1. 番長方面
  2. Scenes from the Memories - 目次

Last Modified : 9 DECEMBER 2005


今の私は、所謂「プレイ日記」を以前ほど冷淡な目では見ていない。

以前記したようにプレイ日記の多くはその日あったことだけをただ記し、「楽しかった〜」という感想とか、「また遊ぼうね^^」とかいった知人への私信とかを顔文字、もしくは匿名掲示板等が発祥のアスキーアートを散りばめつつ書いて、それに画面写真を貼り付けたものだ。そして第三者が読んで、面白く思えるものに仕上がっていることはまず無い。それに私は価値を感じず、自分のプレイ日記をそれ以上のものにしようと努力していた。

だがFinal Fantasy XIのプレイ日記「ドルシネア・ダイアリィ」の製作、そして「ゲームを終えた後」の体験を通して、どのような形であれ、どのような質であれ、出来事を記し残すことにはその当人にとって意義があると思うようになった。ゲームを終えてその世界を去ったとき、プレイヤー自身に残るのはその記憶だけだからだ。記憶は時と共に薄れ行く。その記憶がプレイヤーを豊かにするのならば、それをより強いものにする為に、より鮮明に思い返す為に、記録として留めておくことは良い手段だ。

しかし記憶は、人の心を暖めるものとは限らない。時に人を、苦しめる。

私は今も思い出す。あの世界、ヴァナ・ディールでの出来事を。


人との関係……ネット上でそれを絶つのは結構容易なものだ。相手と接触をしなければ良い。こちらからは声を掛けない。向こうから声を掛けられても返さない。それだけで良い。物理的に接近して実際に顔を合わせていないからこそ、それは実に簡単な手段だ。無視する際に相手の顔を見る必要も無いから、無視した相手の反応を見ないで済む。だから行使する方の苦痛も殆ど無いだろう。

それをやられたこちらは、とても苦しかった。

私のプレイ日記はネットゲームで起こること、感じたことを不特定の相手に詳しく紹介するのが目的であった為、この辺の苦しみも詳細に記した。またそこまでに至った要因となる、私と知人のすれ違いの様子も書き留めた。ゲーム内のキャラ名こそ出していなかったが、当時の仲間内が読めば記したことの幾つかは誰のことかは特定出来ただろう。

FFXIのプレイを終えても日記の更新を続けていた。多忙の為に、実際のプレイより数ヶ月から半年以上遅れて書いていたのだ。そしてFFXIのプレイを止めて1ヵ月半ほど経ったある日、以前の知り合いからメールが届いた。FFXIの中で袂を分かったその方からのメールは、私の日記の内容を批判するものだった。人の行動や発言をサイト上で一方的に晒す私の行動は、「常識が無い」と叱るものだった。

そのメールへの返答を送るのに、半月以上の時間を要した。読んでいるとどうしても腹立たしさを抑えられなくなった為だ。メールの後半にある、書き手も感情を抑えられなかったらしい部分が私の心を逆撫でしたのだ。

そこには、ゲームの中でリンクシェル……他のゲームではギルドなどと言われる、プレイヤーの集まりのこと……を抜けて彼らと別れた後の私を、蔑むような言葉があった。「常識が無い」行いは、別のゲームの中でも今回のような「ザマ」の最後を迎えるだろうと。

恐らく彼は、私が孤独と失意の中でひっそりとゲームを止めたのだと思っていたのだろう。だがそもそも、私がFFXIを止めたのは数ヶ月以前から決めていたスケジュール通りのものだった。更に私はリンクシェルを自主的に抜け1人になったが、その後でも変わらずに付き合ってくれた友人たちがいたのだ。その友人たちには強い感謝の念を抱いている。

袂を分かったが故に見てもいない筈の、私の最後を蔑む言葉。だがそれは自覚無しに、リンクシェルの仲間、彼の友人をも巻き込んで蔑むことになるものだった。だからこそその言葉が、極めて腹立たしかったのだ。

しかし一方で、彼にその言葉を吐かせたのは他ならぬ私自身なのだと考え、思い悩むこともある。私の言葉が彼をそこまで惑わせたのなら、もっと良い伝え方があったのかも知れない。どう言葉を使えば、最も良い結果に繋がったのだろうか。

人は、自分を否定すべき文句でもつて、他人を罵る、と言う。彼の言葉はもしかしたら、はね返ってきた、本来私に向けられるべき「私自身の言葉」なのだろうか。そう思うと、まるで鏡の中の自分の顔に過去を思い出すような、冷や水を浴びせられたような気分を感じて……その記憶が彼への、そして自分への呪いの様になっていると、今も思うのだ。

彼が私を知らなかったように、私もまた彼の全てを知らない。それよりもずっと、自分自身のことなら分かるのだ。ならばこの思いは、彼ではなく自らに向けるべきだ。自分をより良い方向へと向ける、糧とすべきなのだ。


FFXIでの生活を思い返す時、我がパートナーであったミスラの「ドルシネア」の背中越しの顔が笑顔を見せることはあまり無い。いつも何処か陰のある、寂しげな笑みになってしまいがちだ。

終わっても続いていくものがある。いつかこの記憶を自らの中で昇華し、自分へと返る呪いを解いて、彼女の満面の笑みをイメージの中に見ることが出来るだろうか。

私は今も、思い出す。

  • 初出 : 2005/06/02
  • 改定 : 2005/12/09

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