1. 番長方面
  2. Scenes from the Memories - 目次

Last Modified : 11 MARCH 2005


Ultima Onlineにログインして、自宅のベンダー(NPCの売り子)に商品を補充し終わった頃に、私はMSN Messengerを起動する。チャットが出来るそのソフトには、ほんの数人だけだが知り合いが登録されている。彼らも私と同様に、UOへのログイン中に Messengerを起動していて、お互いに連絡を取り合うことが出来るようになっているのだ。

そこにオンラインの友人を見つけると、挨拶でもしようかと思うのだけれど……彼等の邪魔になってしまうのではと考えると、なかなかそれが出来ない。私の場合はいつものんびりと過ごしているから、いつ呼び掛けられても困ることは無い。でも友人達はよく狩りに出掛けている。狩りの最中では、アプリケーションを切替えて返事を打つのも大変だろう。そう考えると、なかなか声を掛けられないのだ。

そんな時は一人もやもやとしながら、UOとMessengerの画面の間で視線を右往左往させてしまうのである。


ちょいと探検をしたくなった日は、2番目のキャラクターで剣の使い手のビエイの出番だ。魔法のみで戦うラベンダリスには「マナ」という弱点がある。マナとは魔法を放つ度に消費するポイントで、他のゲームで「MP」とかいうものだ。強力な魔法を2、3発放てばもうマナは切れる。瞬時にマナを回復するアイテムなどは存在しないし、戦いが1対1で済むような安全な場所はなかなか無い。ラベンダリスでは役者不足なのである。

ビエイは魔法を殆ど使えないが、剣ならそれなりに使うことが出来る。剣を始めとする近接武器は、遠隔攻撃の可能な魔法と違い、敵と密接して繰り出さなければならない。敵の打撃を受けるリスクを負いつつも、体力とスタミナ、そして剣自身の耐久力がある限り、攻撃を続けることが出来る。受けた傷は包帯を巻いて回復しながら、各種の戦闘用スキルを駆使して敵を倒し続ける。高い近接戦闘スキルと治療スキルを持つ者は、ソロでも様々な探検が可能なのだ。

冒険に行く時、私は大抵独りきりで出掛ける。大勢で行く方が強い敵もあっという間に倒せるし、包帯を自分に巻くより他人に巻く方が遥かに早いので、回復に要する時間も短くて済む。もしモンスターに殺されてしまった時も、仲間に蘇生してもらえるだろう。一々ヒーラーを探して生き返り、荷物の回収に急ぐ必要も無い。

だがそういった冒険の舞台において、私は全ての行動を、自分で制御出来ないと気分が乗らない性格であるようだ。自分の動かせない「他人」という存在が、「不確定要素」としてどうにも心地悪く感じられる。自分がやったことで起こる結果であれば、良いものだろうと悪いものだろうと納得がいく。だが自分以外の要素で起こる結果は、どうにも素直に受け止められない。なかなかうまく表現出来ないが、そんな不満を抱くのだ。

別にゲームに限った訳ではない。多くの事柄に対して、昔からこんな性格だ。私はつくづく、独りが好きな人間なのだろう。

独りで厳しい冒険を切り抜けたとき、私は大きな充実感を得る。それに対して、知り合いと共に大勢で狩りに出掛けたとき、私は倒したモンスターから収穫を得ようともせずにトークを頑張る。独りの方が楽しい狩りよりも、大勢で居ることを会話によって楽しもうとするのだ。仲間とは別の楽しみ方をしていて、もしかしたら迷惑になっているかも知れないと、時折不安を感じたりもする。

以前プレイしていたMMORPG「Final Fantasy XI」の戦闘バランスは、そんな私のようなプレイスタイルを許さない。FFXIにおいて、本格的なレベル上げの世界に入る前に私がレベル上げを放棄したのは、当然の帰結だったのかも知れない……UOで独りの狩りを楽しみながら、そんな風に考えたりもする。


友人たちの家をリコール(瞬間移動魔法)で廻る。誰もいなくてがっかりすることもあれば、友人と更にその友人が談笑していて、そこに加わることが出来たりもする。勿論そんな時は、自慢の料理を披露するのだ。冒険に興じる彼らはいつもお腹を減らしている。喜んで食べてくれる彼らの嬌声は、同時に私の心を喜びで満たすのだ。

でも独りの時は……そんな日を思い描いてお寿司を握りながら、やっぱりMessengerに視線を飛ばす私なのである。

  • 初出 : 2005/02/18
  • 改訂 : 2005/02/23

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