地面や左右の壁面、そして天井へと音を立てて突き刺さった。

ドスッドスッ ガスッ ドスゥッ ビシィッ ボゴッボゴォッ

突如、周囲に穿たれた穴と岩の割れる音に、ブラフォードの表情が緊張を帯びる。

「な、何だ……! これはァ……?」

ギロリとシマを睨みつける。

「貴様かァ? これもまた、貴様なのかアァ……?」

ブラフォードが大股でシマに近付いて行く。シマは歯を剥き出してブラフォードを威嚇した。ブラフォードの足が、シマの目前1メートルほどの位置で止まる。ブラフォードが自分の胸元を見て、そしてシマに目を向ける。

「……押さえているな?」

ブラフォードは右手を伸ばして、シマの左肩に突き刺さっている剣の柄を拳で押し込んだ。

「ヒギキアァ……ッ!!」

シマのあげる悲鳴をよそに、ブラフォードは自分の右腕を見つめている。

「おれの腕を、手が掴んでいる。何本もの手が……見えない手がおれの手を掴んでいるぞオォ。胸も押しているゥ……」

シマの顔に自らの顔を近づけていく。前髪の奥の眼を睨みつける。

「これは何だ? 貴様の得体の知れない能力……波紋ではないなァ……。おれの剣を弾き返して、波紋まで流したのはこれだなァ? 何故今は波紋を使わないィ? そもそも何故上半身だけになって生きているのだアァ? 貴様には疑問がいくつもあるウゥーー」

ブラフォードが右手で剣を揺する。より激しくなるシマの悲鳴。激痛に歪むシマの表情を見て、ブラフォードは笑みを浮かべた。

「ヒギギイッ……ハギィッ……の、の……ゲゲッ!」
「貴様を解体して調べてやる。頭をかち割って脳味噌をばらまいて、皺を伸ばして隅々までなアァ。内臓も一つ一つ切り裂いて中までじっくりとオォ……もっとも、上半身の分しか残っていないがなアァ……!」
「……の……ハガガッ……ののの……呪わ呪われ呪われろ……この世の全てが貴様を呪え……」
「クククッ……クカカカハハハアアァァーーーッ!」

剣を更に押し込もうとしたブラフォードは、剣を見てふと気が付いて、その手を弱めた。

(……? 剣が刺さったこの女の肩……血に濡れていない? 全く、か? 一体どういう……)

ガチリ

撃鉄を上げる音が、洞窟に響いた。ブラフォードが、全身の動きを止める。

「さっきも言ったろう……。シマには……手を出すな……」

男の声が、洞窟の暗闇から聞こえた。その後には、荒い呼吸の音が続く。ブラフォードが、首をゆっくりと後ろに向ける。

「……貴様……死ぬ気かァ?」

答えるように、暗闇から一歩進んで姿を現す。

「いや……」

壁にもたれながら、スピードワゴンが銃をブラフォードに向けた。腹から滴る血が、松明で僅かに照らされた地面を赤く彩る。

「……『良く生きる』、つもりだ」

それを聞いたブラフォードの眼が、嬉しそうに輝いた。唇を舐め、言葉を発する。

「それは……」

剣から手を放し、スピードワゴンに振り返った。


26. 定められた死 - Dead Lock

再び強まった左肩の痛みに、シマは軽く背中をのけ反らせた。肩に深く刺さったブラフォードの剣が、縦に小刻みに揺れている。同時に背後の岩壁から、ミシミシという不気味な音が聞こえてきた。

(じ、地震……?)

背後だけではない。そこら中に刺さった幽波紋の『釘』から、揺れと音の感覚がシマに伝わってきていた。

「こ、ここで……ヒヒ……私の観察は正しい……ヒヒヒヒ……やはりいいのね、ここで……」


「それは失望の中に果てる約束の言葉になるだろう……」

ブラフォードが、静かにスピードワゴンに向き直った。細かな岩石の破片が、二人の間をパラパラと落ちていく。

「……おれの前に立った騎士達は、皆そうやって息絶えた。だから……」

右手をかざして、スピードワゴンを指差す。

「その前に貴様、その名をここに置いて行けイィッ!」

右の壁に身をもたれたスピードワゴンが顔を上げる。そして弱々しい笑顔を浮かべた。

「お、俺なんかが三世紀前の英雄に名を聞かれるとは……へへ、身に余る光栄ってヤツだぜ……ッ」

歯を食いしばって身体を起こす。壁から離れると、よろよろと頼りない足取りで洞窟の真ん中辺りまで歩いて止まった。震える足を踏ん張って、ブラフォードに顔を向ける。銃を握った右手で血に染まる腹を押さえて、スピードワゴンは声を絞り出した。

「おッ、俺の名は……ロバート・E・O・スピードワゴン……ッ! 地獄まで勝手にッ、持って行けばいいさ……」

WRRRRRRYYYYYYYYYYYYYYYYY!!

人外の雄叫びと共に、ブラフォードが地面を割りながらスピードワゴンに向かって突撃する。左へとよろけながらスピードワゴンは、ブラフォードと重なるように別の人間の背中を見ていた。自分の声が聞こえる。

『ツェペリのおっさん!』
『気をつけろよ おっさん!』

「へっ……」

微かに笑いながら更によろけたスピードワゴンは、左の岩壁に寄り掛かった。そこへ腕を振り上げたブラフォードが襲いかかる。

「URYYYYYYAAAAAAAAHHHHH!!」

ブラフォードの右に立つスピードワゴンに対し、左の拳が唸りを上げて打ち付けられる。

「俺はッ、恐怖を知らない『ノミ』じゃねぇッ!」

ドッゴオオオォォンンンッ!

ブラフォードの拳は、屍生人の怪力によって岩壁に深くめり込んだ。バキバキと音を立てて、周辺にヒビが広がっていく。

「ウヌウゥッ!?」

ブラフォードが目を剥いた。拳と岩壁の間で粉砕された筈のスピードワゴンの姿が、そこには無かった。


(岩壁に面した右腕では打ちにくい……左で打って来させるために、こちらの壁に寄り添った)

スピードワゴンの姿は、ブラフォードの左腕の、更に外側にあった。

(左の眼は吹き飛んでいる……『死角』! そしてそこに入り込むために!)

拳の迫った瞬間、スピードワゴンは上半身を後ろへ反らし、更に屈んで身体を沈み込ませて左へ飛んだ。拳を避け、そしてその場にしっかりと立って銃を構える。

(歩けないような弱々しい演技! なんだってやるぜ、俺は! この一撃のために!!)


(いないッ? 死角に入り込まれたかァッ!?)

犬歯をちらりと見せて、ブラフォードが密かに笑った。

(『やはり』なアァ!)

ブラフォードの足の陰から、長髪が地面の岩の中へと潜り込んでいる。

(どうせやることは、その武器でおれの頭を吹き飛ばすしかない! それだけを注意すればいいィ!)

スピードワゴンの足下、その岩の隙間から髪の毛は出ていた。それはスピードワゴンの足を伝って、上へ上へと登っている。

(見えないのならば触って探ればよいだけのことオォ……そしておれの剣を折った仕返しを)

スピードワゴンの身体を上り、腋を通った髪の毛は、スピードワゴンの死角となる右腕の陰を伸びて、ブラフォードに向けられた銃へと到達していた。

「……させてもらうぞオォ!」


ぼうっと『釘』が光るのを、シマの眼は見逃さなかった。歓喜の叫びを思わず上げる。

「来たッ!」

ずぶり
二人の男の背に刺さる『釘』が、

ずぶり
洞窟の壁面に刺さった『釘』が、

ずぶり
そしてスピードワゴンの握る銃に小さな『釘』が、

「『とどめ』の時ッ!」

銃の引き金が引かれたその時、銃に髪の毛が入り込んだその時、『釘』はより深く、刺し込まれた。


バアアアァァァンンンッ!!

大きな炸裂音を洞窟に響かせて、銃が暴発した。銃はスピードワゴンの右手を巻き添えにして、その銃身を粉々に吹き飛ばした。

「ぐあッ……」
「ンヌウゥッ……!」

銃の、そしてスピードワゴンの右手の細かな破片が二人に殺到する。顔や身体へそれらが次々に突き刺さり、ブラフォードとスピードワゴンはそれぞれの後方へとよろめいた。

ボゴンッ

ブラフォードが右足を着いた地面が砕けて陥没した。右足がその足首まで埋まる。それによって更にバランスを崩し、ブラフォードは左足を勢いよく地面に打ち付けた。その瞬間、「バヂンッ」とゴムの切れたような音がした。ブラフォードは呻くと、後ろへと倒れ込んでいく。

ギャンッ
ギャギャンッ

その他の破片が飛び行く先々には、岩に刺さった幾つもの幽波紋の『釘』があった。破片はその『釘』に当たって跳ね返り、ブラフォードの脚部、その関節部へと殺到する。

ズンッ
ズバンッ
ドシッ ズドンッ

破片がブラフォードの足に次々と刺さっていく。

ドシンッ

「う、うぐあアァッ!!」

最後の破片を左膝後部にくらい、ズシリと大きな音を立てて、ブラフォードが後ろに倒れ伏した。地面が大きく振動する。ブラフォードはすぐさまその身を起こそうとするが、上半身を起こしながらも立ち上がることが出来ないでいる。

「こ、これはアァッ!? 膝が曲がらないィ……踵もだッ?」

ブラフォードが自分の両足を睨んで叫んだ。

「けッ……『腱』ッ? 両足の腱が、切断されているのかアァッ!?」

ドサァッ

スピードワゴンが跪いた。右手の砕けた痛みに、一瞬白目を剥く。しかしすぐに我に返ると、くるりと後ろを振り返った。闇の中に目を向け、そして耳を澄ます。

「聞こえる……」
「クッ……こ、こんなことがアァァ……ッ!」
「お……俺の勝ち、だ……」
「……な、何? 貴様、何を言っているッ!?」

スピードワゴンの言葉にいきり立つブラフォードは、次の瞬間、その音と声に気が付いた。

ダダッ ダダダダッ ダダダッ

『向こうだ!』
『今のは銃声か?』
『ストレイツォ師範じゃあないのか?』
『戦っているのは誰なんだ!?』
『急げ、急ぐんだ!!』

近付いてくる足音と声。それは、洞窟を走る波紋修行者達のものだった。スピードワゴンが、血を吹き出している右手を震わせながら呟く。

「洞窟の外で銃を撃ったのは……ブラフォード、お前に当てる為じゃあなかった。山を登ってくる彼等に、居場所を教えるためだった……お前の居場所を……」
「ッ!」
「全く予想外の事態だが、お前は立てないようだな。……その状態で、こっちに向かってくる波紋戦士達と戦えるか? さっき外で見たが、10人は下らない人数だ。何人かは倒せても、全員となるとどうかな……まぁ、わざわざ拳を交えなくとも、炎で燃やせばそれで終わる」
「ヌ、ヌウウゥゥ……ッ!」
「俺はもう、動けねぇ。銃も手も粉々だ。でも、もういい……結びついたのなら、これでいいんだ……」

ブラフォードが、地面にガクリと頭を落とした。


27. 運命交錯

(身体中が痛え……でもそれより冷たくて……雪の中に埋もれているみてえだ)

スピードワゴンは目を閉じて溜息をついた。

(このまま眠れたら、安らかに死ねるかもしれねぇな……だが、まだ俺には……)
「……クックックックック」

微かに、そして徐々にはっきりと聞こえてきたブラフォードの笑い声に、スピードワゴンはハッと目を開いた。顔を向けると、ブラフォードが地面に耳を当てて、にやついているのが見えた。その体勢のまま、ブラフォードがスピードワゴンに問いかける。

「聞こえる……確かに聞こえるぞオォ……」
「……?」
「貴様には聞こえないのか? 岩を砕き迫る一隊の足音がアァ!」
「…………!?」

ブラフォードの言葉にスピードワゴンが耳を澄ますのと、洞窟の先で岩壁が吹き飛ぶのは、ほぼ同時に起こった。

ドガアアァァンッ

『うわああぁぁっ!?』
『ウシャアアァァーーーーッ!!』
『人間ダアァーーーッ!』
『チチチ血イィ飲みホシタアアァーーーイイィーーッ!!』
『ぐわあぁーーーっ!』

「こ、これは……ッ!?」
「ククハハハッ、向こうだけではないぞウゥ! よく耳を澄ませろオォッ!」

ズガンッ

唐突に、洞窟の天井から大きな岩の固まりが落ちて、ブラフォードとスピードワゴンの間で砕けた。スピードワゴンが天井へ目を向ける。

「オ? オオォォ? ヤッパリイィ!」
「い、いたカ? 人間、いたのカァ?」
「見イィつけたアァ! オレの鼻は世界一イイィィンン!!」

天井に空いた穴から顔を覗かせたのは、一体の屍生人だった。顔面は既に、人間であった頃の原形を留めていない。長い舌をちろちろと動かしながら、飛び出しそうな眼球でスピードワゴンを見た。その屍生人の後ろから、もう一体の屍生人の声が聞こえる。

「元・波紋戦士の屍生人だ! フハハフハッ、自分が屍生人になっているとは、全く無駄な修行をしたものよなアアァーーッ!」
「ク……こんなッ!」

スピードワゴンは逃げるために立ち上がろうとするが、足は激しく痙攣し、スピードワゴンの言うことをまるで聞かない。その様子を見て、頭上の屍生人がけたけたと笑う。

「ンン~? 腰でも抜けてんのかァ、ニイちゃんがアァ? イイ年して、恥ずカチィ~! アババババ~!!」
「早ク! 早ク頂こうゼエェ~!! 血イィ~!」
「せ、せか、せかすなヨ。今降りるゼエェ~ッ!」

後ろから押されているのか、頭から落ちそうになりながら、屍生人が上半身を穴から出した。

「トォッ!」

掛け声と共に、屍生人が天井から飛び降りる。そしてブラフォードとスピードワゴンの間で砕けた岩の上に着地する。

その姿が、すぐに消えた。

「ア? アリェエエエェェェェェェ~~~~…………?」

間抜けな声が遠ざかっていく。ブラフォードが身体を起こして、屍生人の消えた場所を覗き込むように首を伸ばす。そこには、大きな黒い穴がぽっかりと空いていた。屍生人の声は聞こえなくなった……そのまま、他に何も聞こえない。それは、穴の深さを物語っていた。

ドンッ

地響きと共に、激しい横揺れが洞窟を……山全体を襲った。起き上がっていたブラフォードとスピードワゴンは、再び地面に叩き付けられた。

ドゴンッ
ボゴンッ ミシィッ バギバギイィッ ドゴォッ

不気味な音にブラフォードが顔を上げる。そこで見たものは、先程屍生人によって開いた穴が、通路の幅一杯に広がって、ブラフォードとスピードワゴンに迫り来る洞窟の崩落だった。洞窟の揺れと共に、崩落は勢いを増していく。

ドゴオォッ メキメキィッ
ドゴンッ ドゴンッ ボゴオォッ

「な、なんだとオオォォーーーーッ!」

叫んだブラフォードは慌てて立ち上がろうとするが、その両足がブラフォードの意志通りに曲がることはなかった。舌打ちして、両手を使って背後へと這いずる。しかし崩落は、ブラフォードが這いずるスピードに勝る勢いだった。

「ヒヒヒイヒヒイイヒヒヒヒーーーッ!」

背後から浴びせられた甲高い嘲笑に、ブラフォードが牙を剥きだして振り返る。シマが、ブラフォードを見下ろして笑っていた。

「因果応報うぅーーーッ! 私と同じ、足の使えない状態はどうだああぁーッ? ヒヒイヒイヒヒーーッ!」
「こッ、このッ!!」
「思った通りッ! 私の観察通りッ! ここは地面が砕けやすいッ、因果応報の場所だったあぁーーーッ!」

右手でストレイツォを指差し、思い切り振り下ろす。

「そしてストレイツォ様と同じようにイィ! テメェも谷底へ落ちて行けえぇーーーッ!!」

ドンッ

横揺れが更に強まった。両手で地面にしがみつきながら、ブラフォードは髪の毛をシマに抜けて伸ばした。

「このアマアァーーッ!!」
「……『釘』は既にテメェを貫いている」
「ア? アアアァァァ~~~~?」

洞窟の天井にいたもう一人の屍生人が、振動に足を滑らせて落ちてきた。

「アアァァ~~~」
「なッ、何ィッ?」

屍生人の落ちる先に、ブラフォードがいた。ブラフォードの広い背中に抱きつくように、屍生人が着地する。次の瞬間、ブラフォードは地面が沈み込むのを感じた。亀裂の入る音が耳に届く。

ボゴンッ

そして、ブラフォードの身体を浮遊感が包んだ。ブラフォードの視界から、シマが遠ざかっていく。ブラフォードの乗る岩盤が、落下を始めていた。

「こッ、このクソがアアァァーーッ!!」

背中の屍生人にブラフォードの髪が巻き付く。ブチブチと音を立てて、屍生人の身体が八つ裂きにされた。

「……クッ!」

ドスッドスゥッ

伸ばした髪の毛が既に岩壁に届かないと見るや、それを自分の足に潜り込ませた。太股や足首の皮の下を、髪の毛が蠢く。

「か、髪の毛で腱を引っ張って跳躍するッ!!」

壁が崩れ、備え付けられていた松明がバラバラになって落ちていく。火の粉がブラフォードに降りかかり、頭髪がブチブチと燃えて切れた。

「ウ、ウグッ……!」

振り返ったブラフォードは、頭上の闇に紅く光る瞳を見た。冷徹な笑みを浮かべながらじっと見ている、シマの瞳だった。

「命を運んでゆくと書いて『運命』……ヒヒヒ」
「オ、オオォ……こ、こんな『終わり』など……み、認めな……ッ!」

手を伸ばして、ブラフォードが叫んだ。

「オノオオオォォレエエエェェェーーーーーッ!!」

絶叫を残して、ブラフォードは暗黒の奈落へと消えていった。


「ヒヒヒッ、何しにノコノコ来やがったのかは知らないがスピードワゴン!」

激しい横揺れの中で壁に張り付けられたまま、シマはスピードワゴンの姿を探していた。ほの暗い松明の残り火は、既に洞窟を照らすには不充分な光量だった。

「次はテメェの番だあぁッ! ストレイツォ様の死を私に見せた罪ッ! 私を悲しませた罪ッ!!」

シマの眼が、天井から振る岩の破片の向こうに這いずっているスピードワゴンを捉えた。右腕の肘で地面を掻くようにして、スピードワゴンはシマのいる方に向かって進んでいた。スピードワゴンとシマの間には、ブラフォードが飲み込まれた奈落への穴がぽっかりと空いている。そして続いている崩落によって、それは徐々にスピードワゴンへと迫りつつあった。

「ヒヒヒッ、既に前後不覚の状態かあぁ? 因果応報だッ! テメェの死を見せろッ! 見せ見せろ見せろおぉッ!!」
「……シマ……今行くぜ……」
「ヒ?」
「……い、今……助けに行く……」

崩落の轟音の中に聞こえたスピードワゴンの声に、シマの叫びが一瞬止まる。

「……な、何を……それでテメェの罪が晴れるとでも……ッ」

スピードワゴンはシマの声を聞いていなかった。朦朧とする意識の中で、這いながらただ呟いているだけだった。

「連れて……ストレイツォが……連れて逃げろと……言ったんだ……」
「……ッ!?」
「……ストレ……連れて……必……ず…………」

力尽き、スピードワゴンは伏して意識を失った。広がる谷底への開口部がスピードワゴンに迫る。シマはその様子を、呆然と見つめていた。

『シ……シマを追うんじゃねぇ……』
『シマには……手を出すな……』

「スピード……ワゴン……」

『シマを連れて逃げてくれ! ここは私が食い止める!!』
『急げッ!』

「……ストレイツォ……様……」

スピードワゴンに迫った崩落が、その目前で止まった。スピードワゴンの背中から抜けた幽波紋の『釘』が、宙で輪郭を失い、陽炎のように揺らいで消える。

そして降り注ぐ岩と砂の中に、シマの姿が消えていった。


28. 落涙

スピードワゴンには、既に時間の感覚はなかった。暗闇の中に、静寂の中に、手足の感覚もなく……どうしようもなく抜け出せない身体の冷たさに浮かぶように、ただ意識だけが明滅していた。

このままここで死ぬのだろう、とスピードワゴンは思った。自分の受けたダメージを思えば、それは当然のことだろう。波紋修行者達も屍生人にやられてしまったのだろうか……そうでなければ、こんなに静かではないだろう。助けは望めそうにない。

シマもいない。ブラフォードもいない。孤独だった。自分は孤独の中に死ぬのかと、スピードワゴンは思った。そしてそれは、次第に恐怖へと変わっていった。暗闇の恐怖。静寂の恐怖。死の恐怖。それらを凌駕した恐怖は、孤独だった。

誰もいない。自分を誰も見てくれない。自分を誰も聞いてくれない。自分一人、ここで消える。

(いやだ……こわい……)

スピードワゴンの精神は、縮みこんで震えた。がたがたと怯えきって、子供のように泣いていた。

(さみしい……こんなのいやだ……たすけて……)

その叫びがぐるぐると渦巻いて、形になろうとしていた。

(つぶれる……消える……いやだ……ッ!)

暗い感情が一つの固まりになる、その瞬間……声が届いた。

「スピードワゴン……君なのか……?」

男の掠れた声が、スピードワゴンの意識を引き戻した。

「本当に君なんだな……良かった、君に出会えて……本当に」

ゆっくりと足音が近付いてくる。片足を引きずるような、不自然な足音だった。スピードワゴンは眼を左右に振って声の主を捜すが、光のない暗闇の中には何も見つけることは出来なかった。

足音が止まった。

「屍生人達は……『黒騎士』以外の屍生人達は倒したよ。……元は弟子だった者達とはいえ……いや、だからこそ、容赦はしなかった。……それが……それが師としての……最後の努め……」
(……! ま、まさかストレイツォ? ストレイツォなのか?)

スピードワゴン自身は叫んだつもりであったが、その口は、そして身体はぴくりとも動いてはいなかった。

「……シマの遺体も……下半身だけだったが確認してきたよ。……私が未熟だったばかりに……彼女にも……悪い、ことをした……」
(すまない……すまない、ストレイツォ……俺が……ッ)

ゴホゴホと、ストレイツォの苦しげな咳が聞こえた。

「君も随分、酷い目に、あったようだな……。大丈夫、今、波紋で治療するよ……」

コオオォォ……

弱々しくも、確かな波紋の呼吸音が聞こえた。

「君に……ゴホッ……私も君に託すことになって、すまないと思って、いるよ……」
(……何? 今、何を?)
「伝えてくれ……『伝承は真実であった』、と……『原初の伝承に備えよ』、と……伝えてくれ……」
(何だって……? 何を言っているんだ、ストレイツォ!?)
「あの深淵の奥底で聞いた……原初の呼び声……ゴフッ! ……これが最期の私の波紋……ッ!!」

ストレイツォの右腕が青白く光った。そしてスピードワゴンは見た。身体中を食いちぎられ、満身創痍となったストレイツォの無惨な姿を。その右腕が、スピードワゴンに振り下ろされる。

深仙脈疾走(ディーバスオーバードライブ)ッ!!!!

ボッゴオアアアァァァーーーッ!!

波紋が衝撃となって、スピードワゴンの身体に雪崩れ込んだ。


ドサッ

全身を駆けめぐる凄まじい波紋の潮流に、意識を失いかけていたスピードワゴンは、ストレイツォの倒れる音で我に返った。未だその身は動かなかったが、左手に触れるストレイツォの右手の感触に、スピードワゴンはストレイツォの死を感じ取った。

(ストレイ……ツォ……)

辺りは再び漆黒の闇に戻っていたが、ストレイツォの手の感触が、スピードワゴンを支えていた。

間を置かず、その音が聞こえてきた。

(また足音か……? 誰だ?)

ストレイツォのものと違い、今度は確かな歩調でスピードワゴンへと向かってくる。

(まさか……ブラフォードか!?)

そのか細い声が聞こえても、スピードワゴンの緊張は解けなかった。

「……ストレイツォ様……」

声の方向に目を向ける。そこには、うっすらと青白い光に包まれたシマがいた。上半身が宙に浮いている。しかし、一歩一歩、確かに足音と共に近付いてくる。

(シ、シマ……た、『立っている』……?)

スピードワゴンからは見えなかったが……シマが『歩く』度に、地面には「手形」が付いていた。

やがてシマは、倒れたストレイツォの横に立ち止まった。

「ストレイツォ様が……どうして……」

ストレイツォを見下ろしたシマが、低い声を震わせる。右手をゆっくりと伸ばした。

「どうして……テメェなんかに……」

右手がストレイツォの背中に伸びて、そこから一本の『釘』……幽波紋の『釘』を抜き取った。じっと『釘』を見つめる。下唇をバリバリと噛んだ。皮は破れ、肉が噛み切られるが、血は一滴も流れない。

「……どうして……ッ」

『釘』を握りしめて、右手を振りかぶる。シマの顔が、くわっと怒りの形相に変わった。

「テ・メ・ェ・なあぁんかにいぃーーーーッ!!」
(シマ……ッ!)

そして『釘』が、スピードワゴンの顔面に振り下ろされた。

ボゴオォッ!!

額に穴が穿たれた……シマの額に。シマが目を見開いて、首をガクリと後ろに倒す。ガク、ガクッと肩を震わせた。

「『決まり』……『因果応報』……それが『運命』の決まり……分かってる。分かっているわ……」

ぴしっと音を立てて、シマの目から頬にかけてヒビが走った。

「だけど……だけど、これが我慢できる訳がないじゃない……ストレイツォ様ァ……ッ!」

ヒビがシマの額から顔面へ、頭部へ、更に上半身全体へと広がっていく。裂けた皮膚がボロボロと落ちていくが、やはり血液は一滴も流れることはなかった。スピードワゴンは呆然とその様子を見守った。

「ストレイツォ様……見つめることを許してくれたストレイツォ様……『伝える』? そのためにストレイツォ様……?」

虚ろに呟くシマを見ながら、スピードワゴンは違和感を感じた。青白い亡霊のように霞むシマの輪郭。その身体に広がる裂け目から、細長く伸びる何かを見たような気がした。裂け目の中に、辺りを窺う視線が動くのを見たような気がした。人間には有り得ない『別のもの』の影を、そこに見たような気がした。

「観たことを……体験を……記さなければ……『伝える』? かかかかな書かなければ……書いてッ! 記さなああぁぁッ!? にッ!」

バリバリバリバリイィッ

シマの身体が、粉々に砕ける。

「日記いいいいぃぃぃぃーーーーーーッ!!」

最期の絶叫を残して、粉々になったシマの身体は、洞窟の闇の中に溶け込むように消えていった。


戻った静寂の中で、スピードワゴンはぼろぼろと涙を流した。

「……シマ……ストレイツォ……」

ストレイツォの手を左手で握り、溢れ出るものを拭おうともせず……

「ブラフォード……」

暗闇の中で、いつまでも、何人分もの涙を流し続けていた。

- Epilogue に続く -

e-mail : six-heavenscope@memoad.jp SIX丸藤