地面に叩き付けた松明の火を踏み消すと、スピードワゴンの姿は闇の中に埋もれていった。
(外に出られないのなら……体力のある内に、その全てを賭けるしかねえな)
背筋を走る冷たさに、ぶるっと身体を震わせる。
「武者震い、と言いてぇところだが……なんか分かるぜ。……シマ。お前、見ているな」
ザグッザグッザグッザグッ
大きな『釘』を『白い手』が握り、それを両手で交互に岩に突き刺して、洞窟の天井を這っていく。シマはそうやって、下を行くブラフォードの様子を十数メートル上から窺っていた。『釘』も『白い手』も、普通の人間には見えない。シマの小さな手から伸びた、白く透き通った『幽波紋』の腕、そして『釘』。『釘』はブラフォードの背、そしてスピードワゴンの背にも刺さっている。それらを映すシマの瞳は、その「瞬間」を予見して興奮に輝いた。
「近付いていくわ……ヒヒヒ……二人が……死ぬ死ぬわ死ぬわね、どちらか……それともどっちも、死ぬ死ぬか死ぬかしら……それもいいわね……ヒヒヒヒ……」
(……聞こえん……あの男の足音が……)
ブラフォードが変化に気付いて、足を止めた。周りを観察する。横幅6メートル程度、そして頭上は十数メートル上まで吹き抜けて、通路状になっていた。そして前方は、7、8メートル程先で左に折れている。自分のほぼ真横に松明が一つ灯っているが、曲がり角の壁に取り付けられていた筈の松明は、その後だけ残っていて見当たらない。
(策……いよいよ来るか、フフククク……)
ジャリン、とブラフォードが剣を抜く音が、静まりかえった洞窟の中に響いた。
「ゆくぞ……」
剣を構え、腰を落としたブラフォードの耳に、音が届いた。
ギャルルルルルッ
「音……風を切って……何かが飛んでくるッ!」
ギャルルルルルルルルッ
前方の暗がりの中から音を立てて飛んできたのは、スピードワゴンの帽子だった。曲がり角を器用に旋回し、ブラフォードに向かって飛来する。ツバの部分が刃となっていて、それが空気を切って音を立てていたのだ。
「子供騙しがッ!」
ブラフォードは道の右側へ身体を寄せ、帽子を左へ避けた。外れた帽子は、ブラフォードの後方へと飛び去っていく。ブラフォードがそれを目で追った一瞬、スピードワゴンが暗がりの上方から飛び掛かった。
「おりゃああぁぁーーッ! 脳味噌ぶちまけやがれーーッ!!」
ブラフォードの頭部を目掛けて、両手で握ったハンマーを思い切り横に振る。ブラフォードはその一撃を屈んでかわした。更にスピードワゴンの着地点を目掛けて、ブラフォードの剣が奔る。しかし、ハンマーが横の壁に叩き付けられ、その反動でスピードワゴンの身体は落ちる方向を変えていた。逆の壁に向かって飛んでいったスピードワゴンのすぐ脇を、ブラフォードの振るった剣が駆け抜けた。
「やるなァ、『波紋戦士』! だがアァッ!」
ボゴッボゴッ ボゴアァッ
「う、うおおあぁっ!?」
脇の壁から突然飛び出した物が、スピードワゴンの身体に巻き付いた。黒く細長いそれは、ブラフォードの長髪だった。闇の中に潜むように長く伸びた髪の毛は、岩の隙間から中へと入り込み、植物の根が固い地中を突き通すが如く、岩をえぐっていたのだった。
「あ、足がッ! うぐ、ぐえッ! 首、にまでぇっ!!」
次々と、壁だけではなく地面からも生え出す髪の毛が、スピードワゴンの首と足を絡め取った。スピードワゴンの身体は壁にくくりつけるようにされ、更に首をきつく締め付けられる。
「このまま気管を締め付ければアァ、呼吸は出来まいイィ、『波紋戦士』よオォ!」
「な、何だとォッ……」
(そ、そうかコイツ……俺を波紋の使い手だと思ってるのか……! だから帽子も避けた……チクショウもっともだ。今まで会った人間は、全員波紋の修行者だもんなぁ……ッ!)
再び剣を構えて歩み寄るブラフォード。スピードワゴンは不敵な笑みでブラフォードを睨みつけると、強い口調で言い放った。
「グッ、こっ、このスピードワゴン様をッなめんじゃねぇ! 『さっきの波紋』はッ、まだ残ってるぜッ!」
ギャルルルルルルルルルルルッ
「ハッ!」
ブーメランのように旋回し、戻ってきた帽子の音にブラフォードが気が付いた。後ろを振り返り、足で地面を蹴り上げる。打ち上げられた石が帽子に当たって、ブラフォードに向かうコースを外れた。
(今だっ!)
スピードワゴンが右手を腰に伸ばした。しかし、髪の毛の絡み付いた腕は、思うように動かない。
「小賢しい真似をッ!」
ブラフォードがスピードワゴンに向き直り、右手の剣を振り上げる。その時、逸れた帽子が松明に当たった。松明が地面に落ち、辺りを暗闇が覆う中で、スピードワゴンがもがいた。
(クッ! 間に合わねぇッ! 剣は……剣はドコに来るッ!?)
ギャンッ!
剣が振り下ろされた。
ギャッキイイィィィンンンッ!!
火花が散った。その瞬間の映像の中にブラフォードが見たものは、スピードワゴンの左肩でハンマーに止められた己の剣と、スピードワゴンの右手が握る、自分に突き付けられた見慣れない道具だった。
「ヤバかったぜ……頭を狙ってると思ったのに、そこまでハンマーを上げられなかったからな……。予想が外れてラッキーってところか……」
(違う……おれは頭を潰すつもりだった……)
剣撃の重みが、ハンマーを押し下げていく。ブラフォードは、背筋の冷たさを再び感じていた。
(松明の火の粉が腕に当たって……筋肉が反応した……そのために狙いがずれた……)
一瞬の映像の中にブラフォードは見た。自分の剣が、ハンマーに当たった部分で折れているのを。
ハンマーが、スピードワゴンの肩にめり込む。メキボキと、骨の折れる音が聞こえた。しかしそれに気を取られることなく、スピードワゴンは右手に持った物をしっかりとブラフォードの頭部へ向けていた。
「と、『取っておき』だぜ……! オメーは知らねえだろうが、これは現代の武器でね……『gun』ってんだ。この至近距離、外しはしねぇ……威力はこれから、存分に味わってくれよ……!」
「ウ、ウオォォッ……ッ!」
ドオォンンンッ!
銃声が一発響いた。
GYYYYYAAAAAAAAAーーーッ!!
絶叫と共に、壁、そして地面の中に潜り込んでいたブラフォードの髪の毛が、一斉に膨張して激しくのたくった。そしてその運動が、辺りの壁一面にヒビ割れを走らせた。
「え? な、なに?」
それは、シマの『幽波紋』が天井に穿った穴にも達して、天井全体の崩壊をも招いた。『釘』の刺さった岩盤が、音を立てて割れる。
「く、崩れる! ヒッ、ヒイイィィーーーッ!!」
「う、うわああぁぁーーッ!」
洞窟の崩れる轟音が、暗闇の三人を包み込んだ。