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山本七平語録

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常識論

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「理想郷」からの逃避
山本七平ライブラリー『常識の研究』p33~35
 今年もまた新年を中東ですごし、正月をキブツで祝ってから、シナイの北砂漠を抜けてエジプトに出た。この陸路による貿易は一九七八年十二月中旬にはじまったが活発とはいいがたい。中東の国々も内政の時代を迎え、いかにインフレを克服して経済的基礎を確立するかが目下の急務であろうが、いずれの国も成功とはいえないようである。
 キブツ・ノフ・ギネソールを見学する。何回か来たキブツで、このホテル同様のゲストーハウスに滞在したこともあった。いつ見てもその面影は変らないように見えるが、年々施設は立派になっていく。キブツは言うまでもなく私有財産のない共同体だが、キブツ自体の共有財産は蓄積されていくので、それが立派な施設になっていく。歴史の古い大キブツはみな同じ傾向にあり、それは建設の意気にもえるというより、一応の目的を達してあとは徐々なる充実へと向っている段階のように見える。
 その昔、これらのキブツを訪れた進歩的な日本人はみなこれを絶讃したものであり、森恭三氏なども感動に満ちたベタボメの一文を発表している。「人間の顔をした社会主義」などという言葉があるが、キブツはすでにその状態を通り越して「能力に応じて働き必要に応じて支給される社会」、すなわち共産主義者が遠い目標として掲げている社会を実現している。
 キブツ・ノフ・ギネソールも、すでにその段階である。そしてここは、社会主義国のように何も隠しておらず、ありのままを見せているから、人がその実情を知らずに「労働者の天国」と誤認することもない。またここで数年働いた後にヘブル大学へ行った日本人学生もいるから、一切の実情は明らかである。
 その学生の案内でキブツをまわり、その人の説明をきく。日本語で自由に質問し、相手も自己の体験を交えて自由に語る。それは共産主義社会がそのタテマエ通りに運営されればどういう状態になるかを、そのまま物語っているといえよう。病院、産室、幼児室、小学校から高校、図書館、映画館、娯楽室、老人ホーム等々、文字通り「ゆりかごから墓場」までのすべてが保障されている。また労働はすべて「能力」に応じ、老人になれば希望する者だけが一日二、三時間の軽労働という形で軽減され、虚弱者などもすべて労働が軽減されているが、支給は平等、能力に応じて働き、必要に応じて支給されている。
 さらに、各種委員会は全部任期一年で、全員の直接投票で選出される直接民主制である。また本部や共同食堂などの管理は、各作業グループによって輪番制で行われている。食事は三食ともセルフーサービスで同じものを食べるわけだが、品数が多いので選択の余地はある。同時に病人食、老人食も用意されている。それは、まるで絵に描いたような共産主義共同体である。
 昔の進歩的日本人はアラブへの配慮はなく、社会主義は手放しの礼讃の対象であったから、こういう状態に異常な感動を示し、これを人類の到達する理想の状態と見て不思議ではなかった。しかし、今日このキブツを紹介された人びとの反応は違っていた。多くの人がまず感じたことが、「この先に何かあるのだろう」ということである。そのためか期せずして質問はここで生れ育った人はどうなるのか、自動的にこのキブツの中で一生を送るのか、ということであった。確かにすべては保障され、失業も生活不安も老後の心配もないのだが、自分の一生がすべて見えてしまう状態に若い人が耐えられるのであろ。
うか。これがその質問の底にあった疑問である。
 案内の留学生氏は次のように答えた。「十八歳まではキブツで育てられます。そこで兵役があり、これが終ると一年間の休暇があります。この休暇の間は広く一般社会を旅行し、見学し、また働くなり遊ぶなりしてさまざまなことを体験し、その上でキブツに残るか、一般社会に出ていくか、自分で決断することになっています」と。
 その決断は各人各様だが、総体的に言えばキブツの人口は増加しておらず、むしろ減少の傾向にある。みな、何となくそうだろうなあという顔でうなずきあっていた。「これで完成した」というその先のない社会は、どのように保障され、どのように快適であっても、人々の精神を充足しきれない何かがあるのであろう。これも一種の閉塞社会かも知れない。
 社会主義――共産主義体制は、理想的に運営されてもこういった状態であろう。これがもし各人の意志でなく上からの強権で強制的に施行され、しかも秘密警察的監視があり、能力以上に働かされて物資が欠乏しているとなると、そういう社会から逃げ出せるなら逃げ出したいと思う人びとが多くても不思議ではあるまい。経済的には何一つ不自由ないキブツで生れ育ちながら、資本主義社会の荒波の中へと去って行く若者も多いのだから。社会主義が魅力を失って当然であろう。
 

海上秩序の傘
山本七平ライブラリー『常識の研究』p46~48
 「核の傘」という言葉があり、この言葉が何を意味しているかは多くの人はすでに知っているであろう。しかし、この言葉がジャーナリズムに登場する以前には、人びとは「核の傘」の下にいて、そこで生活しているという意識はなかったに等しい。それはいわば、空気のように意識されなかったもので、それが意識され出したのは、むしろ「核の傘」の威力がうすれて、それが本当にあるのかどうか疑わしくなってきてからのことである。
 「非武装中立論」に代表される「核の傘」の下の平和論は、「核の傘があるから……」を無言の前提としていたわけで、それは、その首唱者がそれを意識しようと意識しまいと、また意識しつつ隠していようと、現実には厳然と存在する前提であった。そして「非武装中立論」が色あせてきたのは、人びとが自ら「核の傘」の下にいたのだと意識したときである。そしてそれを意識したとき、それなき状態における防衛論が何一つなく、この点について、何の基本的発想も確立してなかったことに気づいたわけである。
 だが、われわれが「傘の下」にあるのは「核」の場合だけであろうか。それがなくなったら急に「何とかの傘」が意識され出して、それがなくなった状態における基本的な発想が何一つ確立していなかったことに気づくのではないであろうか。従ってそうなる前に、それは「ある」といわねばならないである。
 それは公海自由の原則、海上航行自由の原則という世界的秩序の傘であり、同時に外交官特権の相互承認、平和時における在留外国人の自国民同様の法的保護といった原則である。これらの原則は、だいたい二百年の昔にヨーロッパ、それも主としてイギリスによって確立され、ついでアメリカによって継承されてきたわけで、日本は明治のはじめの開国以来その「英米的秩序の傘」の下におり、これを空気のように、あって当然の状態を受け取る結果になった。だがこの状態は決して空気のように存在するわけではない。
 戦前の日本はずいぶん無茶をやったように言われるが、この点に関する限りほぼ完全に秩序を守り、自らも秩序維持に参加していたといってよい。たとえ真珠湾を叩くことはあっても、米英大公使や在留米英人を人質にするようなことはなく、相互に交換船を仕立てて、中立国のロレンソ・マルケスで相互交換を行い、その往路と帰路はそれぞれ保障するという原則は保持した。さらに日本海軍が海賊的行為を働いたり、平和時にどこかの海峡を勝手に封鎖したり、戦時にも中立国の船舶の自由航行を妨害したりといった行為はない。
 だが、長らく守られてきたこの米英的秩序、特に「海上秩序の傘」が、果して今後も保持されるのか否かは、相当に問題と考えねばならない。と同時に、もしこの秩序がなくなった場合、生活を海上貿易に依存している日本はどうすべきか、その基本的発想は確立しておかねばならない時代が来たように思われる。
 というのは、イランにおいて米大使館そのものが人質とされ、パーレビ前国王の引き渡しが要求されている。こういったことは、太平洋戦争中の交戦国の間でも、まず類例がない事態だといわねばならないからであり、明らかに、空気のように存在していた一つの世界秩序の崩壊を意味する事態だからである。
 この事態を見れば、将来、公海自由の原則や海上自由航行の原則が維持できるか否かは問題で、これは日本にとって実に大きな問題である。たとえば、イランがある種の要求を掲げて、それに応じない者はホルムズ海峡の通過を許可しないといった場合、日本は、それがどのような要求であれ土下座的に応ずるつもりなのか、もし応じたら同様の要求が他の国々からも出て、応じなければ船ごと拿捕されるような結果になった場合どうするつもりなのか。この種の問題提起はもちろんのこと、こういった問題意識さえ日本のマスコミには今までなかったと思う。
 公海自由の原則、海上自由航行の原則は、日本にとって死活の問題である。それは、華々しい防衛論争のような起りうる可能性がきわめて少ない問題でなく、その秩序の崩壊はある意味ではすでに現実の問題となりつつある問題である。
 それが起ったときあわてないように、その際はどうすべきかの基本的な発想ぐらいは、国民的合意の下に確立しておくべきであろう。私にはこの方がむしろ、起りうべき死活問題と思われるからである。 

日本人とアラブ人
山本七平ライブラリー『常識の研究』p105~108
 「聖地からの日本人論」がテレビ放映された後で、アラブ連盟を中心とする国々から抗議があった。もっとも放映前からNHKには強烈な圧力があったが、放映後は専ら抗議の対象が日本国政府ということになり、NHKにも私にも何の抗議もなかった。ただ一回目と二回目の放映の間に、アラブ系の新聞記者が来た。取材というよりも、だれかからの内意を受けての探りであろうと思うが、そのためか大変に”友好的”であった。
 私は、自分が抗議を受けていないのだから反論する立場にはないが、しかし関係者として相手の抗議のおかしいと思われる点を指摘し、これが誤訳もしくは誤解に基づくものなら、どこへでも出て説明しましょうと言った。だが、そのような話を三時間ほどしているうちに「確かに政治的な動きだが、それで国々が結束するということは、上記のような枝葉末節が問題ではないのだな」ということを悟った。簡単にいえば、われわれはエルサレムを「三大宗教共通の聖所」と見ているわけで、NHKも繰り返しこれを主張しているわけである。
 だがしかし、原則論に立てば「唯一神教」という発想は、「三大宗教共通の……」という発想自体を許さないはずである。「アラーのほかに神なし」ならば、アラーでないものを、それと同等の位置におき、アラーへの信仰をもその中に含めて、「三大宗教共通の……」という発想をすること自体が絶対に許容できない態度ということになる。となると、「ここはイスラム教の聖地であり、他の宗教がここに入ること自体が許されないことであります」と説明しない以上、抗議が来るのが当然であって、抗議が来なければおかしいと考えねばならない。
 これはちょっと、かつての「二つの中国論は絶対に許されない」に似て、コニつのエルサレム論は許せない」なのだが、宗教的絶対性ともなれば、政治以上にきびしくて当然と考えるべきであろう。ただ問題をそこまでつきつめなかったのは先方の政治的配慮であり、私のところに来た使者はおそらく、その点を探りに来たのであろうと思う。
 政治的にも、宗教的にも、イデオロギー的にも、この種の問題は今までもあったし、今後もあるであろう。では一体この種の問題に、われわれはどう対処すべきであろうか。実は、今回の企画があったときからこのような問題が発生したときにどうすべきかは考えていたのだが、結局、「三大宗教共通の……」で押し遍そうと思うていた。というのは、これが日本人の伝統的な立場だからである。われわれが対象を見るとき、日本人の立場で、日本人の見方でそれを見る。それは当然の権利であって、イスラム教徒の立場で、あるいはアラブ人の立場でこれを見ようということ自体無理と言わねばならない。もちろんわれわれは、相手がそれぞれの立場で日本を見る権利を否定しない。イスラム教徒はイスラム教徒の立場で日本を見て少しも差しつかえないのである。
 自分の立場で対象を見ること、それは至極当然のことのように見え、世界の多くの国はそれを当然としているが、いざとなるとこれが、われわれには相当むずかしいことも否定できない。というのは、われわれは伝統的に「相手の立場に立って」ものを見るという見方をするからである。もちろん私自身、この日本の伝統を少しも悪いとは思っておらず、それによって日本の社会が円滑に活動しているのだから、実にすぐれた伝統であると思っている。だがしかしこれは、あくまでも同一の伝統的規範の中に生きている日本人の間でだけ通用する考え方で、外部には通用しないし、敵と味方の明確な世界ではむしろ害があるであろう。
 だが、あくまでも日本的見方で見るということは、それによって摩擦が生じないということではない。むしろ逆であって、「三大宗教共通の……」という言い方は、いずれも唯一神教であるこの三大宗教のそれぞれから抗議が来ても不思議ではない言い方なのである――もちろん現実に抗議があるかないかは別だが。だがたとえ三大宗教から抗議があっても、この三つの相手の立場にそれぞれ立つことははじめから不可能である。この場合にとれる唯一の立場は、日本的伝統に立って日本的見方で見る以外に、われわれに見方がないということである。
 そして最後に、もう一度繰り返せば「あなた方があなた方の見方で日本を見ることをわれわれは拒否しない。と同時に、われわれが独自の立場であなた方を見る権利を留保する」ということであり、同時にそういうさまざまな見方を互いに認めることが、実は相手を認めて話し合う前提だということを強調 することであろう。キリスト教が、エキュメニズムという形でこの考え方を打ち出した歴史は決して古くないIそしてある意味では、われわれはその点の先輩なのである。 

「自由」とは
山本七平ライブラリー『常識の研究』p122~124
 「自由民主」という言葉について、あらためて考えてみたい。というのは、少なくとも戦後の日本においては「自由」と「民主」は「結合しなければ共に存在し得ない概念」とは考えられていないからである。たとえば、宮本・袴田論争に出てくる「民主集中制」という言葉である。この場合、「民主」という言葉を使い、俗に「民主的」といわれる手続きさえ踏んでいれば、それが「民主主義」だという前提でその正当性が主張されていても、「自由」をどう位置づけているかは不明である。そしてこれが不明であっても、「民主」ならばそれで良いとする傾向は新聞の論説等にもある。
 では、自由とは具体的に何を意味するのか。自由民と奴隷がいた社会では「自由」の基本的意味はきわめて明確で「個人が自由意志に基づく決断によって行動する権利をもち、また、その決断に基づいて自由に契約をなしうること」で、これができうるのが自由民である。一方奴隷は、それを行い得ない売買と強制の対象であり、従って契約の対象にはなり得ない。この原則は組織と個人との間を律するだけでなく、個人と国家との間をも律するはずである。日本国憲法は、日本人という一個人が自由意志に基づいて国籍を放棄する権利を認めているが、自由主義憲法としては当然の規定であろう。
 最近朝日新聞に、かの有名な本多勝一記者のベトナムに関する記事とも随想ともつかない一文が載った。読んでいて、筆者が何を言いたいのかなかなかわからなかったが、末尾の「アメリカの建国時にも二十人に一人の割で脱落者があった。現在のベトナム難民はソビエト建国時よりはるかに少ないのではないか」といった意味の部分まできて、なるほどと納得した。
 「苦しい建国時代に脱落者が出るのは当然で、これを大問題の如くに取り上げるべきではない」が、まわりくどい表現で読者を誘導して到達させる結論なのであろう。
 確かに建国時代には脱落者が出る。アメリカ建国時に五%の脱落者が出たというのは初耳だが、もっとひどい例が目の前にある。それはイスラエルで、ユダヤ人人口三百八十万といわれるが、その一割の三十八万は脱落者で、実際の人口は三百五十万以下しかいない。脱落者が出ることを不名誉と考えるなら、この国は最高の不名誉にあるわけで、ベトナムはもちろんソビエトでも、苦難の建国時にこれほど高率の脱落者を出したわけではあるまい。
 イスラエルの脱落者はヨルディームと呼ばれ、この問題は同国で活発に論じられている。議論百出だが、しかし絶対に出てこないのは、ヨルディームの出現を防ぐため、出国禁止もしくは制限を行うべきだという議論である。
 「脱落者」といっても、ヨルディームとベトナム難民とは決して同じではない。前者は「自由意志に基づく自らの決断」により航空券を買って堂々と自由に出て行くわけであり、後者は、監視の目をくぐって海上に出、僥倖をたよって漂流しているわけである。この二つは本質的に違うが、「自由」という視点がなければ、ともにそのパーセンテージの少ない方が立派だという言い方もできるであろう。だがそれは脆弁にすぎない。
 第二に、ヨルディーム問題はイスラエルで活発に討論されている。これが「言論の自由」であり、「知る権利」の行使である。ベトナムでは、難民問題は論じられているのであろうか。おそらく否であり、ベトナム人はそういう難民の発生していることすら、公式には知らされていないのであろう。そしてこの知らされておらず、自由に討議することもできないという事実を、言論の自由を主張する新聞自身が承認しているわけである。
 ベトナムにしろイスラエルにしろ、外国のことであり、それ自体はわれわれの日々の生活には直接に関係はない。ただこれらを報じかつ論評しているのは日本の新聞であり、その新聞の視点は外国の問題  でなく日本国の問題、すなわちわれわれの問題である。そしてこの視点を見ると、もし日本が”解放”されたら、日本の新聞がヨルディームの自由を主張することはあり得ず、おそらくは「脱落者何パーセント」でアメリカ建国時、イスラエル建国時よりはるかに少ないと主張するであろうと思わざるを得ない。
 そうなった時は、全日本が一個の強制収容所になったときである。ヨルディームの権利を守るからといって、すべての人間がヨルディームになるわけではない。しかしそれを守ってやらねば、自分たちも「自由」を失ってしまうのである。それが「自由」というものであろう。そしてこの自由を、日本の新聞が決して守ってくれないことを、各人が銘記しかつ覚悟しておくべきである。 

伝統文化と近代化
山本七平ライブラリー『常識の研究』p132~134
  日本における世論というより、むしろ論壇・マスコミの”空気”は、非常に奇妙に転換する。もっともこれは”空気”だからそれが当然でやがて雲散霧消するであろうが、この。空気”は時には一時的にドグマとして人を拘束するから、やはり無視すべきではないであろう。「日本ダメ論」は長い間、論壇・マスコミの”空気”であり、「日本をダメにした云々」といった本まであった。この伝統は相当に長く、決して戦後はじまったものではない。私は、少年時代に「これだから日本人はダメなんです」といった種類のお説教を聞かされて、「では一体あなたは『なに人』ですか」と反問したくなった経験がある。
 戦後は欧米先進国、また社会主義を「スバラシイ」として、「それにひきかえわが国は……」とする形の「日本ダメ論」が「定式化」していた時代もあった。これも相当期間つづいている。しかし、この方式は社会が受けつけなくなった。  その反動のように出てきたのが、「日本スバラシイ論」であろう。これは確かに、長いあいだ続いた無意味な「ダメ論」への解毒剤として価値はあったであろうが、「ダメ論」と同じ問題点を含んでいる。  日本人は何も天性ダメでもなければ、天性スバラシイわけでもない。現時点で非常にうまくいっているのは、日本の伝統的文化が近代化・工業化社会の形式に適合していることと、戦後政策の成功、および国際環境が日本に有利に展開しているといったさまざまな複合的要因の上に成立しているのであって、その一つが欠けても現状はあり得なかったであろう。それは、日本が社会主義圏に組み込まれていたらどうなっていたであろうかを想像すれば十分である。
 この状態は、「自然に形成された」ものでなく、方向を誤れば逆転もあり得る。かってのチェコスロバキアは東欧一の工業国で、ある一時期はアメリカより生活水準が高かったなどと言っても、今の人にはもう実感がないであろう。同様なことが起れば、日本も同様な状態になる。これは「ダメ論」「スバラシイ論」で解ける問題ではない。従って、その状態にならないための努力と負担は惜しむべきではあるまい。
 さらに同じ自由主義圏に属していても、その中の各国の比重は絶えず変っている。勤労を絶対的規範としてきたプロテスタント圏においても、その伝統文化の保持は必ずしも成功しているとはいえない。これは日本にもいえることであり、あらゆる宗教ないし宗教的思想には徹底した堕落があり得ること、また同時に宗教改革・対抗宗教改革による再生があり得ることも歴史が示している。
 現代の情況を見れば、勤労を絶対的規範とする日本の伝統文化が、放置したまま持続しうるという根拠はどこにもない。この点でも、「ダメ論」も「スバラシイ論」も意味をなさないのである。
 さらに社会保障という問題がある。社会保障を「絶対善」とする”空気”はまだ強く残っており、これに関してさまざまな問題提起をすることは一種のタブーになっているが、社会保障が人間の心理にどういう影響を与え、それが社会心理となった場合、勤労のエトスにどのような影響を与え、それが産業国家をどう変質させるかといった問題は、何一つ論じられていないに等しい。だがこれは、社会保障を可能にしうる産業的基盤そのものを危うくし、それが社会保障をも不可能にしかねない問題を含んでいるはずである。これまた「ダメ論」でも「スバラシイ論」でも解決がつかない問題である。
 現代の世界を見ていてつくづく感じることは、最も困難なことは決して新しい技術や組織の輸入ではなくて、自己の伝統的文化をいかに保持するかであり、同時にそれを、近代化・工業化・脱工業化という社会的変化にいかに適応させて機能させていくかという問題である。伝統文化保持のため近代化を排除すれば、その国は転落せざるを得ない。
 しかし近代化のため伝統文化を破壊すれば、混乱を生じて近代化は不可能になり、やはり転落せざるを得ない。イランも中国も、形は変ってもこの問題に解決の道が見出せずに悩んでいる点は同じであろう。しかし、さらによく見れば、先進国なるものの抱えている問題も、実は、同じ問題であることに気づく。そして、この問題を抱えているという点では日本も決して例外ではない。「ダメ」「スバラシイ」ではなく、日本の伝統を踏まえつつ、この問題にどう対処していくかが、われわれの課題であろう。 

高齢化社会を生きる道
山本七平ライブラリー『常識の研究』p141~143
 高齢化社会は、遠慮なく近づきつつある。現在の日本は生産人口七人で老人一人を養っているが四十年後には、二・五人で一人を養うことになる。また、お隣の中国では「子供一人政策」を強引に推し進めているが、これが四十年後にどのような社会を現出するか、だれにも予測できないという。それはおそらく、恐るべき低生産性の中で、その時の日本と同じような状態を現出するかも知れないのである。
 未来には、予測可能な面と予測不可能な面がある。予測不可能な面で対策を誤ることは必ずしも怠慢とはいえまいが、予測可能な面で対策を立てないことは、明らかに怠慢である。さらに一国の人口において、六十五歳以上が一五%を越えると急に経済その他の成長がとまり、社会は活気を失うという。とすると、そうなってから対策を立てようと思ってもそれは無理であり、今のうちから、将来のこの問題にいかに対処するか考えておかねばならないであろう。
 さらに問題なのは、日本はこの高齢化現象へと進む速度が異常に早いことであるIもっとも中国は将来さらに早かったと言われるかも知れないがI。これは産制や中絶に社会が拒否反応をもたないことにもよるが、フランスが百五十年、スウェーデンが百年かかっていることが、日本ではおそらく三十年ぐらいで進行し、急速に国連の定義する高齢化社会に入ってしまうことである。  一体これに対して、どういう対策があり得るのであろうか。イギリス型福祉もスウェーデン型福祉も実際には失敗であったと言われる。六十五歳でその人を「非生産的人間」と規定して社会保障でその生活を保障することは、やがて不可能になってくる。さらにそれは、決して、そのようにして保障されている老人に「幸福感」を持たせず、いわば高い社会的コストを負担しながら「幸福」を保障していないことも、否定できないのである。
 まさに「人の生きるは、パンのみによるに非ず」であり、社会から「不要」と見られつつ「生かされている」ことは、肉体はそれに耐え得ても精神が耐え得ないことは否定できない。それがいかにその人を精神的に老化させ、「廃人」同様の状態に追い込むかは、すでにさまざまな点で証明されている。
 以上のような面から見れば、高齢化社会に対応する方法は一つしかないであろう。それは一言でいえば「高齢化に対応したロボット化」である。というのは、吉田寿三郎氏の『高齢化社会』によると、年とともに肉体は確かに衰えるが、精神力は六十歳がピークであり、それから徐々に下降するとはいえ七十歳で約四十五歳、八十歳でも約二十七歳にほぼ等しく、決して急激に下降していないのである。ただし条件がある。それは本人が絶えず努力し、絶えず頭を使っていることで、それをやめれば急速に衰え、俗にいう「ぼける」という状態になるという。
 一方、体力の方は五十八歳ぐらいから急激に衰え八十歳になるとゼロに近くなる。そこで、頭脳だけを使い、いわゆる「肉体労働」なるものは細かい点までロボットに行わせる。さらに、高齢者は外気の変化に非常に弱いので、寒暑からあらゆる方法で身を守る設備が必要となる。
 これらは、現代の日本の技術では決して出来ないことではない。そしてこれらさえ完備すれば、六十五歳以上の老人も立派に働けて決して社会の負担にならず、逆に、生産に寄与しうるのである。
 日本は、今まで西欧先進国の模倣によって工業化社会を形成してきた。そのため、福祉といえばこれまたすぐ短絡的に西欧模倣となり、すぐ、施設の拡充、西欧型福祉の充実、先進国に追いっけの発想になる。しかし、前記の吉田氏も指摘されているように、西欧の行き方は明らかに失敗しており、それは老人の廃人化と若者への高負担という二重の苦を社会に強いているのである。われわれはこの道の跡をそのままたどるべきでないし、その必要もない。
 さらに考えるべきことは、高齢化社会への適切な対策は、そのまま若者社会への適切な対策になりうるということである。というのは、二・五人で一人を養うといった状態は、若者にとって耐えられぬことであり、その高負担が累進課税的な負担となれば、すべてのものが「やる気」を失ってしまい、これは逆に、若者の「精神的老齢化」をも生み出してしまうからである。
 このほかにも、家庭、社会一般、その他にさまざまの「高齢化社会問題」があるであろう。しかし個々の現象に対症療法的に対応するよりも、技術化社会は技術化社会のように、まずその生産の基本から手をつけるべきであろう。 

防衛の四原則
山本七平ライブラリー『常識の研究』p143~1456
 話題を呼んだ森嶋・関両教授の平和論争をさまざまな雑誌その他で読み、それをまた読み返してみて、なるほどとも思い、また少々不思議にも思った。
 というのは、私も前にあるテレビの対談で防衛について意見を聞かれ、きわめて簡単に四原則を述べたわけだが、そのとき私の頭にあったのは、「防衛」であって、必ずしも「国防」でなく、ましてやそれがすぐ「大論争・戦争と平和」へと短絡するものでもなかったからである。簡単にいえば私は、企業の防衛であれ一国の防衛であれ、その原則――これはあくまでも原則だが――は同じであり、この二つに全く別の原則が作用するとは思っていないからである。
 企業の防衛も一国の防衛も原則は同じだ、という言葉は、さまざまな反発を引き起す言葉かも知れない。したがってここでなぜそう言いうるかという点について、もう一度その四原則を、以上の観点から取り上げてみよう。
 私か第一にあげたのは先見性、すなわち、冷静かつ的確な将来への見通しである。この点では私は、太平洋戦争の発端を真珠湾に置かず、日独伊軍事同盟とそれに先立つ三国防共協定に置く。そしてその背後にあったものが、勝利する枢軸側、没落する米英側という見通しなのである。
 こういう場合、日本の新聞はしばしば正気を失う。ある時期のヒトラーはちょうど一時期の毛沢東のようなもので、周恩来に握手されて感動の余り泣き出した女性評論家がいたように、ヒトラーに握手されてただただ感動している日本人のことが当時の雑誌に記されている。企業であれ国家であれ、こうなってしまってはおしまいであり、先見性もへちまもあったものではない。
 第二は、正確な先見性に基づく的確な外交関係の確立である。企業であれ国家であれ、完全な孤立状態では存立し得ない。したがって「正しい見通し」をもっていてもそれに対応する手を打たなければ、その見通し自体が意味をなさない。前記の日独伊軍事同盟は、見通しを誤っていただけでなく、この同盟自体が何一つ機能しなかった。軍事同盟とは名ばかりで、統合参謀本部などはもちろんなく、共同作戦などは全くなく、首脳会談もなければ、合同参謀会議といったものすらなかった。いわば有名無実である。
 第三が、以上二つに対応し得る国内整備である。これも国でも企業でも同じであり、どのように見通しが正しく、関連企業との連携も完璧でも、社内体制がそれに即応していなければ意味はない。当時の日本のように、石油は一年半、食糧はせいぜい二年では、相手はその涸渇を待っていれば十分なのである。
 そして第四が軍備となるのだが、以上の三原則に違反していると、当時のアメリカの七割以上という軍備をもち、真珠湾の奇襲で完全な一時的優位に立ちながら、結局はすべてが無意味な努力となるわけである。結果はこの四原則のうち三原則でほぼきまっているわけで、最後の一つを能力以上に機能させても無意味だということである。
 おそらくこれが、われわれが太平洋戦争から得た最大の教訓であり、同時に私にとっては、倒産出版社から得た最大の教訓なのである。いわば先見性を誤ったらどんなに全社員が努力してもダメ、たとえ先見性が正しくそれに基づく企画そのものは正しくても、著者、販売店等との連携が的確になされねばダメ、その連携がうまくいっても人材面・資金面で社内が整備されていなければダメ、この三つのダメを何とかすべく、全員が特攻隊のように小売店に体あたりしてもダメ、ということである。私はある出版社の倒産を見て、ちょうど太平洋戦争末期だなと思ったことがある。
 防衛問題というとすぐ何やら、われわれ凡俗の手のとどかない崇高な議論になってしまうのは、戦前の軍部の伝統が奇妙な裏返しの形で今も残っている証拠であろう。そしてこれが、一般人が「日常の論理」としてこの問題を考えることを昔も今も妨げてきた。
 そこで、まず企業の防衛も国の防衛も原則は同じことだと考えてみよう。自社の先見性が正しいか否かのように、今の日本、特にマスコミの先見性は正しいかどうか。自社の連携が機能しているか否かのように、日本の同盟・外交関係は機能しているかどうか。自社の社内があらゆる面でそれに対応するよう整備されているか否かのように、日本の国内が整備されているか否かである。 

国民感情と国家感情のあいだ
山本七平ライブラリー『常識の研究』p157~159
 少し前まで、否少なくとも公式には現代でも、「国家理性」という言葉は存在しても、「国家感情」という言葉は存在していない。このことは、国家の行動の原則はあくまでも「理性」であり、国家それ自体が「感情」をもって、この感情に基づいて行動することはあり得ないという前提で、現代の国家は運営されていることを意味する。だが最近、この前提が少々あやしいと思わねばならない事態に遭遇する。
 一つはイランの人質問題である。アメリカの大使館員を人質としておくことが、イランの国益にとってプラスかマイナスかは論をまたないことであろう。たとえパーレビ前皇帝がイランにどれだけの損害を与えたにせよ、この人質事件がイランに与えた損害ほどに大きくはあるまい。というのは、この不毛の事件は、同国を破産させかねないからである。だがこのような議論は、「国家理性」を説得することは可能でも、「国家感情」を鎮めることは不可能であろう。というのは、感情の激発は、元来、そのような計算を無視するからである。従って、この問題は「国家感情」という面からしか把握できない。
 アメリカもイランの国家感情をいかんともしがたい。そしてこの「いかんともしがたい」ということが、国民感情を激発させ、それが少なくとも部分的には政府を動かしたと思われる面がある。そしてそれに基づく軍事的救出作戦とその失敗は、ますます双方の感情的対立を尖鋭化させ、その尖鋭化は一時、解決を不可能にしているように思われた。幸いにそれは解決したにしろ、感情的しこりがなくなったわけではない。
 過去において、日本のマスコミはしばしば「国民感情」の側に立った。「国民感情を無視して……」とか「国民感情を逆撫でする……」といった言葉は、一種、国家による許されざる行為として糾弾されるのが普通であった。しかし、このような議論が成り立つのは、一に、どのように国民感情が激発しても、国家理性はあくまでも国家理性として存在し、国民感情がそのまま国家感情に転移して、一国が一時の感情にかられて、自国を破滅または破産させるような行動に出ることはあり得ない、換言すれば「国家感情」などというものはあり得ない、という前提があって、はじめて可能なはずである。
 だがこの前提をそのまま信じていてよいのであろうか。確かに過去において、国民感情の激発に際して、政府が、国家理性の体現者としてこれに対応し得た例は少なくない。日露戦争の講和時における政府、全面講和論に対する政府、七〇年安保に対する政府の行動などには、それが言える。激発する国民感情が国家感情となり、せっかく小村寿太郎が締結し調印してきたポーツマス条約を破棄したり、全面講和が可能でない限り講和会議に出席しないと言ったり、日米安保条約を廃棄したりしていれば、それがどのような状態を招来していたかは、説明の必要があるまい。
 だが、国民感情がそのまま国家を支配し、国家感情となった例も決して少なくない。良い例が太平洋戦争の勃発のときである。「暗雲一気に晴れて……」といった新聞の社説は、これによって、うっせきしていたものが一気に吹きとばされ、国民感情という面ではまことにすがすがしい思いであったことを示している。しかしそれが、どのような事態を招来したかは、いまさら説明の必要があるまい。近衛回顧録『平和への努力』の中に「わが国の外交論は感情論が多い」という一節があり、外交が専ら感情に支配されていることを嘆く言葉があるが、これは、現今のイランと一脈通ずる状態で、バニサドル大統領も同じ嘆きを内心で呟いているかも知れぬ。
 過去においては、「国家理性」と「国民感情」という言葉しかなかった。しかし情報公害と。いう言葉が通用する奇妙な”情報過多”の時代、選挙のみならず世論もしくはさまざまな運動という形で、国民感情が過多に政策に影響を与えざるを得ない状態においては、「国家感情」が存在し得、同時に「国民理性」が要請される時代だということをも、考えねばならないであろう。そしてそれは単に外交面だけでなく、内政面でも同じはずである。
 いわば政府は決して「国民感情」の代行者であってはならず、「国家理性」を国民に訴えて、つねに「国民理性」に基づいて判断を下してほしいと要請する態度を侍していかねばならないはずでこのことは、まず第一に、国権の最高機関である国会が、あくまでも「国家理性の府」として機能しなければならぬということであろう。
 だが昨今の状態を見ていると、それはあたかも「国家感状の府」として機能しかねない状態とも見られ、一方それに対して国民の方はむしろ冷静で、「国民理性」の立場から冷やかにそれを観察しているかのような感じさえうける。国内国外のあらゆる問題は、すきっと割り切れて感情を充足してくれるような問題でないことを、国民はすでに戦後三十余年の体験で知っている。政府は、これに正しく対処すべきであろう。 

カトリックの戦争観
山本七平ライブラリー『常識の研究』p175~177
 「平和問題」「軍縮問題」「核兵器問題」は戦後一貫して論じっづけられて来たが、ふと気づいてみると、これらの根本にある「戦争問題」が諸外国ではどのように論じられ、どのような結論を得ているのか、殆ど知らない自分自身に気づく。戦争とは国際間の問題だから、他の国がこの問題をどう論じているかこいなその前に、どういう前提で論じているかを知らなければ、「ひとりよがり」になるであろう。そして「ひとりよがり」では、国際間での協調はもちろん、討論さえ不可能になってしまう。こんなことを考えているとき、カトリック教会のアメリカ司教団が発表した「戦争と平和に関する司教団教書」が、『平和の挑戦』の書名で邦訳され出版された(中央出版社刊)。
 言うまでもなくカトリック教会は、大きな勢力をもっ宗教団体であるだけでなく、その考え方は欧米諸国に大きな影響を与えるから、その基本的な考え方はわれわれも知っておく必要があるであろう。ここで注意しなければならぬのは、これはあくまでもアメリカ司教団の教書であって、西独、フランス、オランダ等の司教団は必ずしもこれと見解が同じでないということである。
 これらの相違について、カトリック新聞はバチカン教理聖省長官ヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿が、それらの違いは「各国の司教団が直面している歴史的、地政学的状況の違いから当然に予想されるものだと説明している」と報じている。だがこのことは、カトリック教会に戦争と平和に関する統一的見解があって、それが、歴史的・地政学的状況の違いによってある程度の差を生じているということである。こういう場合にわれわれが知っておかねばならぬことは、その基本になっている統一的見解であろう。それは、「カトリックの教えの若干の諸原則・規範および前提(A)戦争について」の章に示されている。以下にその一部を紹介しよう。
(一)カトリックの教えは、どの場合でも戦争に反対し、紛争の平和的解決に賛成する前提で始まる。聖戦の伝統の道徳的な諸原則により規定された例外的な場合には、ある力の使用が許される。
(二)どの国も、不正な侵略に反対して、自衛する権利と義務をもつ。
(三)いかなる種類の攻撃的戦争も、道徳的に正当化されえない。
(四)「都市全体、または広い地域を住民と共に無差別に破壊すること」(『現代世界憲章』八〇項)、核兵器または通常兵器を向けることは決して許すことができない。無事の市民または非戦闘員の意図的な殺害は常に悪である。
(五)不正の攻撃に対する防御的対応さえ、正当防衛の限界をはるかに越えてつり合いの原則を犯し破壊をひき起すことがある。この判断がとりわけ重要なのは、核兵器の計画された使用を評価するときである。核兵器であれ通常兵器であれ、つり合いの原則を越えるいかなる防衛戦略も、道徳的に許すことはできない。
 以上の五ヵ条になっている。だがこのほかに、「(D)人間の良心について」を参考までに掲げておこう。
(一)軍務=「祖国に対する奉仕を志して軍籍にある者は、自らを国民の安全と自由のための奉仕者と考えるべきである。彼らは、この任務に正しく従事している間は、真に平和の維持のために寄与している」(『現代世界憲章』七九項)
(二)良心による戦争拒否=「なお、良心上の理由から武器の使用を拒否する人については、別の方法で共同体に奉仕することを受諾するのであれば、法律によって人間味のある処置を規定することは正しいと思われる」(『同書』七九項)
(三)非暴力=「権利を擁護するにあたり、暴力を放棄して、弱い者にも使うことのできる防衛手段に頼る人を……我々は同じ精神に基づいて、賞賛しないわけにはいかない」(『同書』七八項)
(四)市民と良心=「わたしは、あらためて、わたしの子たちに、公的生活に積極的に参加するようにすすめる。そして、彼らに全人類とそれぞれの政治共同体との共通善の促進に貢献することを求める……。そのためには、人間が、その行為を、学問的・技術的・職業的努力と最高の精神的価値との総合をなすことが必要である」(ヨハネ二十三世『国連への教皇の声明』一四六・一五〇項)
 解説をする紙数がなくなったが、一読されればだれでも、きわめて「常識的」だと思われるであろう。彼らにとって、またその強い影響下にある欧米人にとって、「平和」とは偽善的・独善的・宣伝的な文言の上にも、オーウェルの『一九八四年』的な新言語や二重思考の上にも築きうるものでないことは、自明のことなのであろう。
 こういう原則が明確な対象と、まず「平和について」の討論をやってみたらどうであろうか。「日本語的鎖国」の中の議論よりも、もっと成果のあるものとなるかもしれない。  

老人問題の方向
山本七平ライブラリー『常識の研究』p325~327
 「高齢化社会」――この言葉が口にされ出してからもう相当の年数を経た。「寝たきり老人」問題、医療費の問題、国家予算における福祉関係予算増大の問題等々、さまざまな問題が、すでに何回も新聞等で取り上げられた。だが、いまそれらを読みかえしてみると、その殆どが「問題の指摘」「問題の提起」「将来への予測」「現状への批判」等であり、「では今、何をすべきなのか。いかなる社会的システムが要請されているのか」となると、その解答は皆無に等しい。せいぜい欧米の諸例の紹介と福祉関係の予算を増額せよ、といった程度のことなのである。
 そういう中で、私はある機会に佐藤智先生を知り、「ライフケア・システム」という非常に面白いシステムのあることを知った。先生は現在、白十字診療所長、第三十三回保健文化賞受賞者で、南インド・クリスチャン・フェローシップ病院に勤務された方である。先生がなぜこの「ライフケア・システム」という方式を考え出されたかは先生の『在宅老人に学ぶ』(ミネルヴ″書房)に記されているので、それを読んでいただければよいわけだが、私がこの問題に強い関心をもったのは、実は、私自身が「寝たきり老人」を抱えていたからであった。
 本書を読むと、先生がこの「ライフケア・システム」を実施されるまでには、医師としての長い経験の集積があったことがわかる。その一つに、若き日に東村山市の診療所に赴任され、訪問看護を実施され、その結果、三年四ヵ月の間に、「寝たきり老人」の四六%が「歩行可能」、この一二%が「歩行可能か改善」、四%が膝などによる移動が可能になる。先生も書いておられるが、いわゆる「寝たきり老人」の半数以上が、実は「寝かされている老人」「寝たきりにされている老人」なのである。
 こうなった理由はいろいろあるが、「法律の壁」もある。ある老人が心筋梗塞で入院し、やっとよくなって退院する。家は米屋で米袋の積みおろしがある。それを手伝いたいが「そんなことをして、もし……」という懸念が本人にも家族にもあるから、何もできない。放っておけば「ポケ老人」になるかも知れない。そこで訪問看護に行き、米袋を三つ運んで心電図をとったが少しも異常がない。この程度の軽労働なら大丈夫ですといわれ、本人も自信をもち、生き甲斐を感じ、家族も喜ぶ。ところがこれをある研修会で話すと、途端に次のような質問というより詰問が来る。「佐藤先生は……お若いのでこういう思い切ったことをなされるけれども……東京都では、保健婦が血圧を測ってもいけないことも、ご存知ないのですか」「いや、私はそんなこと知りませんでした」「ましてや、看護婦が心電図をとってくるなどということは大変ですよ」。ではどうしろと言うのか。こういう問題もある。
 そして佐藤先生はインドに行かれる。インドはもちろん日本より貧しい。もちろん寝たきり老人はいる。さぞ悲惨なことがあろうと思うと決してそうではない。寝たきり老人はいるが「寝たきり老人問題」はない。理由を一言でいえば、各人が明確に「生と死の哲学」をもっているということであろう。
 老人はどのように死を迎えるべきか、その死を迎える老人を若い者はどう遇すべきか、これが実に明確なのである。
 大分前のことだが故浅野順一先生と対談したとき、先生が「老人問題、老人問題というが、みな言っていることはカネのことだけ、『心の問題』に全く無関心、これでは何の解決もない」と言われた。正直なところ、私はそのとき、浅野先生の言われることがピンと来なかった。このたび佐藤先生のインドの体験を読み、はじめて、浅野先生の言われたことの意味が理解できた。
 日本人にも「生と死の哲学」はあった。ところが戦後、それをどこかに置きわすれてしまった。家族に見とられながら最期を迎える、いわば「在宅の死」が日本の伝統なのである。佐藤先生は「私は、インドに触れて、ますます『在宅の死』の自然さが分った。そして日本にもその途を開かねばならぬと感じた」と記されている。だが現実問題として、それは家族には非常に不安なのである。それは、現に「寝たきり老人」を抱えている私自身が強く感ずる。
 その不安の解消は、自宅にいても、何かのときには「病院が出張して来てくれる」というシステムができれば解消する。そして、そのシステムが佐藤先生の開発された「ライフケア・システム」である。詳しくは前著を読んでいただけばよい。
 高齢化が進むと共に、ますますこの問題は、個人的にも社会的にも財政的にも深刻化する。そして多額の予算を使っても、老人がそれで精神的に満足するわけではない。それは最終的には、日本人の伝統的な「生と死の哲学」に政策が正しく対応しているかどうかという問題、いわば文化の問題になるが、この点を、政府も党も国民も真剣に取り上げるべき時が来ていると思う。

「人種的憎悪」について
山本七平ライブラリー『常識の研究』p175~177
 何気なくぱらぱらと「ニューズウィーク」誌を見ていたら、ジョン・ダワーの『非情な戦い『太平洋戦争における人種と勢力』の紹介が目についた。理由は、戦後にフィリピンの収容所で目にした、醜悪に戯画化された日本兵のマンガが冒頭に掲げられていたからである。われわれの世代はこのマンガだけで、その中で日本人がどのように描写されているか、ある程度は想像がっく。もちろんダワーが、それを、戦争という異常な状態における人種的偏見として紹介しているにしても――。
 従って紹介の内容のうち、「出っ歯で、近視で、チビザル」の「ジャップ」は人間以下だと言ったようなものには少しも驚きを感じなかったし、次の紹介文ぐらいの程度なら、不思議とも思わない。
 「人類学者は、日本人は幼くて、野蛮で半ば狂っていて、子どものころの排泄のしつけが原因で大人に十分なりきれず、彼らが何かにつけ劣等意識をもつのも当然、と解説した」と。マッカーサーの日本人十二歳説はおそらく、こういった。”人類学者”の影響であり、彼自身は、本当にそう信じていたのであろう。
 だが、次の紹介文には、自己の経験から戦時中のことにはあまり驚かない私も、少々驚いた。
 ……あと八センチ背が高かったら、日本人は真珠湾を攻撃しなかったはず、という報告書があるかと思えば「現代に生き残った一種の奇形」と言ってのける雑誌もあった。
 スミソニアン研究所のある科学者はルーズヴェルト大統領に、「日本人の頭蓋骨はわれわれよりおよそ二千年発達が遅れている」と報告している。この生物学的遅れを取り返すためには、戦争が終ったら日本人は他の人種と結婚すればよい、とルーズヴェルトは言った。
 日本にも確かに「鬼畜米英」という言葉はあった。しかしこれはいわば一種の誇大表現であることを、この言葉を口にする者も聞く者も暗黙のうちに了解しており、米英人を本当に、人間でない「鬼」と「畜生」であると思っている日本人はいなかった。そしておそらく当時の日本のどの記録を探しても「アメリカ人は生物学的に日本人より二千年遅れている」といった。生物学者”はいなかったであろうし、「幼くて、野蛮で半ば狂っている」といった。人類学者”もいなかったであろう。いわば戦時中の日本人の反米的表現は、アメリカ人のように、はっきりした具体性をもち、一見、科学的ないし学問的な裏づけをもつようなものではなかったといえる。
 もちろん日本側にも米英への憎悪はあり、これは戦争にはつきものだといえるが、日本人にあるのは「敵への憎悪」であっても「人種的憎悪」ではなかったといえる。このことは、自らが人種的憎悪の対象であったヘブル大学の日本学教授ベン・アミ・シロニー博士も別の表現で記している。いわば同じドイツ国民でもユダヤ人であれば抹殺したのは、敵への憎悪というより人種的憎悪というべきであろう。だがアメリカ人にも同じ傾向があったことは、この本の紹介をみるとわかる。コンセントレーションーキャンプに入れられた日系人を「どこで卵がかえろうが、毒蛇は毒蛇」と「ロサンゼルス・タイムズ」が記したと。
 以上のように見ていくと、「敵への憎悪」と「人種的憎悪」とは、はっきり分けて考えるべき問題である。もちろん憎悪とは一種の感情であるから、その感情を抱きえないものには理解できない。そして日本人には、「敵への憎悪」は理解できても、「人種的憎悪」は本当には理解できないものであろう。これはおそらく、われわれがその歴史において、多人種国家を経験したこともなく、例外があるとはいえ、少数民族を抱え込むことも、少数民族として抱え込まれたこともないからであろうが、人類の世界に「人種的憎悪」というものがあることは、残念なことだが、認めざるをえまい。
 戦争が終れば敵への憎悪はやがて消える。しかし人種的憎悪は戦争・平和に関係なく存在する。ただ、人種的憎悪はもちろんのこと人種的偏見も表面的には「悪」と規定され、それゆえに世界は南アフリカ政府を非難し制裁しているわけだが、しかし非難している側にも同じものが潜在し、それが別の表現、いわば「正義」や「公正」の仮面をかぶって作用して来ないという保証はない。
 たとえば東京裁判の「文明に対する罪」や「人道に対する罪」は、日本人は「野蛮で残酷、無慈悲で狂信的」だから原爆を落すのを当然としたトルーマンの日記と、前に引用した”人類学者”や”生物学者”の意見と対応してみるとその真意がよくわかる。そして戦後、日本人の中にさえこれを継承し、自虐的な自己憎悪、すなわち日本人による日本民族への憎悪が一種の「正義」としてまかり通ってきたこともまた事実である。
 こうなると「いわんや、他国に於いてをや」という気もする。この問題は、日本側でも深く研究すべき問題であろう。


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