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Last Modified : 10 JANUARY 2004


終わりのないのが『終わり』

それが『ゴールド・E(エクスペリエンス)・レクイエム』

「ジョジョの奇妙な冒険」第63巻、ジョルノ・ジョバァーナの台詞より。


浪費していくもの

この日、ジュノでパーティを組んだ我々はバタリア丘陵へレベル上げに行った。そしてそれから戻り、ジュノのモグハウスで一息ついていたドルシネアの元に、FlさんからTellが届いた。Flさんは、同じパーティに白魔道士として参加していた。

Flさんは狩りで取得できた経験値の低さをほのめかした後で、ドルシネアが受け持ったモンスターを引き連れてくる「釣り」におけるより良い方法を助言してくれた。釣りを受け持った者はパーティメンバーがより多く経験値を稼げるように、テンポ良くモンスターを釣ってくることが最大の役目となる。前向きに反省しつつ、その日はログアウトした。

だが翌日になって気分は落ち込んだ。昨日の狩りの稼ぎの悪さは、当然他のメンバーも感じている筈。そうすると私は、彼等に「釣りの下手なシーフ」という印象を抱かれたのかもしれない。ジュノに戻って最後に「またよろしくー」などと言って別れたけれど、「こんな稼げないシーフとはもう組まない」なんて思われていたりするのかもしれない。

もう一つ、この時のパーティでは気になったことがあった。それはまだジュノの最上層、ル・ルデの庭でメンバーを捜していたときのことだ。前衛不足で悩んでいるときに、探していたある人がこう言った。
「レベル26の竜騎士発見!」
「あ、でもタルタルだ……^^;」
この時慌てて「いや、でも組んでみると面白いかもしれないよ」と、フォローになってないフォローを入れたのだけれど。

種族によるジョブの向き・不向きは、確かに大きな要素として存在する。魔道士としては豊富なMPを持って活躍できるタルタルであるが、前衛としては低い攻撃力、防御力のために不利となる。それ故、パーティに誘われる確率は他の種族よりも相当に落ちるようだ。後にフレンドとなる知人にはタルタルでモンクを生業とする方がいるのだが、モンクの時は数時間待ってもパーティに誘われないのに対し、魔道士の時はすぐに何件もの勧誘Tellが届き困るので、ジョブを隠す非公開状態にしなければならないそうだ。その極端な差に寂しさを感じているようだった。

キャラクターがタルタルの前衛だからといって、そのプレイヤーを吟味せずに判断を下すことはしたくない。しかし狩りの効率を重視するために、キャラクターで判断するというのはあるのだろう。レベルが上がるに連れその様な状況が多くなると聞いていたが、やはり実際に目の当たりにすると、余り気分のいいものではなかった。そもそも、今集まっている後衛のタルタルさん達にも、メインのジョブは前衛である人がいないとも限らない。

結局そのタルタル竜騎士さんを加えてパーティが完成した。私が釣りに苦労しているときそのタルタルさんはモンスター探しを手伝ってくれた。後衛の側に立って動かなかったもう一人の前衛さんよりも、私はタルタルさんにいい印象を持ったものだ。

パーティを組むだけでは駄目だ。効率を上げる努力が必要らしい。パーティに参加するだけでも大きな緊張・ストレスを感じているのに。自由に動きたい時間を浪費しているというのに。レベルを上げるのに、どれほどの労力を割かねばならないのだろうか。正直、溜め息が出た。


完成のドルシネア

そもそも、レベルを上げることに対しても不安と不満を感じていた。それはレベル30から、シーフはパーティにおいて新たな役目を担うからだ。

レベル30で覚える新たなジョブアビリティに、「だましうち」というものがある。これを不意打ちと共に用いてモンスターに打ち込むことで膨大なダメージを与え、更にモンスターの関心(怒り、Hate)を別人に強く与えることが出来るのだ。

そのアビリティの使いこなしへの不安もあるのだが、それに加えて私の持つ「シーフ像」との剥離を感じて、それが不満となっているのだ。何故シーフが強大なダメージ源となるのか……他の前衛を差し置いて。不意打ち、そしてだまし打ちを当てるには、他のメンバーの強力が不可欠だ。決してシーフ単体で大ダメージを与えるのではない。しかし……私の抱くシーフのイメージは、その様な存在ではないのだ。

もっと細々とした小手先のテクニックで敵を翻弄する、そして戦士達の助力となる……それが私の抱くシーフのイメージだ。モンスターを釣ってくるのはそのイメージに合っている。しかし、戦士達のウェポンスキルの後に連携の締めを努めるような仕事をするのは、そのイメージには合っていない。むしろ戦士と戦士の間を繋ぐウェポンスキルを流す、そんな位置にありたいと思う。だが、今のシーフはそうではない。そしてレベル30以降のシーフも……モンスターのHate管理という役目はともかく……やはり違う。

レベル15で「不意打ち」を得た。一撃の快感を味わえるこの能力はとても好きだ。レベル25で「とんずら」を得た。人を助け、自分を助ける待望の能力だった。レベル5で得たのは「ぬすむ」。シーフらしい能力でこれまた楽しい。レベル15で得たジョブ特性は「トレジャーハンター」。敵を倒したとき、アイテムが出やすくなるというもの。まぁ、これはオマケ。私としてはなくてもいい能力だが、シーフというジョブの性格付けとしてはあってもいいだろうと思う。

こう考えていくと、これ以上欲しい能力が私には無かった。シーフ・ドルシネアとして与えたい能力は、既に全て持っていた。ドルシネアは、もう完成していたのだ。

……私は一体、何のためにレベル上げをしているのだろう。


新たなる幻想の風

この頃、「True Fantasy Live Online」(以降、TFLOと表記)に関する新たな情報が公開された。TFLOとは、家庭用ゲーム機・Xboxで2003年中の発売が予定されているMMORPGである。

去年からこのゲームの情報は少しずつだが流れていて、当時「Phantasy Star Online」(以降、PSOと表記)をプレイしていた私はPSOの次にプレイするオンラインゲームはTFLOにしようと心に決めていた。しかし、PSOに対する失望とTFLOの発売が延びていたことなどから、いわば「中継ぎ」と言った形でFFXIを始めたのだった。

FFXIとTFLOの最も大きな違いは、システムの根幹が「レベル制」と「スキル制」という相違点にあると言えるだろう。FFXIはレベル制のシステムであり、戦闘の技量、調理や木工、釣りの技量などのそれぞれの要素が独立して存在し、それぞれのレベルを上げていくことで腕を磨くことが出来る。だから戦闘、調理、釣り等々、全ての技量が最高の最強キャラと言うべきものを作り出すことが出来る。

対してTFLOは、全ての技量が合わせて管理されるスキル制を取っているとされている。スキルの総合値が決まっているのである。だから戦闘の技量を上げていくと調理や他のスキルは上げられなくなっていく。逆もまたしかりだ。全てを一人でこなす完璧なキャラクタは、システム的に存在し得ない。それは自然と、キャラクタの個性を生み出していくことになる。……そこに私は大きな魅力を感じている。

また、TFLOの公式サイトにはこの様な文面が書かれている。

この世界にはさまざまな楽しみ方が満載です。戦いたくなければそれもいい、武器職人になって究極の武器を作るもよし、釣り人として平和に暮らすのも悪くない・・・。

戦うことを強制されない作りになっているようなのである。これを信じるとすれば、フィールドに出てモンスターを倒し、レベルを上げることが大切なFFXIとはこの点も大きく異なる。のんびりとした生活を送れそうで、今から期待に胸が膨らむ。

公開された情報と画面写真を楽しく見ながら、TFLOの世界に身を躍らせる日を思い描いた。去年はサービス開始が今年の春と言われていたりしたのだが、これはまだまだ掛かりそうだ。2003年の年末ギリギリというところだろうか。まぁ、当初の計画よりもかなり大規模なゲームとなるようなので、致し方ないか。年末のサービス開始と予想すると、事前に行われるであろうベータテストは9月……遅くても10月には始まるだろうか。

「ベータテスト」とは、発売前の完成直前ソフトを広く配布し、試験的にゲームを運用するものである。これにより数千人規模のユーザが参加した場合のシステムに対する負荷を測定したり、その状況下での問題やソフトの不具合を見つけ出したりする。製品の質をより良くするために、オンラインゲームでは大抵行われるものだ。勿論、FFXIでも行われたし、TFLOでもそれを予定しているようである。そして私は、TFLOのベータテストに参加したいと思っている。

そこまで考えてはっと気付いた。いや、思い出したというのが正しいだろう。最初からそのつもりだったのだから。

私はTFLOに参加する。そしてその際、FFXIのプレイを終える。どちらも並行して行う気はない。どちらも続ける時間は取れないだろうし、それがキャラクタに対するけじめでもある。

はっきりと自覚した。数ヶ月後、TFLOのベータテストへの参加と同時に私はFFXIを終了する。つまりドルシネアは、あと数ヶ月でヴァナ・ディールを去るのだ。


Born to be free

唐突に自覚した「終わり」。そしてそこに至る残された時間。その時間で私がやるべきことは、ドルシネアがやるべきことは何であろうか。

限られた時間を浪費しながら、苦痛伴うレベル上げを行うか? 仲間とレベルを合わせ、パーティを組むためのレベル上げを。しかし仲間と共に遊ぶのは、何もレベル上げだけじゃあない。先日の、パルブロ鉱山でのグール狩りで知った。レベルが離れた仲間でも、集まって一緒に遊ぶのは充分楽しいということを。

そして何より、ドルシネアは完成している。これ以上のレベル上げは、余計に派手な装飾をドルシネアに施してしまうようなものだ。それよりも、調理のスキルを上げていきたい。まだまだ色んな物を作れるようになりたい。釣りのスキルも上げておきたい。出来れば錬金術のスキルも。これらを上げることで、ドルシネアに更なる深みを与えたい。

ドルシネアが今も肌身離さず持ち歩く物がある。「毒消し」だ。それをいつもバザーに出している。そしてバザーコメントには「ドルシネアの おもに毒消し屋」と記したままずっと過ごしている。売れやしないが構わない。決して止めない。

それは、「毒消し屋」という個性をドルシネアに与えたいからだ。この世界におけるドルシネアという存在の意味を、はっきりと確立させたいからだ。「一人の冒険者」ではなく、「毒消し屋ドルシネア」でなければならないと思う。ドルシネアがこれまで歩んできた証であり、それが故の存在の意味なのだ。

そしてそれは、「冒険」から離脱して「日常」を作り出すキーワードでもある。ともすればひたすら冒険をこなしてレベルを上げることに執着しかねないこの世界において、平安な日常を送っていると宣言する……「毒消し屋」はそんな意味合いで名乗るキーワードだ。「毒消し屋」を止めることは、ドルシネアが普段送っているであろう日常を放棄することになるのだ。

PSOには通常のモードの他に、制限された条件下でクリアを目指す「チャレンジモード」というものがあった。しかし私はそのモードを殆どプレイしなかった。その理由は、「冒険が過ぎるから」という感じだ。クリアタイムを競うようなことをしたくなかったし、失敗してクリアできないという状況も味わいたくなかった。もっと気楽に、通常のモードを散歩するように楽しみたかったのだ。そう、一時期ウィンダスとマウラの往復を楽しんでいたときのように。それがPSOにおいて私が求めた「日常」だった。

オンラインゲームには、冒険を求めずに日常を求める。だからこそ私は、TFLOに行きたいと思っている。FFXIにおけるレベル上げという冒険、ミッションという冒険から解き放たれたい。カウントダウンは続いている。ドルシネアに残された時間を自由にして、他の大切なことを始めよう。そして何処で終わるかを探そう。納得して終える形……どう終わるかを探そう。

私はレベル上げを止めた。ドルシネアは、冒険者を辞めた。

第二部 「Dulcet Wind flows Vana-wide」 完


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