Last Modified : 9 DECEMBER 2005
Ultima Onlineにおける友人の家……勿論UOの世界、ブリタニアにある家……で、彼、そしてその知り合い達と過ごしていた。1人、また1人とやがて去り、そこには私と1人の知り合いだけが残った。そこで私はその方と、今までそこで花咲かせていた話題をより深めていった。それはUOとは別のオンラインゲームに関する話題だった。
暫く話していった中で、私は自分の言葉にある程度のネガティブな内容が含まれているのに気が付いた。それは私がプレイを止めてきた、そして話相手がまだプレイを続けているゲームに関するものであった為、会話を終えての別れ際にその消極的であった言葉について相手に詫びた。
あの去ってきた世界に対して、止めてきたゲームに対して、私はまだ幾ばくかの「呪い」を抱いている……この時改めて、それを自覚することになった。その世界での体験からは楽しい思い出も生まれたが、苦しい記憶も抱くこととなった。この時の私の「呪い」の言葉は、その記憶から他ならぬ「私自身」が生み出したものなのだ。
MMORPGのプレイを止めることを「引退」と表現するのをよく見掛ける。それを随分大袈裟な表現であると感じるので、私は極力使わないでいる。オフラインのゲームを止める際に「引退」というのを聞いたことはない。特別な仕事を辞めたり地位を退いたりするようなその表現を使うほど、MMORPGをプレイすることはそれ程特別なことなのだろうか。……特別、なのだろう。そう感じる人はだからこそその言葉を使っているのだろう。
MMORPGは「キャラクター」に多くのものを積み立てる。それはレベルであったり資金であったり、特別なアイテムであったり、更に進行させたシナリオだったりする。それらは多くのプレイ時間を掛けて手に入れる、ある意味かけがえのないものだ。そしてネットゲーム特有のものとして、「(ゲーム内の)人間関係」というものもある。それらを全て捨て去ることとなる「プレイの終了」は、きっとただ「止める」という言葉では表せないほどの思い切った行動なのだ。
「引退」に伴う喪失感は人それぞれだろうが、それがあることは理解出来る。私自身が体験したことだからだ。ゲームの「終わり」を自ら設定し、それに向かってプレイを続けて到達した私が、自分自身で決めていたとおりにプレイを終了したにもかかわらず、その喪失感は大きかった。だとしたら、そういった心構えのないプレイヤーが抱く喪失感はどの様なものになるだろうか。
実際、ネットゲームを止めきれないプレイヤーの話はよく聞く。引退してもすぐに復帰してしまうプレイヤー。そもそも引退自体出来ないプレイヤー。ゲームの中で積み上げられた様々なもの、それを失うことを怖れ、ゲームから離れられなくなる者は少なからずいるようだ。
その一方で逆に離れられた者の中には、かつて楽しんだゲームに対し否定的な言葉を投げかける者もいる。それは冷静にゲームを評価した結果というものもあるが、中にはとても感情的な言葉も見受けられる。私はそれを「呪い」と見る。ゲームに囚われた自らに返るべき、呪いの言葉として。
ゲームを始めるときに作るキャラクターに、プレイヤーはどの様な役目を与えるのだろう。自分自身の分身か。自分が演じる理想像か。自分の愛玩対象か。スケープゴートか。
プレイヤーが支配していた筈のキャラクターとの関係は、積み立てたものの為にいつしかその主従関係が入れ替わることがある。プレイヤーの努力と時間の投資で育ったキャラクター。そのキャラクターに更なる努力と時間の投資を促されるかのように、プレイヤーが動く。そして得たものをそのネットワーク内の世界に現出しておく為に、ゲームを止められずに続けていくのだ……現実の時間と機会を代償として。
そして何とかその事態から抜け出したとき、責任をゲームに押し付けるように呪いの言葉を発する。いや、呪いの言葉を発しながらも、未だその事態に飲み込まれている者さえいる。
だがそもそもネットゲームは……そしてネットは、ゲームは、ツールに過ぎない。道具はいつもそうであるように、使い手の素質、能力を増幅して現出させるに過ぎない。要因があるからこそ、それは増幅されて発生する。
キャラクターをゲームのシナリオ通りにプレイヤーが動かすとき、誰が何を支配しているのか。プレイヤーがキャラクターを? キャラクターがプレイヤーを? プレイヤーがゲームを? ゲームがプレイヤーを?
先程私は『全て捨て去ることとなる「プレイの終了」』と記した。だがそれは本当のことだろうか。確かにゲームの中の資産は無くなるだろう。しかしゲーム内で知り合った者との関係が途絶えるのは、ゲーム以外のツールを用いる手段で結びつこうとしないからだ。それはつまり、互いをゲームの中でしか必要としていないということではないのか。
自分は誰で、何なのか。ゲームというツールで、自分は何が出来るのか。何の為にそこに在るのか。
呪いの言葉を飲み込みながら、考えることが最近よくある。