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  3. ドルシネア・ダイアリィ 目次

Last Modified : 14 SEPTEMBER 2004


君だけが 感じてた
悲しみや 苦しみは
つまらないことじゃなく
君だけの歌になる

「You're the only melody」(作詞・作曲:奥井亜紀、編曲:大村雅朗)より。


目指した「ゲームのプレイ日記」の形について

Webでオンラインゲームのプレイ日記を幾つも見て回り抱いた感想と、私自身が以前書いていたネットゲームのプレイ日記に対する反省から、私は「ドルシネア・ダイアリィ」をFFXI未経験者、そしてMMORPGやオンラインゲームの未経験者を主なターゲットとするように努めて製作しました。FFXI、MMORPG、そしてオンラインゲームとはどういうものなのか、そしてそこでどのようなことが体験出来るのかを、私の実体験を通して紹介するのを目的として書き記しました。

それはそうすることが、オンラインゲームを知らない人でも楽しんで読める内容になる、また何年も経って自分自身がゲームの内容についてすっかり忘れてしまった後でも、読み返して理解出来る内容になると考えたからです。そしてそれを目指して、「ドルシネア・ダイアリィ」を作成しました。

実体験を通して語るのは、現実味が大切であると考えるからです。現実的でなければ文章に説得力が伴いません。知らないことや想像上の出来事、いわゆるネタ等を書いても、余程の才が無ければ嘘臭くなるでしょう。小説家や漫画家が粘密な調査を元に作品を書くように、私が体験を現実的に書く為には実体験を元にしなければ、その文章は目標のレベルに到達し得ないでしょう。

また、「どのようなことが体験出来るのか」を伝えるのが目的ですから、例えばその内容を「楽しかった経験」に限っていては正しい紹介にはなりません。この日記は知り合い同士の交流や、同じゲームのプレイヤー間における楽しさの共有が目的ではありません。ですから楽しくなかった経験も含めて、出来るだけ全てを書き記しています。

そして「ドルシネア・ダイアリィ」を通して読者にも、読者なりのMMORPGにおける目標・目的意識を持ってもらえればと思い、その指針としてもらえるように私が持っていた目標やより良きプレイヤー像を書いています。MMORPGにとって幾つもあるであろうプレイ方法のあくまで一つになりますが……そのような意識や方法を持ってプレイすれば、MMORPGをより深く楽しめるだろうと考えています。

ただ、私自身が記事に対してこういった意識を特に強く持ち始めたのは「ドルシネア・ダイアリィ」第二部後半に至った頃で、それ以前は単なる「日々起こったことを記しているだけ」という作りに近いように思います。まぁ、大抵のゲームのプレイ日記では、最初の方はプレイヤーが知らないことを知っていく、考えて憶えていくという刺激的な過程が書かれていてまだ比較的面白く読める段階です。「ドルシネア・ダイアリィ」においてもそのように読めるかも知れないからオッケーかな、と思っています。


四部構成について

当初「ドルシネア・ダイアリィ」は、現在の様に四部構成の形式をとっていませんでした。各エピソードが日付順にずらっと並べられていただけでした。

エピソードの数が100近くなってきた頃、今でいう第二部の終わりを迎え、それはドルシネアの大きな区切りとなりました。100以上になるエピソードがただ並んでいるというのも、見た目冗長な気がします。日記を読み始める「取っ掛かり」が少ないようにも思います(最初から読まなければならないということは無いでしょう)。そこで内容の区切りとなるところで「部」として分ける構成をとることにしました。

冒険者として大きな区切りとなるジュノ上京までを第一部。冒険者として勤め、成長し、そして辞するまでの第二部。冒険者を辞めて最後の目標までを歩む第三部。文章を読み返し、その様な三部構成に分けることとしました。三つの部それぞれにタイトルを付けてみると、「母(Mother)」の元から「ヴァナ・ディール、世界(Vana-wide)」に旅立ち、そして「天国(Heaven)」までに至る、と徐々に広がる形になりました。我ながらこりゃなかなかいいですなぁと一人ごちていたのですが……よもやその後に、更なる目標「マロングラッセ」を目指すことになろうとは思いもよりませんでした。

結局、「天国」後が第四部ということになりました。タイトルは「天国」の先を思い浮かべることが出来なかった為、それまでの広がっていく流れとは関係ないものに。全201エピソードがそれぞれ50前後で四つに分かれたのは偶然ですが、綺麗に纏まったかなと思っています。

日記の内容は、結局レベル上げを放棄した第三部から第四部に及ぶ長い時間が「ドルシネア・ダイアリィ」の半分以上、期間にして半年にも渡る事となりました。レベル上げをしないFFXIプレイ日記というのはごく稀でしょう。これはこの日記独自の特長、数あるFFXIプレイ日記の中でも異彩を放つ売りになる、と考えました。書籍化された、永田泰大氏による人気の高い「ファイナルファンタジーXI プレイ日記 ヴァナ・ディール滞在記」が更にプレイが続く中で記事を終えているのに対して、「ドルシネア・ダイアリィ」はプレイの終了まで書くことが出来たのは、大きな違いを出せてなかなか良いなと思いました。何を勝手に対抗意識を燃やしてるんだとかも思っています。

冒険者を辞めてからは、自分なりの、自分にしか出来ないプレイを心掛けていました。そしてそれを伝える為に「ドルシネア・ダイアリィ」の中に込める思いも強くなっていきました。「サブタイトル元ネタ解説」で紹介しているキーワードが増えていったのもその為です。特に第四部はそれ以前の部、特に「終わり」を求めるという点で内容が重なっている第三部との差を強くする為に、読者に引かれるんじゃあないかという位に幾分大げさになるよう意識して、思いを込めた文章を書いています。四部の終わりに書くことになる「削除」に関するエピソードに向けて、「D」で始まるサブタイトルを多く使ったのもその一環です。


プレイ日記に記された幾つかの問題点について

前述した通り、「ドルシネア・ダイアリィ」ではMMORPGにおける体験を読者……FFXIの知り合いだけではなく、読んだ人全て……に対して伝えるのが目的であったため、楽しかったこと、楽しくなかったことも含めて、出来るだけ全てを出来るだけ有りのままに書くように心掛けました。しかし残念ながらその一部が、「ドルシネア・ダイアリィ」内で書かれた一連の「破断」を引き起こした主な原因になっているものと思われます。関係者に対して、あまりいい気持ちを抱かせなかったのでしょう。

これについては、「ドルシネア・ダイアリィ」について私が伝えられなかったところや、目的を理解してもらう為の努力が不足していたのだと思います。伝えたところで賛同して貰えるとは限りませんが、もっと多くの声を聴くことが出来ていればと今は思っています。そうすれば、双方の関係や「ドルシネア・ダイアリィ」自体がより良い方向に進んでいたかも知れません。

意思の疎通といった部分だけではなく、「ドルシネア・ダイアリィ」では私自身の行動の中に好ましくないところも見受けられます。例えば7月13日付けの記事「ジャグナーの逃走劇」においては、敵に襲われているところに駆け付けてくれた人に対して、私はさも「何も言わなくても助けてくれて当然」というような態度を取っています。「助けてください」と声に出すのが筋というものでしょう。

「伝えなければ伝わらない」というのを日記内でも何度か使いましたが、ネットゲームにおける人間関係では意志伝達のさじ加減の難しさを特に痛感させられました。ですから今は、多くの人がネットワークを通じて得たその巡り逢いを、ネットワークを使ってより良く発展させられればと思っています。


「Final Fantasy XI」について

私は現在、FFXIとは別のMMORPGをプレイしています。その中で、知り合いとの会話の中にFFXIの話題が上ることが何度かありました。現在運営されているMMORPGの中で最高級の画像、音楽を有し、「Final Fantasy」のネームバリューを持ち、既にとても多くのプレイヤーが参加しているFFXIはやはり強い関心を引き、プレイしてみたいと思わせるようです。

そういう方たちに対して私はいつも、「お勧め出来ない」という消極的な意見を送っています。FFXIは非常に多くの時間と手間をプレイするのに必要とするからです。FFXIには時折「仕事」と表される雰囲気があります。開発者によって作られたゲームバランスと、プレイヤーによって作られたゲーム内の慣習によって、非常に強い束縛がゲーム全体を締め付けているように感じられるのです。

私はそれらを嫌ってかなり低い段階でレベル上げを止めてしまったので、「ドルシネア・ダイアリィ」にはその辺をあまり詳しくは書きませんでしたが、例えばAmazon.co.jpのカスタマーレビュー等でもその辺のプレイヤーの不満は見て取れるでしょう。加えて現在は「言語の壁」もやはり存在します。海外プレイヤーとの交流の中で、言葉の不自由やゲームに対するスタンスの違いから来るストレスを感じる人は多いようです。

そういった理由から、私はFFXIをお勧めしません。

とは言え。

面白きこともなき世に面白く
住みなすものは心なりけり

上の句:高杉晋作、下の句:野村望東尼

私がレベル上げを止めても暫く楽しく過ごせたように、人それぞれに合った方法があると思います。FFXIではレベル上げに沿って様々なミッションやクエストが用意されています。それは目的としてとても分かりやすく、そして魅力的な道ではありますが……それ以外の道を歩くという方法があることを、「ドルシネア・ダイアリィ」では示したつもりです。上記のようなFFXIのマイナス点を吹き飛ばすように自由奔放な、豊かで楽しいFFXIのプレイ日記がもっと見られれば良いと私は思っています。

プレイヤーと、そのパートナーであるキャラクター。その二つの魂が出来るだけ多く、より良き終わりの形へと辿り着けますように。

画像・ウィンダスにて調理中のドルシネア。
そしてドルシネアは、今頃きっと……。

2004/09/14、改訂。


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