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山本七平語録

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教育論

論題 引用文 コメント
飽食の時代の教育
『現代の処世』p220.225
 昔は「衣食足りテ礼節ヲ知ル」といわれた。だが、衣食が足りれば自然に礼節がわかるとはどこにも書かれておらず、それは余裕を得て学ぶべきもののはずである。それをしないなら、衣食が足りると逆に禽獣になる。飽食・暖衣で逸居(ひま)して教育がなければ人間は禽獣に等しくなると孟子はいっている。
「飽食の時代」とは一面では、教育がうまくいかないと禽獣になってしまう時代なのである。面白いことに日本自体が逆境のときはあまり教育は問題にならなかった。不思議なようだがこれは当然で、前にも引用したように逆境とはハリ医のハリか薬石のようなものだから、その環境自体が教育になってくれる。
ところが、飽食暖衣の時代、言葉を変えれば日本中が「富貴」になった時代は、教育的には最も悪い環境になる。どこが悪いか。まず人間は贅沢な食物を求め、虚栄を求め、虚名を求める。さらに安直な快楽を求め、それがすぐ手に入るという、まことに非教育的な環境になってしまうからである。(中略)
まったくこういう点では、飽食・順境の時代は、粗食・逆境の時代より教育はむずかしい。多くの国は極盛期を迎えると必ず衰亡への道を歩む。この点では中国とはまことに不思議な国で、長い混乱期はあってもまた再び大国として立ち直る。私たちの若いころ、というのはわずか半世紀弱の過去のことだが、このころの日本人は、さすがの中国も、もうこのまま終わりであろうと思っていた。
事実、当時の中国のことを思えば、そう考えるのが常識であろう。だが彼らは再生する。しかしローマ帝国も大英帝国も再生することはないであろう。その理由は簡単に解明はできまい。だがその一半が教育にあることは否定できないであろう。このことはユダヤ人にもいえる。この両者はいわば「教育民族」なのだが、それは現在の「教育ママ」のいう「教育」とは意味が違う。いわば、一種の「鍛錬」なのである。(中略)
そして「教育」とは、常に、なにかを積極的に教えるというより、むしろ、悪に染まらないように用心に用心をかさねていることが第一である。
 飽食の時代は、それ自体が非教育的な環境になってしまうので、こういう時こそ、「教育」が大事になる、といっているのです。でもそれは教育ママのいう「教育」ではなくて、おそらく中国人やユダヤ人がもっている一種の「鍛錬教育」だ、といっています。
では、その「鍛錬教育」とは何か、ということになりますが、それは「なにかを積極的に教えるというより、むしろ、悪に染まらないように用心に用心を重ねていることが第一」だといっています。
それは家庭教育に始まり、そしてその根本は「家庭の平和」が保たれていることで、そうした信頼関係の中で、人間関係の基本を「戒律」を通して教えることが大切だというのです。
また、中国の不思議な「立ち直り」の力について言及されていますが、これはおそらく、儒教の「戒律」を念頭に置いているのでしょう。韓国ブームも案外こんな所からきているのかも知れません。
教育とは自己抑制を教えること
山本七平ライブラリー『「常識」の研究』p243~245
 中曽根首相から「文化と教育に関する懇談会」の一員に加わることを委嘱され、何かお役に立てばと 首相官邸に行った途端、報道陣に取り囲まれてマイクを突きつけられ、矢継ぎ早に質問を浴びせられたのには少々驚いた。「教育問題」は、咄嵯に答が出る問題ではない。
 そのとき、私は「教育とは自己抑制を教えることだ」と言ったらしい。「らしい」というのは、不意にマイクに取り囲まれて矢継ぎ早に次から次へと質問を浴びせられると、どれにどう答えたのか、その中のどれが記事になったのか、全くわからない状態になってしまうからである。だが、こちらに何の準備もなく、不意に浴びせられる質問の雨に、案外、「ホンネ」が出てくるかも知れぬ。その意味では、こういう取材も一つの行き方なのかなとも考えた。
 戸塚ヨットスクールの問題でも質問されたように思う。だが、これは自分自身で実態調査はしていないし、私自身そこの教育を体験したわけではないから、何もいえない。私自身、元来、自分が体験したことと、自分で調べたこと以外は、何も書かないし、何も言わないことを原則としている。だが、「自己抑制」と言ったとき、戸塚ヨットスクールが念頭にあったことは事実である。というのは、講談社ノンフィクション賞の審査員をしているので、候補作であった上之郷利昭氏の『スパルタの海』を、精読していたからである。
 最も大きな問題は、これが決して強制収容所でなく、親が、莫大な入学金と高額な月謝を払って子供をここに入れたという事実である。これは義務教育ではないから、親に、そのようなことを行う義務は全くない。義務でないことを、自らの自由意志に基づく決断で実行したなら、その責任は、その決断をしたものにある。さらに、ある週刊誌によると、その中に、これに筆誅を加えている新聞社の幹部もいるとなると、何とも奇妙なことになる。
 新約聖書のパウロの言葉に「それ忍耐は練達を生じ、練達は希望を生ずればなり」というのがあるが、こういう原則は二千年前でも現代でも変りはあるまい。忍耐の基本は自己抑制である。幼児同様にしたい放題のままで大人になれば、それは「社会的動物である人間」でなく「動物のままの動物としての人間」であるから、座敷牢という名の檻に入れておくか、戸塚ヨットスクールに送るか、それをしなければ親殺し、子殺し、一家心中を招来するか、という事態に陥っても不思議でない。
 では何によって自己抑制を教えるか。旧約聖書は徹底したリアリズムで貫かれているが、その中の教育書ともいうべき「メシャリーム」(箴言)には次の言葉がある。「ヤハウェを恐れることは知識のはじめである」。いわば「恐れ」すなわち「恐怖」が知識のはじめであり、その実施要項には「むちを加えない者はその子を憎むのである」という全マスコミから筆誅を浴びそうな言葉もある。だが田中美知太郎先生も、「恐怖」を幼児教育に不可欠なものとギリシア人も見ていたと言った。
 前にも記したが、「危ないと叱るよりも手を引こう」という交通標語を不思議がった外国人の友人は、一人や二人ではない。これは、子供を教育せずに、犬すなわち動物のように引いて行こうというに等しいからである。教育とはこの逆で、子供が飛び出そうとしたら厳しく叱る。叱られることは恐怖だが、飛び出してダンプにはねられそうになることはもっと大きな恐怖である。そこで子供は「飛び出したい」自己を抑制し、それを体得することによって、はじめて一人歩きが出来る社会人になる。
 これが教育でありそれをしなければ、一生、手を引いてやらねばならぬが、それは不可能。そこで手を引くに似た物理的制御を座敷牢に求めるか、徹底した恐怖教育の中に自ら子供を送らざるを得ない結果になる。
 旧約外典「ベンーシラの知恵」に、皮肉な言葉がある。

 子をちやほやするがよい、そうするとお前はその子を恐れるようになるだろう。子とたわむれるがよい、そうするとお前はその子に泣かされるだろう。
日本の伝統と教育
『宗教について』p124~128
 これから一時間ほど「伝統と教育」という大変めんどうなお話をいたします。
 戦後に、一つの誤解があると私は思っているのですが、それはデモクラシーという言葉を民主主義と訳したことです。クラシーという言葉は、元来クラティア、ギリシャ語から来た言葉で、制度を意味しても、主義を意味する言葉ではありません。ですから、アリストクラシーとか、セオクラシーとか、デモクラシーとかいいますが、これはみんな貴族制とか、神政制とか、あるいは民主制などと訳します。いわば制度を意味する言葉です。
 もちろん、制度は、決して社会そのものを意味しないのであって、制度が変わったということは、決して社会がくるっと変わってしまうことではないわけです。この制度と社会は別のものであるということは、社会学の原則だけでなく、われわれ実感としてもあります。
 ところが、民主制という制度に大変大きな特徴がありまして、それは人間の内心の規範には一切タッチしないという、原則です。簡単にいいますと、それが思想、信仰の自由ということになるのですが、自由ということは、制度の方では一切タッチしない、各人勝手にしなさいということです。ですから、制度の方は何をするかといいますと、その人間のいわゆる外的規範、これしかタッチしない。外的規範というのは行為でありまして、行為しか規制しない。各人が内心にどういう規範を持っていようと、それは一切知りません。こういう制度でして、この一番古い原型はローマ時代にあります。
 これは簡単に申しますと、日本の法律のどこを探しても、人を殺してはいけないとは書いてありません。人を殺していいか悪いかというのは、各人の内心の規範で決めることで、政府はそういうことには一切関係をしない。ただ、人を殺した者は、死刑または無期懲役、もしくは三年以上の懲役に処す、と書いてあるだけで、こういうことをしたら、こういう規制をいたします、それしかないんです。それ以上のことは絶対しない。それを罪刑法定主義と言いますけれども、これがいわば民主制の基本なのです。
 ですから、これは倫理的規範にはならない。各人にこれをしなさいと言ってくれないし、これをしてはいけません、とも言わないし、それは各人の思想、信条によるべきことであって法律・制度は関係はありません。ただ、一つの行為が起こったならば、こう規制いたしますということだけです。これは主義ではありません。
 たとえば、ブディズムといった場合、仏教と訳します。ジュディズムといったら、ユダヤ教と訳します。教とか、主義とかいうものは、そういう外的な規範でなくて、これをすべきか。すべきではないかを、みずからのうちで決める内的な規範です。
 制度というものは、この二つをはっきり分けてしまって、各人の内心に絶対立ち入らないわけです。
 この前、子どもが金属バットで両親を撲殺したという事件がありましたが、法律というものは、決して撲殺する前にやめろとは言ってくれない。事件が起こるまでは一切タッチできない。起こってしまったら。法はこうであると、それに基づいて処罰はできても、起こる前に、その人間に対して、それをやめろと言えるものは法でなくその人間の内的規範だけです。内心に、それを絶対してはいけないという何かの規範があれば、その行為は、それを行う前にストップするでしょうが、法律はそれをしないのが原則です。
 ですから、デモクラシーとは、何のイズムでもない。これを一つの主義と訳したことが大きな間違いではないかと、私はそう思うのです。これは民主制の社会ではあたりまえのことで、各人の思想、信仰の自由があるというのは、それがあるということを前提としているわけで、何にもありませんという人間が出てくると、ちょっと方法がない制度なのです。
 日本は、かつてはそうではなかったのです。明治憲法と教育勅語というのがありました。憲法とは、人間の外的規範、すなわち法の一番基礎に当たるものです。これは行為しか規制しない、当然です。同時に教育勅語は、その人間の内的規範、人間はかくすべきであるとあつて、両方とも天皇がこれを下賜した。これが明治的体制なのですが、これは日本だけの特徴ではありません。中国の体制は、元来そういうものなのです。
 皇帝は、外的及び内的規範の中心になる。ですから、よく徳といいますが、これが基本にあって、いわゆる内的規範も皇帝から来るものであるというのは中国の伝統で、これが大体明治の日本にそのまま引き継がれました。戦後の民主制ができるまで、日本はそれでやってきましたから、内的規範はどこからか来るものという、長い伝統があったわけです。
 しかし、民主制のもとではそれはありません。各人の内的規範、これはすべきことか、すべきでないことか、それについては政府はタッチしてくれないのです。ですから、これは一に教育によってしか形成できない。制度が変わっても、そういった伝統的教育は実際あって。多くの国では変えないわけです。これが自分たちの伝統である。この伝統的な規範に従って、人間は生きていくべきだ、とするのが普通です。
 もちろん、内的規範と外的規範というのは一応の連関はあります。しかし、これは制度的にははっきり別にされている。これが民主制というものですが、戦後ははっきりその点が把握されていないのではないのでしょうか。私は何となく、これが教育上の一番の問題点になってくるのではないかと思います。
 
教育とは民族の知恵を教え込むこと
『宗教について』p128~134
 そういたしますと、われわれは伝統的にどういう教育をしてきたんだろう。ほかの国は伝統的にどういう教育をしているんだろう。その内的規範の形成というのは、制度に関係なくあるものならば、制度が変わっても、それは変えるべきではない。それを変えてしまうと、各人の内部の規範、いわゆる内部的な善悪という基準が崩れまして、人間と人間との間の信頼という関係はなくなるわけです。
 人は、相手が法律で規制されているからと思って信頼しているのではなくて、あの人はこういうことは絶対にしないという一つの内的規範を持っているがゆえに、その人を信頼しているのです。それが全部なくなってしまえば、大変むずかしい状態が出てきて当然なのです。  いろいろな国でさまざまな教育が行われているわけですが、これがうまくいっている例もあるし、うまくいってない例もある。  私などはイスラエルに行きまして大変おもしろいと思いましたのは、その点に関する限り、教育とは民族の知恵を教え込むという以外に何もないのだ、ということが如実にわかることです。われわれも昔、こういう教育を受けたなと思いました。ちょうど徳川時代の寺子屋で、意味もわからないで四書五経を読むようなものです。「子日」と読んでいくわけです。大体論語から読んでいくわけですが、読んでいる子供には何の意味もわかりません。何の意味もわからないことを、ただ、むちゃくちゃに暗記をさせていくというわけです。
 ユダヤ人には公立の学校と、日本で言うと寺子屋ですね、ヘデルという学校と二系統ありまして、大抵両方へ行っており、アメリカなどでもそうです。午前中は公立学校へ行って、午後はヘデルヘ行く。ヘデルに行って何をするか。ヘブライ語で旧約聖書を初めから暗誦するだけです。実にそれだけなのです。ところが、アメリカにいるユダヤ人の子供はヘブライ語なんか全然できませんから、チンプンカンプン、何を暗記しているのやらさっぱりわからない。こういう状態で。ただひたすら暗記をさせていくのです。
 われわれ、それを見まして、何というばかなことをやっているんだ、わからないものを暗記して何になるんだと思う。しかし暗記をしておけば将来わかる、これが彼らの言い方であり、それが頭の中に入ってさえいれば、将来それを理解し得るようになるというわけです。これはいまの日本人の考え方と大変違います。まず理解して、それから覚えるのではなくて、まず覚えておいて、覚えておきさえすれば、その後で理解できるようになる。
 これは記憶ということに対する彼らの伝統的な考え方でして、ユダヤ人は頭がいいとよく言われますが、私は特に頭がいいと思いません。しかし、記憶力だけは恐るべきものがあるのです。これは子供のときに徹底的に記憶ということを訓練されますから、何しろ、旧約聖書全部を覚えているという人間が必ずしも珍しくはない。バイブル・コンテストというのが、独立記念日に、エルサレムであります。旧約聖書を初めから原語のヘブライ語でどこまで暗誦できるか。その間、どれだけ間違ったか、間違わないかといったことなどを競います。毎年一等の人になりますと、ほぼ全部を間違いなく暗誦してまして、それが必ずしも珍しくない。
 しかし、昔の日本人は、四書に関する限り、ほぼ同じことをしていたのです。全部これが頭に入っている。これがいわば伝統的教育なのですが、記憶は、戦後あまり軽く見られすぎているのではないかと思います。
 と申しますのは、電算機というのも人間の頭とやや似た構造になっているわけですが、電算機が答えを出し得るのは、記憶装置に入っているデータの範囲だけなのです。それ以上のことは絶対答えが出てこない。
 これは人間の頭でも同じで、自分の中にある記憶装置の中にはめ込まれている情報、それによっていろいろな問題に対して答えを出すわけで、記憶の総量によって、人間の判断には枠が決められてしまうわけです。自分の頭にないことは判断することができない。ですから、人生のある時代まで、できるだけその量を多くして――簡単に言いますと、電算機の記憶装置の中に、できるだけ多くの情報をインプットしておくというのと同じでして、それがいわば彼らが記憶を教育の基本としている理由です。
(中略)
 つまり、自分の頭の中に入っていることだけが人間にとっての財産であって、それ以外に何にもないという意識ですね。だから、これを極力ふやす。
 彼らの社会へ行って議論をしますときも、必ずこれにこちらが参ります。引用が正確で早くてすぐ出てくること、この連中は頭の中に電算機が入っていて、そこからポンポンと必要なデータを出してくるのではないかと思うぐらい、これがうまい。ということは、その人間の持っている情報量が非常に多いので、判断の範囲、その基礎となるべき情報が実に多いということです。これはやはり子供のときから、それを徹底的に訓練をしている。それゆえ彼らは頭がいいといわれるわけですが、私は何も特別な脳みそを持っているのではないと思っています。
 これも戦後の教育にわりあい欠けているものです。棒暗記はよろしくないと……。私はよく言うのですが、「なぜ、よろしくないのか」。
 外国語を覚える場合もそうですが、ドイツ語の神様といわれた関口存男という先生がいます。「存男」と書くので、私たちはよく「ゾンダン、ゾンダン」と言った。『基礎ドイツ語講座』という永遠のベストセラーといわれる名著を書かれた方です。その先生のところへ行って、「ドイツ語を早くうまくなりたいんですが、どうしたらよろしいんですか」「単語を暗記しなさい」「その次にどうしたらいいんですか」「単語を暗記しなさい」「その次にどうしたらいいんですか」「単語を暗記しなさい」。何回行っても、それしか言わなかったというのです。これは確かに語学をやる基本でして、一定量の語彙を頭に入れておかない限り何もできない。これはあたりまえなのです。
 そこまでは大変苦しくても、これをしない限りどうにもならない。教育はこのあたりまえのことを、あたりまえのようにやるかやらないかというだけの差であり、最近の日本語の語彙すら完全に頭に入っていないという状態は、彼らの伝統的教育から考えるとまことに不思議なのです。
 
親子の対話を成立させる共通の古典
『宗教について』p134
 次にもう一つ、伝統的教育における問題点ですが、よく親子の対話がないとか、親子の話し合いがないとか申します。もっとも、話し合いとか対話というのは何によって初めて成り立つのか。その人間が共通の古典を読んでいれば、すぐできるのです。対話はすぐに成り立つ。
 明治の初めに、日本の経済界の大御所といわれた渋沢栄一という人は埼玉県の出身で、いまの深谷の近くです。武州血洗島という大変な田舎で、家は農家でした。藍をつくっていた大変金持ちの農家ですけれども、封建時代、徳川時代の一農家にすぎない。藍玉をつくっていて、足りないと藍を仕入れた。ですから半農、半商、半工であったと、彼みずから思い出に記しておりますけれども、二十四歳のとき急に――若いときはみんなそういうものですが――こんな故郷に埋もれていても、おれはしようがない、これから尊皇の志士になるのだと言って飛び出そうとするわけです。
 そのときお父さんがとめるわけですが――とめるときに「ばかなことをやるんじゃない」なんてこと一言も言っていない。論語を引用してとめるわけですね。「思い、その位を出です」。したがって、おまえはそういうことをすべきではない。彼はそう言われて、それを思いとどまるわけです。その二年後に一生懸命父に頼んで、今度は許しを得て出かけるわけですけれども、これがすなわち対話というものです。
 「思い、その位を出です」というのは礼記にもありますし、論語にもあるのですが、元来の意味は、自分の社会的地位ないしは自分の職責、それに関係ないことで、他人に干渉してはならない。たとえば、ここに何々課長というのがいれば、隣の課長のことをいろいろ考えるとか、干渉とかしてはならない。だから自分の任務以外のことを考えてはならないといった意味ですけれども、これが「思い、その位を出です」です。彼はそれを引用して、論語にこうあるのだから、おまえはこれをやってはいけない。これがいわば古典に基づく内心の絶対的規範です。彼は一介の農民ですけれども、四書を全部読んで暗記していたと渋沢栄一も書いております。
 つまり、対話があるというのは、共通の古典に基づく伝統的規範を親子が持っているということで、これがあれば話というのはすぐできるわけです。聖書にこう書いてある。だからおまえは、そういうことをすべきではない。これがありませんと、各人の自己の絶対的規範というのは何であるか、一切なくなるのです。
 一切なくなりましたときに、では、どうなるのか。この場合人間にとって、他人と話し合って結論を出す。話し合いということだけが原則になってくるのです。戦後はよく話し合いが民主主義だといわれました。話し合いが絶対である。政府はもっと話し合えとか、あるいはハイジャックとも話し合え。こういうことになるのですが、この話し合いをそういうふうに絶対化したら、実に恐ろしいことになるのではないか、特に教育上、一番恐ろしいことになるのではないか。同時に話し合いの結果というのは、ある意味で責任を負わなくていいんだということになったら、大変おかしなことになっていくのではないか。これは各人の中に内的規範があるということを無視しているのではないか。私は前に、そういうことを書いたことがありますが、その一例にしましたのが、いわゆる高校生売春であります。
 
「話し合い絶対」の問題点
『宗教について』p137~140
 高校生売春で補導された女子生徒は、「あなたは関係ないでしょ。私はあの人との話し合いで決めたことだ。私はお金もらってよかったし、相手も楽しくってよかった。だれにも迷惑かけていない。関係のない人は黙ってて」。こう言われたら、学校の先生も親も何も言えなかったという、こういう一つの例があります。なぜ、何も言えないのか。すなわち、それは各人に内的規範があって、なぜ、それをしていいか悪いかという、それがないということが前提になっているからです。この場合、両方で話し合いで決めたということは二人だけのことである。だから、ほかの人間は関係がないというのは、すでに他の人とも共通の規範がないということです。この共通の規範がないときに、どの社会でも、話し合いというのはあるはずがないのです。ですから、「関係ないでしよ」という言い方になる。
 戦後は、それを無視しまして、ただひたすら話し合いで合意が成り立てば、それでよろしいと言う。が、それはあり得ない。私は、そのときも書いたんですが、もし、こういう理論が成り立つのなら、たとえば悪い政治家と土建業者とが話し合いをした。これをこうしてくれると、自分のところは月給が遅配しないで大変に助かる。同時に、あなたにも多額のお礼をあげるから、あなたもいいだろうと言って、これは市価よりも安くしているのだから、納税者に迷惑をかけてない。この話し合い、一体どこが悪いのだ。これは同じ論理です。すなわち、話し合いが絶対化されると、この論理が成り立っていく。
 さらに大変恐ろしいという気がしたのは、この前「河北新報」という新聞に、最近補導された子供の母親の態度が出ていました。ある子供が万引きをして補導をされた。それはある人間に誘われたのです。誘った方は、そこで万引きをしなかった。それゆえ補導されない、これはあたりまえです。ところが、補導された子供の母親が非常に怒って、そこへ来まして、これは誘った人間が悪いのだと、誘った人間を補導しないでこっちの子供を補導するとは何事だと、こう言って怒ったそうです。
 これは自分の子供に何一つ内心の規範を与えなかったという証言みたいなものです。うちの子供は誘われれば何でもしてしまうのだ。だから、誘う人間が悪いのだ。初めから意思がない、倫理観もない。内的規範もない。何にもない子供だから、一切責任はない。誘った人間が万引きしなかったからといって、それを罰しないで、うちの子供を罰するのはおかしいと言ったといいます。これは大変おもしろいのです。単におもしろいで済むかどうかわかりませんけれども……。
 すなわち、民主制のもとにおける法とは、行為しか規制しないわけです。万引きに行こうと一方が誘った。一方が行なった。誘った方が万引きをしなければ、罰する理由は一切ない。ところが、誘われた方が万引きをしたら、その行為は当然、法によって罰せられる。これはあたりまえです。
 その際における内心の規範は、法は一切関与しないで、最初申し上げましたように、罪刑法定主義における法とは、こういう行為をしたらこういう罰がありますと書いてあるだけでして、後は何にもないわけですから、どういうふうにして、その行為をするに至ろうと、それは関係がないことです。
 ですから、この母親の言っていることは、その点で実に興味深いわけです。これも話し合いです。話し合いで行なったんだ。では一体何でうちの子供だけを補導するのか。これはやはり内的規範がないのがあたりまえだということになっているので、これが本当にないのがあたりまえになりますと、世の中は、全部、誘った人間が悪いことになる。誘った人間が悪いというのは、つまり、自分は子供を教育しませんでしたということ、簡単にいうとそういうことです。ですから、その子供は内容が空っぽで、これはすべきことか、すべきでないことかという判断ができません。これを当然だと思っているから抗議に来る。これに対してどう対応したらいいかわからない。この問題がそこに出ているわけです。
 そこで、そういうことになると、親子で対話をしなさいとなる。どうやって対話をしたらいいか、一体われわれが持っている伝統的な規範は何であるか、それを子供に継承させない限り、対話はありません。できなくてあたりまえです。それが論語であるというような時代なら、対話は常にあります。
 戦後、何か論語のような伝統的な規範があるのか。まずありません。これはすべきことである、これはすべきことではないという絶対的な規範、これをグルントノームといいます。グルントノームというのは、どの社会にもありますが、現代の日本ではそれが明確でない。子供に何を授けるかと申しますと、実はそれだけなのです。それと法に基づく外的規範、この二つによって社会が成り立っており、それによって社会は機能しているわけですから、このどちらがなくなっても、その社会というのは崩壊せざるを得ない、こうなるわけです。そしてその一方がないのです。
 
日本人の共通の古典『論語』
『宗教について』p163~165
 日本人が一番長く読んできた本というのは、実は論語です。これは徳川時代ですと、まず小学というのがあります。次に近思録というのを読む。それから四書を読むという順序になる。四書というのは、いわゆる大学、中庸、論語、孟子、これが徳川時代の学習です。ところが非常に不思議なことに、明治になってスパツとこれはやめてしまった。やめてしまったものですから、いま、近思録なんて、どういう字を書くか知っている人もほとんどいません。大学、中庸、論語、孟子といっても、四書を全部読むという人はまずいない。
 ところが、不思議なことに、論語だけは明治からずっと読み継がれまして、いまに至るまで読まれています。私たちが読んだのは、昭和六年版の簡野道明の『論語解義』という大変古い本です。戦後、戦争から帰ってきまして、火事で焼けてしまってなくしてしまったんですが、ひょいと神田へ行ったとき、この簡野道明の非常に古い『論語解義』をみつけました。ああ、こんな珍しいものがあると思って買って帰りました。これはたしかに昭和六年初版と書いてあるのですが、何と、私かそのとき買ったのは昭和三十二年の五十一版でした。戦後になっても。これだけこの本が読まれたのかと不思議な気がしたのですが、考えてみると不思議ではないのです。最近でも論語に対する新しい研究が実にたくさん出ております。
 私は、以前、主として政治家についてですが、人望のある人間と、ない人間と、何によって決まるかという、その理由と判定というのをやるようにと言われたことがありました。大変おもしろいのです、人望というのは理由がないですから。見ていきますと、論語に書かれている、君子という規範どおりにしている人間というのは、どの社会に行っても、みんな信望があります。君子じゃないことをする人間というのは、みんな信望がなくなります。これは、本当におもしろいのですが、それくらい、こういうものが、われわれにしみ込んでいる。応神天皇から現在に至るまで、一つの内的規範として日本人の中にしみ込んでいるというのは事実です。
 ですから、論語は大変読みにくい本かもしれませんが、最近ですと吉川幸次郎先生の『論語講義』でしたか、NHKの連続講義があります。あれなどは、だれが読んでもわかるので大変におもしろい本です。「子日」と、いきなり子供に教えている。これはむずかしいでしょうから、あれを一度ごらんになって、自分たちの伝統的な内的規範というのは何であったのか、これをもう一回再確認、再検討されたらいいのではないかと思います。
 同時に、その解釈の仕方です。日本人は、中国人と非常に違います。これは社会構造が違いますから、もう少し先を知りたいと思う方は、伊藤仁斎の書いた『論語古義』、これは徳川時代の初めのものですが、貝塚茂樹先生の現代語訳でだれでも読める読みやすい訳になっております。これは中国人の解釈と非常に違う日本的解釈ですが、日本人に一番大きな影響を与えました。これは中央公論社から出ています。こういうものも一度お読みになってみて、ああ、われわれの内的規範というものは、こういうものであったのかと、再確認なさってもいいのではないかと思います。
 
コーヘレトは言う「全ては空虚」
『宗教について』p189~193
 聖書を読んでみたいと言う人に、「伝道の書」の冒頭を読んでごらんなさい、と言う。たいていの人は一読してあきれ、「聖書とはI体宗教書なんですか、宗教否定の書なんですか。こりゃ全くニヒリズムの極致みたいなものだな」と言う。次にそのはしめの部分を、所々引用してみよう。

コーヘレトは言う。
空の空 空の空 一切は空虚である。
日の下で人が労するすべての苦労は
その身になんの益があるか。
世は去り 世は来る。
しかし地は永遠に変わらない。
日はいで 日は没し
その出た所に急ぎ行く。
すべてのことは 人をうみ疲れさせる
人はこれ(疲れ)を言いつくすことができない。
目は見るに飽くことなく
耳は聞くに満足することがない。
先にあったことは また後にもある。
先になされた事は また後にもなされる。
日の下に 新しきものなし。
「見よこれこそ新しいもの」と
言いうるものがあるのか。
それはわれわれの前にあった世々に
すでにあったものだ。

 それなのに人は「新しいこと」を追い求める。なぜか、それは前にあったことを忘れてしまったからに過ぎない。さらに彼は「骨を折らせる苦しい仕事」「日の下で人が行なうすべてのわざを見たが。みな空虚であって風を捕えるようである」と言う。
曲がったものは まっすぐにできない
欠けたものは 数えることができない。
 さらに彼は大いに学びその「心に知恵と知識を多く得た」ので、さらに知恵の本質と狂気と愚の本質を知ろうとしたが、これまた「風を捕えるようなものであることを悟った」。それは知恵が多ければ悩みが多く知恵を増す者は憂いを増すからである。
(中略)

すべては空虚
 さらに彼は、ミカが追究した「公義」も「いつくしみ」も「へりくだり」もどこにもなく、人の秩序は所詮サル山のサルの秩序に等しく、人も獣も変わりないと考えざるを得なくなる。「わたしはまた、日の下を見たが、裁きを行なう所にも不正があり、公義を行なう所にも不正がある」ことを知り、ついにその心に「神は彼らをためして、彼らに自分たちが獣にすぎないことを悟らせている」と言う。「人の子らに臨むところは獣にも臨み」「一様に彼ら(ともども)に臨むに、これが死ぬように彼も死ぬ」「彼らは(ともども)同様の息をもち」「人は獣にまさるところがない」「みな一つ所に行く。みな、塵から出て塵に帰る」「だれが彼をつれて行って、その後(死後)の、どうなるかを見させることができようか」。従ってすべては空虚。人は獣のように「その働きによって(日々を)楽しむ」のが限度、「これが彼の分だからである」と言う。
(後略)
 
知識と知恵
『宗教について』p196~199
 コーヘレトを読めばだれでも驚く。そして宗教書と言われる聖書に、どうしてこんな虚無主義の極致ともいうべき書が入ってきたのかと戸惑う。しかし人は最後に気づくのである。このように考えているコーヘレトその人は否定できないことを――。この行き方は後代のデカルトに似ている。彼がすべての存在を疑い、最後に、そう疑っている自己の存在を疑い得ないという結論に達し、思考を存在の基本としたように、コーヘレトもまた、すべてを否定して行く自己の知恵を肯定せざるを得なくなる。それを否定すればこの書も生まれないからである。
 では一体「知恵」とは何なのか。英語もwisdom(知恵)とKnoledge(知識)を分けるが、聖書もこの二つを峻別し、知識の集積はそのまま知恵ではないことを常に強調する。人間は確かに知識を集積できる。ゲーテのもっていた知的情報の量は現代人の十六分の一だけだという話を読んだことがあるが、これは現代の大学生がゲーテの十六倍の英知をもっているということではあるまい。同じことはミカについてもコーヘレトについても言えるであろう。われわれはおそらく彼らの何十倍という知識をもっているであろうが、それはその人たちの何十倍という知恵をもっているわけではあるまい。そしてこの二つを峻別するごとを忘れたときに、人は、知識の集積によって傲慢となり、そのため集積した自己の知識にないものは無視することになって、最初に記した自閉症的状態に陥る。そしてそれがその人を知恵なき者すなわち愚者にするのである。このことは、われわれの祖先も何となく知っていた。「何でも知ってるバカ」とは、そのことであろう。
 では人は何によって知恵を得るのか。彼らは「主(神)を恐れることは知恵のはじめ」と言い(詩篇)また知識のはじめともいった(箴言)。言うまでもなくこれは、人は全知でないから、全知全能との対比において自己を規定せよの意であり、それをすることが知恵の第一歩だということである。知らないことを無価値として棄却して自己を全知とする閉鎖状態になれば、人はもう知恵も知識も得ることができないからである。次に彼らは、人の知恵とは知識の集積では得られず、経験によってのみ得られると考えた。もちろん、個人の体験も大切だが、自分たちの歴史をそのままもう一度追体験することもまた経験と考えたのである。そしてそれを追体験して自己の経験とすることを、彼らは知恵を学ぶことだと考えた。
 それはわれわれから見れば、恐ろしく「古くさい」ことを厳格に守り、三千年の昔のものを読むことであっても、決して「新しい」何かにとびつくことではない。新しいと錯覚していることが、実は二千二百年の昔にすでに「日の下に新しきものなし」と言われてしまったことを彼らは知っており、それもまた一つの追体験として学ぼうとするからである。そしてそれを徹底的にやったものに、はじめて真の新しい独創的な発想がありうるのである。
 公義と公正といつくしみを求めようという主張も、そんなものを求めるのは「空虚」だといった言葉も、社会のすべてがいやになり、自分がいやになるといった体験も、すでに二千二百年以前に、徹底的に体験されてしまったことであった。そしてその体験された言葉をもう一度自らその言葉によって体験しなおすなら、人は、社会がいやになり自分がいやになった「自分」を、少しもいやかっていないことに気づくという「知恵」を手に入れることができるのである。
 そして人類の長い歴史を言葉で体験しなおしてその先へと生きて行くことが、個人にとっても民族にとっても一つの進歩であり、進歩とは実はこれ以外には存在しないのである。
 

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