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山本七平語録

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リーダー論

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「組織的家族」と「世話人型指導者」
『日本的発想と政治文化』
p178~182
「組織的家族」とは私の造語だが、この形態は徳川時代の商家から現代にまで通ずる一つの形態である。徳川中期の江戸・大阪等の大都市は、もはや「大家族主義」ではない。これは、フィリピン等に根強く存在している大家族制とは別で、ある目的をもった組織が「擬制の血縁集団」として組織化されている形態である。これは「親分・子分・兄弟分」で組織の内部が規定される集団から戦前の日本軍にまで明確に見られ、この戦闘のみを目的としそれに対応して構成されたという意味で、非常に単純明快なはずであるべき組織が、実は、「家族集団」として規定されていたことである。これは軍隊内務令の「兵営ハ和気蕩々タル軍人ノ家庭ニシテ……」という公式の定義にはじまり、「中隊長を父と思い、内務班長を母と思え」という伝統的な訓旨までを貫く一貫した考え方である。そして戦闘集団という外面的組織はこの家族集団という内実を基盤としてその上に乗っており、この内実が崩壊すれば、戦闘集団という機能を失って、潰乱状態になってしまう。したがって指揮官は否応なく「世話人型指導者」ならざるを得ない。そしてこの間において完全で、しかも指揮官―すなわち戦闘面の指導者―として優秀なら、それが理想的な指揮官といわれたわけである。 この一種の「二重組織」は、ある情況では異常ともいえる強さを発録しうる。そしてこの原則は、軍隊でも政党でも会社でも同じで、たとえば共産党という設も理論的な政党でさえ、家父長的世話人型指導者が出て、その「家族集団的内実的組織」を把握して、これを外面的組織の「当面の目標」へ対処させたときに、その組織が急激に伸張して大きな影響力をもちうるという面にも現れている。そして企業を例にとれば、戦後、奇跡的成長をとげた企業のほとんどすべてが、この「組織的家族型」企業である。数年前”経営学ブーム”のときの”陰の声”にも、「何やかや言っても日本では、そういう”経営学”を無視した伝統的家父長型経営が最も成長率が高い」という事実の指摘があった。また、西欧の経営学を排して、”人間的経営学”の名でこの行き方を徹底的に進めている経営者もいる。
確かに結果はそうであろう。ただこの行き方が一つの成果を得るには、この考え方を生み出した背後を探らねばならない。それは、「天の時、地の利、人の和」を前提とする伝統的考えを基盤としているはずである。これは「国際環境、立地条件、世話人型指導者」とおきかえてもよい。確かにいわゆる経済成長峙代は、国際環境は「天の時」であった。同時に、海洋国家・臨海工業地帯という立地条件も「地の利」であった。残るのは「和」だが、この「和」も国際環境で保証されているがゆえに、日本は、内部的には実質的には危機も崩壊もなかった。・・したがって指導者は、この前提に立って「和」を計る「世話人型指導者」として、この環境に完全に即応することが、第一条件とされた。(中略)
ただこの種の指導者は、本当の新事態には対処できない。・・・この考え方は、基本的前提の不変を当然としているからである。したがって一見新事態に対処できたように見える場合も、実はどこかに、すでに「構成されたモデル」があり、モデルがすでに存在するという意味では、それは、新事態ではないからである。そしてこれが真の新事態に遭遇したときこれから故意に目をそらせる結果になり、そのため新事態に機敏に対処できず打撃をうける。するとこの打撃に耐えるためただただ組織の維持強化にのみ専念する形になり、ますます世話人型に徹し、それのみに没頭する結果になってしまう。これがはっきり現れているのが末期の大本営で、通常事務の形式的な決済の機関としてしか、作用しなくなっている。一方、組織内の家族集団的団結は、これによってますます強固になり、強固になれば柔軟性が欠如して硬直化し、そのため新事態に対処しうる組織からますます遠ざかる。そして最終的にはこの機能しない組織は、植物組織として、倒壊の直前まで厳然と存立するという結果を招来する。ただこのときは組織自体は無目的集団となり、当面の目標さえ設定できず、危機を感じて個人的に努力する者がいれば、その努力は組織の破壊にしかならない―これが日本車の末路であり、国鉄の現状である。
 『日本的発想と政治文化』という本は、昭和54年今から約30年前に発行されたものです。山本七平はこの頃から日本の組織形態の特徴を、「組織的家族」という言葉で説明していました。
この頃、国鉄はモータリゼーションの進展による鉄道利用の減少、新幹線の建設費による過大な設備投資、地方ローカル線の赤字、さらに労使関係の悪化や経営の非効率等により膨大な累積債務(約30兆円)をかかえ立ち往生していました。
国鉄がどうしてこのような機能不全に陥ったのか、山本七平はこの本で、日本においては、一定の目的のもとに人為的に組織された機能集団が「擬制の家族集団」として組織されるため、社会の環境変化に対応して組織の改廃をすることが困難となり、組織が硬直して破綻に至る傾向があると指摘したのです。
こうならないためには、時代の変化や組織の現状を的確に把握し、世話人型指導者の下に一致団結して、新しい環境に対応しなければなりません。しかし、国鉄の場合は、労使関係の悪化から組織が硬直化して柔軟性を失い、時代の変化に対応した組織の改編ができず、経営的に破綻してしまいました。
この時、国鉄は、従来の「公社」組織という「基本的前提」を維持したままでは解決できない深刻な問題を抱えていました。そのため、内部の組織強化策はかえって職員間の軋轢を増す結果となり、結局、政治の力によって強制的に「分割民営化」されることになりました。
山本七平は、旧日本軍の場合も、「家族集団」として運営されていたことを指摘し、それは、世話人型で優秀な指揮官に恵まれた場合には異常な力を発揮するが、米軍という、いわば「基本的前提」を異にする敵に直面した時、これに有効に対処しえずもろくも崩壊した、といっています。
「組織的家族」の植物化からどう脱却するか
『日本的発想と政治文化』
p183~185
 以上のことはもちろん宿命ではない。ただこれが一種の宿命のごとくに見えるのは、自分たちの行き方を整理して再把握することをしないから、宿命のごとくに見えるだけである。もちろん、このことに気づいた人は、早くも明治の中ごろにいた。
三宅雪嶺は明治二十一年、雑誌『日本人』を創刊し、また『偽悪醜日本人』『真善美日本人』を著した。後者の序文に彼は「日本人とは何ぞや。日本の人なり。日本の人とは何ぞや。吾れ答うる所以を知る、吾れ答うる所以を忘る。日本人、日本の人、黙して想えばその意義ありありとして幻像の如くに限前にちらつけど、□を開けばたちまち忽焉として影を失う」と記している。いわば、日本文化における自己把捉のむずかしさの告白であり自己表現の至難さの告白である。だが自己の表現ができない限り、人問は自己の現況から脱却できない。一言でいえば進歩はあり得ない。もちろん模倣はありうるが、模倣は、実際は退化にすぎない。
したがって現代の指導者に求められることは、どのように自己を把握して、雪嶺が示したような状態から脱却し、新しい「当面の目標」を設定するかということなのだが、現実にはそうなっていない。多くはその解決を過去と同方向に求め、組織の一部が植物化しても「人の和」を重んじ、「時の勢い」が好転するまで持ちこたえようという姿勢になっている。おもしろいことに、頽勢に入った日本軍も同じで、無目的な長期持久を持ちこたえるため、ただただ「結束」を求めたが、これでは「無用の植物組織」が重荷になり、新事態には対処できなくなるが、その際、もしこの無用の部分を切りすてたなら、総崩れ現象が起こるであろうという恐怖から、指揮官は逆にそれができなくなる。陸軍、国鉄、ノーキョーはほぼ同じ経過をたどっているが、企業とてこの要素が皆無ではない。だがこれを持ちこたえたところで「成長時代」の体制をそのまま永久に維持しつづけることが不可能なことは、その指導者も組織の構成員も心底では理解している。これでは、どこかから”天皇”が現れ出て来て”終戦”を宣言し、一億ならぬ”一社号泣”で倒壊するまで、徐々に植物化しながらも、組織的家族はそのまま存立しつづけるかもしれない。

日本の企業群の陥穿
言うまでもないが企業内潜在失業者の存在は、単なる経済的負担の問題にとどまらず、組織そのものを半身不随にし、その結果、逆に指導者ないしは指導力を排除してしまう。これは末期の日本軍に顕著に表れた傾向で、多くの戦線では、実際に戦闘ができる戦闘師団が何個あったか、今ではまるで謎である。たとえば中国を例にとれば、「在支百万」といわれながら、実際に機動力をもつ戦闘師団は一一六師一個師団のみという。しかもこの師団は衡陽攻略で大損害をうけ、砲兵と重火器は完備していない。一方満州では、現地召集も含めた膨大な兵員かおりながら実際の戦力は六個師団に満たなかったという。それでいて、本土防衛・南方総軍を合わせれば総兵力は最盛時に七〇〇万だが、そのほとんどが植物組織化して、占領地の各地に釘づけになっていて、まったく機能し得なくなっていた。いわば組織内に「潜在失業兵士群」をかかえ、これが逆に、あらゆる面、たとえば給与・補給等々の重荷となる。同時に、兵器を総花的に配給するから、ネグロス島などには兵員二〇〇〇名、小銃七〇挺という驚くべき例まである。こうなると、その七〇挺さえ活用できなくなる。日本の企業群も一歩誤れば、同じ事態を招来する体質をもっている。
 山本七平は「自分たちにとって宿命と思えるような問題でも、自らの生き方を再把握することで、それを克服することができる」と繰り返し主張しました。
日本人の組織の植物化という問題点も、その基本的特性が「組織的家族」という伝統から来ていることが判れば、その長所を生かしつつ欠点を克服する方法は必ず見つかる、というのです。
彼は、こうした考え方を、自己把握ができないまま崩壊した日本軍のその断末時の悲惨を紹介しつつ、その失敗を再び繰り返さないためには、その背後にある日本人の思想的弱点を克服する必要があると説いたのです。
ただそうはいっても、この日本文化の自己把握ということは、大変難しい。そこでこれを「日本教」という概念を用いて解き明かしたのが山本七平でした。そして、その「日本教」支える中心的な考え方が、「人間性」に対する信頼だと指摘しました。
おそらく、この「人間性」に対する信頼が、特定の目的を持って組織された機能集団を共同体組織(=「組織的家族」)に転化させているのではないかと思われます。しかし、この組織は共同体組織としては大きな力を発揮しますが、運営を誤ると、逆に無目的な植物的組織と化す危険性をはらんでいます。
そこで問題となるのが、この日本的組織におけるリーダーシップのあり方です。その基本は、実力主義を基本として幅広く人材登用を行い、社会経済環境の変化に対応して新たな目標を設定し、それに従って組織の解体・再編をスムースに行うことのできる、人望ある世話人型リーダーということになります。
アメリカのまねはできない
『日本的発想と政治文化』
p185~187
一体これをいかにすべきか。これに対して、しばしばアメリカの企業の例がもち出される。簡単なレイオフと指導者の更迭、組織の解体と再編が、事態の変化とそれに基づく「当面の目標」の変更に応じて実に簡単にできると。確かにその通りなのである。これは軍隊でも同じで、マッカーサー罷免の例に見られるように指揮官は簡単に更迭でき、不必要な部隊はすぐ解編し、新しい「当面の目標」に応じうるように総合的に再編成できる。したがって、前線のどこにも、また社会のどこにも、植物組織は存在しないし潜在失業者群はなく、それらは社会や戦場に顕在するから、労働力の必要なものはすぐこれを吸収できるし、兵力は常に有効に再組織して集中的に「当面の目標」に向けうる。なぜこれができないか。以上のことはしばしば指摘された。確かにこの通りだが、これは「年間求人率三〇〇パーセント」の社会構造を基とし、その組織は、「時の勢い」に乗って「超人的な能力」を発揮することはしない。また、すぐばらばらになるから、指揮官ともども最後の一兵まで持ちこたえて全滅するまで頑張り抜くこともない。
彼らにとって、組織はあくまでも組織であって「血が通ってはいない」。通っているのは契約だけである。したがって、そのやり方を見ていると、たとえば、ピラミッド型組織の頂点の部分を切りとって、別のピラミッドの頂点を移しかえるようなことを平然とできる。マッカーサー解任もその一例だが、こういう例を戦史で探せばいくらでもあり、下級指揮官の場合は、”事件”ではなく一つの”日常性”にすぎない。しかし、日本で果たしてこれが可能であろうか。可能ではない。理由は簡単、組織的家族は組織のように目的はもっていても、本質的には家族だからである。そしてこのことは、最初に記したように、西欧・アメリカの宗教団体でも、同じように不可能であり、日本の場合は、徳川時代の大商人でも不可能である。
したがって前述のようにレイオフは日本では簡単にできない。これは組織的宗族では当然であり、勘当か破門同様に本人が受けとり、社会もそう規定するからである。したがって日本には正当解雇という概念はが在せず、解雇はすべて不当になり、そして不当な扱いをうけた者は犠牲者とされる。だがそのことは、裏をかえせば欧米にはない企業への忠誠心があり、日本の秩序維持の基本もある。あまり指摘されていないが、日本の都市の安全の基礎は非違行為が組織的家族の処罰―勘当・破門―に通ずることが大きく抑止として作用している。と同時に、ロッキードのコーチャン前副会長のような態度を、自己の所属する企業に対してとるトップは存在し得ない。そして、日本においてこの態度を要求する者でも、実は、自己の属する組織的家族に対しては、それを行い得ない。良い例が新聞であろう。
 西欧の近代社会は、伝統的な共同体社会と、一定の目的の下に合理的に組織された利益社会とが分離した、いわゆる「二元社会」であるといわれます。
前者は、それ自体として存在し、何らかの目的に対応して機能しているわけではありません。一方後者は、特定の目的を持って組織されるもので、近代産業社会においてはここが労働の場となります。
そして、人びとは、まず第一義的に、人生の場としての共同体社会に属し、そこから、利益社会に出て行き、一定の労働契約を結んで自分の労働力を産業資本家に売り、その代償として賃金を得て生活しています。
ところが日本の場合は、前述したように、機能集団が共同体に転化しているため、社会経済環境の変化によって、その組織の存在意義がなくなっても、組織の存続そのものが目的となり、組織の解体・再編が困難になることがあります。
これが最も悲劇的な形で現出したのが、大正末期の四個師団廃止いわゆる宇垣軍縮です。これは軍の近代化のためには必要な組織再編だったのですが、あたかも家族集団が消滅させられたかのような衝撃をもってうけとられ、軍の政党政治に対する不信を生む大きな要因となりました。
組織の非合理性からの脱却
『日本的発想と政治文化』
p187~189
社会は無目的ではない。それは一見そう見える徳川時代の村落でも組織は常に目的をもっている。ただ、何を目的としているかが把握できないから、どこに「当面の目標」を設定すべきかさえ不明だと言うだけである。ところが一九六〇年代でも、池田勇人の登場まではやはり不明であり、彼の目標は「安保問題から目をそらす」方便として、少なくともマスコミには冷笑的かつ警戒的に迎えられた。しかし少なくとも彼は、人びとの心に潜在する欲求を顕在化して、具体的な明確な目標として示し得た。そこで、その目標へと人びとをリードする指導者であり得た。「指揮官は明確に目標を示せ」は、指導の原則であり、それを示し得ないものは指導者ではあり得ない。そしてこれだけは、過去も現在も変わりはない。
「当面の目標」とは何か
では現在の日本に潜在する欲求は何かのか。一言でいえば、非合理性からの脱却である。さまざまな言論は「合理化反対」で、いわゆる”人間性回復”を訴えているが、世話人型指導者の長期の存続は、「和」のための非合理性の累積となっていくことは否定できない。一時は ”高く評価された”「和」のための企業内潜在失業者の存在も、その非合理性が、逆に手伽足枷となっており、同時に同じような問題は社会のあらゆる面に出てきている。いわば摩擦と衝突の回避があらゆる面で不合理を生み出し、それが社会全般で、恐るべきコストになり、各人がこの無駄な負担に耐え得なくなるであろうことは、すでに人が気づきはじめている。だが、そうなればなるほど、ますます、世話人型による摩擦回避となるこの悪循環に対して人びとは待望と諦めに似た感情をもちつつも、「何とかしなければ・・・」という型で、一つの合理性を求めていることは否定できない。
新たな戦後世代と日本の国際化、過去には考えられなかったような諸外国との接触は、組織的家族の中に「和」よりも合理性を求める結果にもなっているであろう。おそらくいま求められている指導者は、不合理な植物組織を安楽死させ、これを解体して、速やかに合理的な組織に再編成しうる方法をもっている人なのである。多くの人は、明治以降から何度か体験した「倒壊の前日まで厳然と立っている組織的家族」が一瞬にして崩壊するショ。クよりも、部分部分の、徐々なる解体と合理的再構成が速やかにできるよう、目標を設定して方途を示す指導者を要求しているであろう。
 この論評は、戦後の高度成長が昭和49年の石油ショックで一段落し安定成長期に入ったとされる昭和54年に書かれたものです。当時は、本カテゴリーの初めに述べたように国鉄の経営破綻とそれに伴う組織再編のあり方が大きな問題となっていました。
では今日ではこうした問題はクリアーされたのでしょうか。最近の社会保険庁や郵政民営化等の問題を見てみると、依然としてこうした「組織的家族」の合理的再編という問題は容易なことではなく、指導者の強いリーダーシップなしには不可能であるということが判ります。
また、これは単純に「組織的家族」を解体し非正規労働者を増やせばいいという問題でもないようです。それは大きな社会不安を招く恐れがありますし、かといって、個々の会社が組織内失業者を多数抱え込むということもできません。ではどうすればいいか。
おそらく、この問題の解決法は、正規労働者と非正規労働者の処遇を、同一職務についてできるだけ縮めていく、それによって労働市場の開放性を高めると共に、すべての労働に失業保険、社会保険、年金制度等を適用し、「組織的家族」としての特性を、企業の枠組みから社会的枠組みに拡大する方向だと思います。
それによって労働需給の総合調整を図ることができるようになりますし、また、自分に適した職業を選ぶこともより容易になります。また、自助努力によって自分の労働の価値を高める必要もでてきます。さらに、勤労者のニーズに対応した多様な勤務形態も提供することも可能になります。
「肯定的戒名」より「否定的戒名」
『日本的発想と政治文化』
p221~222
おわりに
いずれの社会であれ長所もあれば短所もある。欧米であれ日本であれ、この点では例外はない。ただ彼らの特徴をあげれば、それが絶えざる自己検証の歴史であり、常に、自分たちが現在のような状態にあるのは、いかなる伝統に基づくかを検証しつづけたことにあるであろう。彼らはけっして、神話は神話だからと言って否定せず、非神話化によって、その中にある「自己の精神を形成したもの」を探ろうとした。そのため、「聖」される対象すなわち聖書をもずたずたに分断し分析し、解明して行くことをも躊躇しなかった。そしてこの過去の解明は、同時に過去と現在をつなぐことであり、この過去と現在という二つの座標の延長線に未来を予定し、それに対応するという形で生きてきた。
これは、ある意味において、旧約聖書以来の伝統である。彼らは神を永遠とし、この永遠なる者との契約で自己を規定し、自己の変革をその契約の履行と改定に求め、同時にたとえば預言者エレミヤのように、将来の契約を予想するという形で未来を想定したわけである。そしてそれは、同時代における徹底した自己検証を基礎としていた。
(中略)
前に『存亡の条件』でも記したが、こういうものを書けば必ず「では、どうすればよいのか」という、「ああ、しなさい、こうしなさい」と言ってほしいという「肯定的戒命」の要請が出てくる。そのときに記したように、まず問題とすべきはこの「肯定的戒命」により、自己の方向を固定させるという発想である。求めておいて、それで失敗したときに、戦争直後の日本人のように「だまされた」といって、求めたという自己の責任を放棄することが、この「肯定的戒命」の要請がもっ最大の問題点であろう。それこそ自由の放棄である。
自己検証から出てくるものは「これはすべきでない」という形の「否定的戒命」であり、それで構成される大きな枠の中での各人の方向は、自由にみずからが探究すべき問題である。そしてそのために、自己検証に基づく「過去」と「現在」という二つの座標が探究されねばならぬはずである。そしてこの行き方の原則は、一民族であれ、一企業であれ、一個人であれ、同じであり、「模倣」の対象を失った日本に将来性があるか否かは、以上の作業ができるか否かにかかっているであろう。
-個人であれ、企業であれ、民族であれ。
 これと同様のことは、『存亡の条件』(s50)でも次のように述べられています。
「明治以来の日本は、いわば啓蒙主義の時代であった。人は常に『ではこうしろ』『ああしろ』『こうすべきだ』『こう考えるべきだ』『こういう考え方をしてはいけない』と言われつづけてきた。確かに、そういう時期があって不思議はない。しかし啓蒙主義とは結局、一種の受験勉強的行き方であって、『啓蒙された状態』とみなされるまで、すなわち試験を突破するまで、それをつづけることなのである。これは戦後にも『民主主義的啓蒙主義』として復活し・・・『民主的に考えなさい』と命ぜられれば、命ぜられた通り考えるということは民主的でないなどと夢にも思わずに『命令に盲目的に従って、”民主的”に考える』という実に奇妙なことをつづけてきた。・・・それは人間より退歩してサルまねのサル同様になるのだとは、夢にも思わなかった。人が何かを思考するということは、まず、この状態から脱却することに他ならない。
そしてこの状態から脱却したときはじめて、人は、自らの決心の基となる判断のための、基本的な参考資料がほしくなるはずである。いうまでもなく参考資料とは、・・・それに拘束されるための対象でなく、・・・あくまで自己に対するものとして、いわば、自分の内なる自己とその本とを対立関係においてみる対象として存在するはずである。そのとき、その人は、その本に対して、自由なのである。いわゆる啓蒙主義から脱するとき、人ははじめて、その対象から自由になれる思想と遭遇するのである。(後略)」
山本七平の本をおすすめする理由はここにあります。

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