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山本七平語録

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人望論

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人望の条件―「九徳」とは何か
山本七平ライブラリー『論語の読み方』p249~251
 私の青少年時代には、多くの人が陸士・海兵を目指した。だが、思い起してみれば、大日本帝国が消え去ったのはそれからわずか六年目である。その人たちの中には戦後一転して社会党・共産党に入党した者もおり、職業党員になった者もいた。
 すでに亡くなった旧友には、「時代に振りまわされた不幸な一生だったな」と思わざるをえないが、三十余年前には、その人たちは、やがて日本は解放されて共産主義の国になると信じて疑わなかったわけである。これも「信仰」であり、その信仰があるがゆえに「道を信ずること篤」く、「之を守ること固し」であった。
 こういう点で「人生は賭けである」と、確かに言える。「いや、自分は賭けなどしない。最も安全な道を選ぶ」と言ったところで、その選択もまた賭けであることは否定できない。国際情勢が変れば、また、技術革新がぐんぐん進めば、「経済戦艦ヤマト」といわれる超大企業でも、小さな雷撃機的小企業に撃沈されるかもしれない。
 あの、不滅と信じられた大日本帝国も、私の友人が陸士に入った六年後に消えてしまったが、昭和十四年にそんなことが予想できた日本人はいない。したがって、賭けを避けて最も安全な道を選ぶこともまた賭けなのである。「信仰」が先に立てば賭けにならざるをえないが、この「信仰」がなければ何一つ実行できないことも、また確かなのである。
 では、『近思録』の示す「往く所を知り」「道を信ずること篤き」で「守ること固」く進む賭けは果して大丈夫なのだろうか。このことは、大日本帝国が消えても日本の文化的伝統は消えず、「人徳・人望」の価値はけっして消えなかったことを指摘すれば十分であろう。
 さらに、この価値が、社・共をはじめとする左翼的諸集団の中でも変らないことは、政治体制が変化しても変らないことを示している。確かに転換期には価値観は大きく混乱する。終戦直後の日本にもそれはあったが、それが徐々にだが、実に的確に文化的伝統的な秩序へともどっていくことは、さまざまな統計が示している。
 そしてこれは、どの方向へ進もうと、それぞれで要請される能力とは別な、異質でそれを超える能力を獲得するための学習だから、日本人が日本人であるかぎり、消えることのない「往く所」である。したがって、これを目標とすることは、賭けとはいえない確かな道であるといわねばならない。
 では、具体的には、何を目指せばよいのか。『近思録』には、だれでも学んで聖人に至ることができると書いてあるのだから、目標は聖人だということになる。確かに、何をやってもごく自然に人間の本性どおりになるのなら、それは最高に「徳」のある。超能力者へ「人徳・人望」のかたまりのようになれるだろう。
 だがしかし、それはあまりに漠然としており、具体的にどうしてよいかわからないなら、まず、「九徳」を目指すことであろう。『近思録』には、「具体的中間目標は、九徳である」とは記されていないが、「九徳最も好し」とあるから、具体的には、これに到達することを目指せばよいであろう。九徳については『尚書』(五経のうちの『書経』の別名)の「皐陶謨編」(こうようぼへん)にもあり、行為に表われる九つの徳目を、舜帝の臣・皐陶が舜帝の面前で語ったものとされている。次に挙げると――。 

(一)寛にして栗(寛大だが、しまりがある)
(二)柔にして立(柔和だが、事が処理できる)
(三)愿にして恭(まじめだが、ていねいで、つっけんどんでない)
(四)乱にして敬(事を治める能力があるが、慎み深い)
(五)擾にして毅(おとなしいが、内が強い)
(六)直にして温(正直・率直だが、温和)
(七)簡にして廉(大まかだが、しっかりしている)
(八)剛にして塞(剛健だが、内も充実)
(九)彊にして義(強勇だが、義しい)

「十八不徳人間」にならないために
山本七平ライブラリー『論語の読み方』p251~254

 大体、重要なことは言葉にすると平凡である。だが、それぞれの二つの言葉には相反する要素があるから、その一つが欠けると不徳になる。たとえば、「寛大だが、しまりがない」では不徳だから、全部がそうなれば、「九不徳」になり、両方がない場合は、「十八不徳」になってしまう。  人間は大体、逆を考えてみると、ものごとがはっきりする。まず、上役が「十八不徳」だったら、どうであろう。おそらく、次のようにならざるをえまい。
(一)こせこせうるさいくせに、しまりがない
(二)とげとげしいくせに、事が処理できない。
(三)不まじめなくせに、尊大で、つっけんどんである。
(四)事を治める能力がないくせに、態度だけは居丈高である。
(五)粗暴なくせに、気が弱い。
(六)率直にものを言わないくせに、内心は冷酷である。
(七)何もかも干渉するくせに、全体がっかめない。
(八)見たところ弱々しくて、内もからっぽ。
(九)気の小さいくせに、こそこそ悪事を働く。

   これでは部下はたまらないから、「あの人は人徳がないね」で、人望を完全に喪失してしまう。
 だが「十八不徳」ともなると、人間失格のようなものだから、大体「九不徳」だろう。こんなことを冗談にある企業の人に話したところ、「いや、そうも言えませんなあ、近ごろの新卒には結構いますよ、十八不徳が」ということであったが、これはまあ、例外と考えよう。
   もっとも、「例外」は常にその時代のある一面を最もよく表わしているといえる。もし「十八不徳」で「七情」を思うままに外に発散し、「克伐怨欲」の固まりで、そのために周囲にあらゆる迷惑をかけながら、「中己れを恕す」で、上下周囲が悪いのだと信じている人間がいたら、どうなるであろう。
 「戸塚ヨットスクール」が新聞の総攻撃を受けたとき、私にどうしても理解できなかったことは、これが強制収容所でなく、驚くべき高い入学金と月謝を取っている「学校」だという事実であった。私はその金額の総計を聞いて「ヘエー」というだけで絶句した。親がそれだけ負担をしつつ子どもをここに入れる、あるいは、その負担を覚悟しつつ入学の順番を待っている、とはどういうことか。
 私は、「戸塚ヨットスクール」の異常さを新聞が書き立てれば立てるほど、それを知りながら、莫大な負担を覚悟しつつ入学の順番を待っている者がいることのほうに、異常を感じた。そもそも、その「異常さ」がなければ、あの「学校」は成立しないはずなのである。
 私は、子どもを入学させていた家庭の全部を調べたわけでないが、報じられたその一例を見れば、それまで座敷牢に入れられていた子ども(といっても成年だが)は、まさに「十八不徳」「七情激発」「克伐怨欲」で「中己れを恕す」なのである。こうなるともう「人望・人徳」などは到底問題にできない状態だが、こういう状態が出てきたことの背後には、人類が長い間かかり、さまざまな体験をして獲得した貴重な「遺産」を軽蔑して、捨ててしまったということがあるであろう。
 そう考えれば、これもまた「伝統の復讐」であろうが、幸い現代の情況では、まだこれは例外であって、一般的な状態ではあるまい。
 話をもとにもどそう。「十八不徳」ということはまずないと言ってよく、普通は、大体一方が欠ける「九不徳」であり、次のようになるであろう。
(一)寛大で結構なのだが、しまりがない。
(二)柔和でありかたいが、何も処理できない。
(三)まじめなんだが、とっつきにくい。
(四)事を治める能力があるのだが、尊大で高飛車だ。 (五)おとなしいが、しんがない。
(六)正直・率直なのだが、冷たい。
(七)まかせっきりは結構なんだが、何もつかんでいない。
(八)一見強いんだが、内はからっぽ。
(九)強勇なのは結構だが、無茶をするから困る。
 あるいは人は反問するかもしれない。「それが普通なんじゃないかな。大体、九徳の徳目は矛盾しているよ」と。確かにそうなのである。だが、ここでもう一度、スポーツを思い起してもらいたい。
 ものすごい馬術の訓練で、朝から晩まで怒鳴っていた教官の言葉は、全部矛盾しているのである。「馬は猛獣と思え」「警戒して近づくから、馬はすぐ過敏になる。温和に接すれば、馬は絶対に害を加えん」「何だ、その手綱さばきは。手先に全神経を集中しろ」「バカッ、手首の力を抜けッ」「馬術の要諦は騎坐感覚だぞ、騎坐を締めろ、だらしがない」「足の力を抜けッ、それで脚の扶助ができるかッ」
 この矛盾したことが前述のように、訓練を通じて「静虚動直」になれば可能なのである。「九徳」に至るのも同じことなのだが、残念ながら、現在では九徳へと訓練してくれる教官はいない。そこで、「十八不徳人間」などというのが出てくるのであろうが、こうなれば自ら訓練する以外にない。 

時代を問わず、世界中に通用する徳目
山本七平ライブラリー『論語の読み方』p254~256
 だが、それに進む前に、この「九徳」は、世界中どこへ行っても通用する徳目だということを記しておこう。なぜそうなったかは別に記すが、このことは、幕末や明治の初めに欧米へ行った使節などが、なぜ高い尊敬をかちえたかを考えてみれば、自ずから明らかであろう。
 私は『近思録』を読んだとき、この謎の一部が解けたように思った。世界中どこの国へ行こうと、外国語がどれだけペラペラであろうと「十八不徳人間」が尊敬されることはありえない。そして幕末・明治の人間は、少なくとも当時の指導者階級であった者は、みな幼少時から『近思録』を叩き込まれ、これで訓練されてきたのである。
 したがってわれわれも、国内人としてはもちろん、国際人として「九徳」を完全に自己のものとするよう自らを訓練しなければならない。そして、これは資本主義体制であろうと、それが社会主義体制に変ろうと変化はない。伝説どおり、これが舜の時代、つまり尚書=書経が成り立った時代に言われたことなら、なんと神話時代からだが、朱子の時代から数えても、もう八百年である。こういうことに変化はないから、これを「往く所」として学ぶという選択は、前述のように最も安全な賭けであるとはいえる。だが、具体的にはどうすればよいのか。
 かつての馬術の教官のように、「九徳」に到達するまで訓練してくれる教官は現在ではいない。自己訓練をするなら、その方法を探さねばならない。  ここでふたたび、否、三たび、『近思録』の文章にもどろう。まず、この「九徳」を暗記し、これが目標だと定めたら、「仁義忠信、心に離れず、『造次にも必ず是に於いてし、顚沛にも必ず是に於いてし』、出処語黙(ごもく)必ず是に於いてし、久しくして失わざれば、則ち『之に居ること安く』、『動容周旋(どうようしゅうせん)礼に中(あた)り』、邪僻の心自(よ)りて生ずることなし」と。
 次に、要約を記そう。
 まず、「造次・顚沛」とか「動容周旋」といった言葉である。前者は『論語』に出てくる言葉で、「あわただしい時でも、つまずいて倒れんとするような(危急の)時でも」、後者は『孟子』に出てくる言葉で「立ち居、振舞い」の意味である。
 そこで、前の引用を少し重複させると、「果断に行なって固くそれを実践していくと、仁義忠信の理は心から離れない。造次・顚沛でも心から離れず、出処進退も、語るも黙するも、ここで行うようになり、このように長い間、道を離れることがなければ、そこに居ることが安住した状態になり、立ち居、振舞いがみな自然に礼にかない、邪心は自然に起らなくなる」。
 われわれは聖人ではない。否、賢人ですらない。賢人でも「焉(これ)を性のままにし焉に安んずる」わけでなく「焉に復り焉を執る」のだから、絶えず「九徳」を頭に置いて「焉に復る」ことを心掛けていれば、いつかはそれが当り前になるのである。
 「徳」を学ぶということは、何度も言うように、通常の能力とは異種で、それを超えた能力を学ぶことである。もちろん、いずれの場合であれ「学ぶ」ということは、少々キザで、大げさな言い方をすれば「真理」を学ぶこと、それは科学・技術であれ、人文科学であれ、差はないはずである。
 しかし、学べば技術家として、または法律家や教育者として、何らかの能力を獲得するという結果になることも事実である。そして、それが社会に対して自分を認めさせるということにもなる。
 「徳」を学ぶのも、この点は同じはずである。「人徳」があれば「人望」を得るという結果を招来する。だが、学ぶときにそれを考える必要はなく、「往く所を知り」ひたすら「九徳」を学び、かっ訓練すれば、それでよいのである。では、その最終目的地は何なのだろう。それが「中庸」であり、また『大学』の「絜矩の道」=「徳」なのだが、このことは後述するとして、”目的地を目指す努力”によって生ずる効用をもう少し記そう。
 

学ぶには、どこから始めてもいい
山本七平ライブラリー『論語の読み方』p256~258
 孔子という人は、こういう「効用」を少しも隠さない人であった。『論語の読み方』で記したので、再説はしないが、「学べば禄(月給)その中にあり」は、あくまでも事実であるが、学問をするときは「君子は食飽くことを求むるなく、居安きことを求むるなく、事に敏にして言を慎み、有道に就きて正す。学を好むというべきのみ」でなければならない。
 この二つは矛盾する。というなら、「九徳」もまた矛盾することを思い起してほしい。学ぶということは、一面では知識の獲得、一面ではそれを活用する訓練であろう。そして、ある種の能力を獲得するために学び、かつ訓練するという点では、「人徳」といわれる、さまざまな能力とは異質の、それを超える能力を獲得する点でも変りはない。
 そして、今まで記してきたその方法を箇条書きのように記せば、まず「克伐怨欲」を脱し、詐欺的作略を用いることなく率直に自己を表現し、「喜怒哀懼愛悪欲」の七情を抑制し、上下を批判しながら「中己れを恕す」という形で自己に甘えることなく、それによって支えられている、つまらぬ「矜」(自負心)を除き、「無欲則静虚動直」の状態になる。
 これはスポーツを例にして説明したが、企業がスポーツに熱心だった者を採用したがるのは、さまざまな理由があろうが、口先だけの理屈では矛盾していることが、練習によって体得してみると実はそうでないことを、くどくどと説明されなくても理解している、という点にもあるであろう。別の表現ではあったが、内容的にはほぼ同じことを言った経営者が現にいる。
 そこまで理解・体得したら、九徳を目標として「往く所を知り」「道を信ずること篤」く、それを「守ること固」く進む。いわば日常においても、何か事件が起ったときに、自分はそれを「九徳」の原則どおりに行なっているかを、絶えず自ら検討する。こういう練習のことを古人は「修養」と言った。
 「修養なんて古くさいことはマッピラだ」というのは個人の自由だが、それで前述の「十八不徳」になれば、周囲の人間がたまらない。もちろん、そのような課長の下で働くなどというのはだれでもマッピラであろうが、同僚としても、また部下としても敬遠したい対象であることは否定できない。そこで「修養などマッピラだ」と言っていると、結局は「そんな十八不徳人間はマッピラだ」ということになる。それが本人には社会の壁と映る。そうなると克伐怨欲のかたまりとなり、七情を爆発させるから、ますますそうなるという悪循環を起す。
 いま一応、この「修養」を一定の順序で記してきたが、これらはすべて相互に連関しているから、どこからはじめてもいいのである。いわば一心に「九徳」を目指せば「静虚動直」となり、したがって「七情」は抑制されて「克伐怨欲」から脱しうると考えてもよいのである。
 要は、自ら練習をはじめることである。そして世の「人望ある人」は、たとえ『近思録』は知らなくても、さまざまな人生体験で同じことを学んできたといえる。というのは、社会に蓄積された伝統的な規範や価値観は、文字でなく、実例で人を訓練していくからである。
 確かにそれでも、その人が努力すれば目的は達せられるであろう。しかし、それはあまりに労多く、かつ効果が遅い方法だと言わねばならない。私は野球についてはまったく無知だが、西武ライオンズを率いていた広岡達朗元監督によれば「野球理論」というものが厳然とあるらしい。もちろん理論を口にするだけではダメであろうが、理論の裏づけのある練習が最も有効であることは否定できまい。
 『近思録』の以上の言葉は、そのような形で受け取るべきであろう。
 もっとも、こういう受け取り方は「儒教への誤読・誤解」だという人がいるかもしれず、学問的にはそれが正しいかもしれない。しかし、ユダヤ教徒に言わせれば、彼らの祖先が記した旧約聖書へのキリスト教徒の理解もまた、「誤読・誤解」なのである。だが、これらの「誤読・誤解」は自己の文化的蓄積との習合による、一歩進んだ新しい文化の創造になることもまた否定できない。
 少なくとも日本人は、以上のように儒教を受け取っただけでなく、それからさまざまなヴァリェーションを生み出した。こうなったとき、それは、その思想が完全に自己のものとして消化吸収されたことを意味する。次にそのヴァリデーションの一例を紹介しよう。
 日本の「資本主義の精神」は、鈴木正三によって生み出されたことは、『勤勉の哲学』や『日本資本主義の精神』で記したから再説しないが、彼もまたこのヴァリエーションを生み出し、自己の思想の基本の一つにしている。
 正三は『克伐怨欲』に相当するものが「貪欲・瞋恚(怒り)愚痴」であり、これで激発される「七情」は「喜・怒・憂・思・悲・恐・驚」であり、「此七情より万病発(す)」と『四民日用』に記している。そして、これから脱却するための修業として、彼は日常の職務を考えた。ここに日本の発展の基礎があったのである。
 したがって、原則を立てて訓練すれば、ビリの野球チームが優勝しうるように、地球上で最後に西欧文明に接したビリ国家”日本チーム”が、西欧を凌駕して優勝しても不思議ではないのである。
 もちろん油断は大敵であり、そこでますます自覚的に『近思録』の言葉を把握・活用すべきであろう。
 

”智に働けば角が立つ……”にみる日本人の心情
山本七平ライブラリー『論語の読み方』p259~262
 前述のように『近思録』などは読まないでも、そこに記されているある種の矛盾は人間そのものにあり、それを克服するのは当然のことだ、それができてはじめて社会人だといった考え方は、健全な社会なら、どの社会にもある。だが、その克服の仕方は同じではない。
 そこで「智に働けば角が立つ、情に棹させば流される、意地を通せば窮屈だ、兎角に人の世は住みにくい」という言葉を思い起してみよう。この夏目漱石の有名な『草枕』の冒頭を知らない人は少ないであろう。われわれはこれを、ごく「当り前」のことと受け取っているから、なるほどと思いつつ読んでしまう。だが、この文章は少々おかしくないであろうか。
 次に「日本人の精神構造に今なにが起っているか」というシンポジウムにおける森本哲郎氏の発言を紹介しよう。
 「夏目漱石の小説『草枕』の冒頭は、ご存じのように、次のような文章ではじまっています。『智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい』 これは日本人なら誰でも知っている文章ですが、これは日本人の心情を言いえて、じつに妙なものがあります。
 あるフランス人から、『智に働けば角が立つ』とはどういう意味かと、聞かれたことがありました。
 この日本語文を、私の拙いフランス語で直訳しても、意味は通じないでしょう。
 たとえば、日本人がよく使う『おれの顔を立ててくれ』などという表現を、英語に直訳して、『プリーズースタンド・アップーマイーフェース』などと言ったって、なんのことかさっぱりわかりません(笑)。相手は目を白黒させることでしょう。
 そこで、直訳はできませんから、私は、『要するに、ものごとを理知的に処理するとトラブルが起るという意味だ』と説明してやりました。
 すると、フランス人はびっくりして、『なんだって! それは逆ではないか。ものごとは理知的に処理しないからトラブルが起るのではないか』と言うのです。
 『いや、そうではない。私の訳は正しい』と、私は言い張ったものの、考えてみれば、彼がそう思うのは当然ですね。そして、そのとき私は、『なるほど、これはきわめて日本的な表現なんだなあ』と痛感したわけです。
 それから、『意地を通せば窮屈だ』は、『自分の意志をつらぬこうとすると、ひじょうに不自由な思いがする』と訳して教えたんです(笑)。
 すると、そのフランス人はまたもや、『冗談じゃない。それはあべこべだ』とびっくりして言うのです。
 『どうもあなたの言うことはよくわからない。私たちは、自分の意志が通ったときに、それを自由と称している。あなたの国では、自分の意志が通ると不自由なのか』彼の言うことは、まさに正論でありまして、そのような反論にあって、私は考え込んでしまいました。どうしてこんなことが日本で起るのだろう――と」
 互いの”共通感覚”を失った現代人 確かに「正論」であって、こう言われてみれば前記の漱石の文章はきわめておかしいのだが、前章までを読まれた読者には、われわれが、なぜそれを「おかしい」と感じないかの理由は、ある程度は理解されるであろう。
 さらに、それに「知者は之れ(中庸)に過ぎ、愚者は及ばず」という『中庸』の言葉を加えれば、ますますはっきりする。諸橋轍次氏は、この言葉を次のように註解しておられる。「知者も愚者も、どちらも中庸ではありえない。世間でいう知者とは、出過ぎ者のことで、やらなくてもよいことをやり、考えなくてもよいことを考える。愚者はこれに反して、すべて足りない」と。
 そこで、知に働いて中庸でなくなるから角が立つと考えてよい。と言っても、今の人は『中庸』など読まないであろうが、それでも、人びとがこの「表現」にフランス人のような違和感を抱かないのは、それなりの理由がある。
 これは、ある種の思想が導入され、それが掘り起し共鳴現象で定着すると、「常識(コモンセンス)」になってしまうことを意味している。『草枕』の冒頭に違和感を感じないのは、そう感じさせない「感覚」があるからであり、それはもう「理屈でなく、そう感ずる」という状態である。そして人びとはみな、その「感覚」を持つようになると、「相互に感じ合いつつ、内心で鋭くお互いに評価し合う」という状態を現出する。そうなると、「克伐怨欲・七情激発・十八不徳・中己れを恕すで、中庸を欠いた」人間は「感覚的にいやだ」、簡単に言えば「嫌いだ」という形になってしまう。
 またまた無党派市民連合を例に出すことになるが、ある週刊誌に、美濃部氏や青島氏は、いわば矢崎氏を「嫌いだ」と言っているだけで、他の理由は結局は何も言っていない、という意味の批評があったが、むしろそうなるのが普通であろう。
 こうなった状態を、今度は『草枕』的に表現すれば、「智が働きすぎるので角が立ち、千夏議員が『七情』に棹さしたのであらぬ方向へ流され、それでも意地を通そうとしたから窮屈になった」という状態である。そして「意地」は、「孔子の四絶」で明らかであろう。これについては「論語の読み方」で記したので再説しないが、「四絶」とは「子、四を絶つ。意母く、必母く、固母く、我母し」で、宮崎市定氏は、これを「孔子は四つの『なかれ』を守った。意地にならぬ、執念しない、固くなにならぬ、我を張らぬ」と訳しておられる。日本人にとって、これが「徳」だから、『草枕』は「常識」なのである。そしてこれが「常識」となると、無党派市民連合的内紛には、どの面からみても、周囲が「共通感覚(常識)がうけつけない」という形で「嫌いだ」になってしまう。
 戦前には人びとは『近思録』「中庸」的修養を何らかの形で、いわば教科書的にも、また『草枕』的にも常識の形で教えられてきたが、戦後にはこれがなく、常識に基づく「感覚的相互評価」だけが行われ、そこで理屈抜きの、「いやだ」「嫌いだ」になってしまう点に特徴がある。だがそれでは、前述の野球を例にとれば、野球理論はもとよりルールも知らずに、いきなり社会というフィールドに出て、「感覚だけで学べ」と言われたに等しい状態である。
 それでもある程度、人は感覚的にこれを知っているから、『草枕』の冒頭に違和感を感じないわけで、それだけで学ぶことは、必ずしも不可能ではない。
 両親がこの点を心得ていて、幼児からこの感覚の訓練が行われていれば、それでよいともいえるが、時にはそれが到底無理だという状態になってしまう場合もある。なぜ、そうなっていくのか。今の若い両親にはすでに前記の素養がないことと、また「共通感覚」(常識)を無視することが立派だといったような、きわめて奇妙な教育が行われてきたということ、これらに理由があるだろう。 


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