十王堂 明徳寺境内にある。 十王堂のいわれ(全文) 昭和十九年三月二十四日、アメリカ軍爆撃機B29、名古屋方面大空襲の際、当村各地に爆弾多数を投下せり。 その一発は十王堂近くに落下爆発し、堂宇跡形もなく飛散せしも、仏像は一体も欠けることなく、又損傷もなく、一ヶ所に集まりておられるを発見せられたり。 又当村の人々、家も少しの損傷もなく、全くの奇跡と言う外はなく、これ御仏が身替わりとなり、加護せられたるものなり。 有り難きかな、有り難きかな。 この事実を子々孫々に伝え、祭事を絶やすことなく信仰すべきものなり。 (十王堂掲額文、終わり) 十王堂は、元は明徳寺の北西(字「荒幡」の北西端)にあった。 近く(現メイトピア付近)に探照灯基地があったこともあり、太平洋戦争中の爆弾投下で十王堂は吹き飛んだ。 左の写真は、戦後(昭和24年)に再建された十王堂。 区画整理時に、字荒幡から一神教的な浄土真宗・明徳寺境内に移設したのは、他に場所がなかったのであろう。 明徳寺とは無関係で、「十王堂奉賛会」の人々が管理している。 西浦東講・西浦西講・荒幡講・荒幡表講・山幡講・日表(ひおも/日当たりのいい「南」の意)講・前山東講・前山西講・前山日表講・野越講の10講から1名ずつ、毎年交替で選ばれる計10人の世話係によって管理され、地蔵菩薩の縁日の毎月24日に、奉賛会世話係が「お勤め」している。 毎年8月24日(地蔵盆)は、夜6時から明徳寺住職による十王堂内での読経。夜7時より、太鼓保存会による笛と太鼓の演奏が行われた後、鐘楼の周囲で盆踊り(子ども50人、大人50人位の人出)が行われる。 十王堂に 祀られている十王像は真っ黒の木像であったが、昭和45年に着色された。新しく見えるが、室町時代の頃のものと伝わる。 十王とは、冥界で死者の罪業を断罪する十人の裁判官のことで、初七日から三回忌まで、忌日順に配置される。 十王信仰(十王教)は中国で成立し、日本でも冥界の救済者とされる地蔵菩薩信仰と結びついて広まった。 したがって、中国の裁判官をまねて、笏(しゃく)を持ち、道服を着ている。 亡者(もうじゃ)の生前の罪業を裁く十王は仮の姿で、人を救うのが本来の目的であり、それぞれ本地仏(本来の姿)がある。 奪衣婆(だつえば) 三途(さんず)の川のほとりで、冥界に至る亡者の衣を剥ぎ取る鬼婆 。 生前の名声や地位など全てを剥ぎ取られ、その人の丸裸の人間性が裁かれる。 第一 秦廣王(しんこうおう)・・・不動明王 初七日を司る。 生前の戸籍調べの様なもので、この後三途の川を渡る。 川中に三つの瀬があり、緩急を異にし、生前の業の深さによって渡る場所が違う。三通りの渡り方があるので、三途の川と言われる。 第二 初江王(しょこうおう)・・・釈迦如来 二七日を司る。 三途の川を渡って初めて現れる王なので初江王と言う。 殺盗の罪を裁く。 第三 宋帝王(そうていおう)・・・文殊菩薩 三七日を司る。 邪淫の罪を裁く。 第四 五官王(ごかんおう)・・・普賢菩薩 四七日を司る。 人の五官(眼・耳・鼻・舌・身)で成した五つの刑罰を裁く。 天秤ばかりがあり、亡者は計りにかけられ、文字どおり罪の重さを量りにかけられる。 第五 閻魔王(えんまおう)・・・地蔵菩薩 五七日を司る。 亡者の善悪を計る。 閻魔王の前には浄玻璃(じょうはり)の鏡があり、亡者の生まれてから死ぬまでを映し出すので、言い逃れができない。 第六 変成王(へんじょうおう)・・・弥勒菩薩 六七日を司る。 五官王の秤と閻魔王の鏡(水晶玉)でより詳しく調べを受ける。悪を責め善を勧める。 第七 太山王(たいざんおう)・・・薬師如来 七七日を司る。 閻魔王の命をうけ転生先を下す。 ※太山王は、中国の泰山信仰と結びつき泰山王とも書く。 第八 平等王(びょうどうおう)・・・観世音菩薩 百ヶ日を司る。 三悪道(地獄道・餓鬼道・畜生道)に堕ちた中で特に子女を救う。 第九 都市王(としおう)・・・勢至菩薩 一周忌を司る。 三悪道に堕ちた亡者を救う。 第十 五道転輪王(ごどうてんりんおう)・・・阿弥陀如来 三回忌を司る。 各王の報告を受けて転生の区別を司る。 司令司録府君典官 司令(しみょう)は、判決文を言い渡す役。司録(しろく)は、判決文を記録する書記官。 ※法要が7日ごとに7回あるのは、十王に対して死者への減罪の嘆願を行うためで、追加の3回についての法要は、救い損ないを無くすため。 有形民俗文化財指定書 下の写真にあるように、十王像は名古屋市教育委員会によって、有形民俗文化財に指定されている。 十四体とは、十王像にプラスして「人頭杖と業秤」「奪衣婆像」「司令像」「司録像」の計14体であろう。 地蔵菩薩(じぞうぼさつ) 地蔵菩薩には、「六道能化(ろくどうのうけ」という異称があり、地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天道を守護する。 六地蔵や六角堂の「六」は、この六道を表す。 閻魔大王と地蔵菩薩(本地仏)は同一であるので、本来なら救われるという話なのだが、次第に「恐怖で悪事を戒める」という話に変わっていった。 トップページにもどる 下社村に戻る ページトップへ |