猪子石には、10の公会堂があるが、秋葉社や津島社などを祀っている公会堂は、新田・姥ヶ谷・引山中・新屋敷の4ヶ所のみ。 その他の公会堂にはなく、別の場所にある。それだけ土地に余裕があって、公会堂に集める必要がなかったのであろう。 新田公会堂(新田組/89坪) 新田組(シマ)の公会堂。猪子石村で最も古い(築約80年)。道の反対側(西側)から、区画整理で移設。 新田組(昔からの住民のみで構成/現在も40世帯ほどある)の集会場で、組頭(くみがしら)は、2年任期の輪番制。 昔も今も、公会堂は村の中心地。公会堂を境として、新田東組と西組に別れる。 50年以上前まで、煮た大豆を大樽(猪子石村各組を移動)に入れ、母親達が足で踏みつぶして味噌(各家に持ち帰って、壺に入れて発酵させる)も作っていた。 テレビがない時代、紙芝居が行われた場所でもある。駄菓子を買わないと始まらないので、十円玉を持って出かけた。 天王祭(子供おまんと) 7月15日以前の日曜日(かつては曜日に関係なく7月15日であった)の朝、子供会代表等が神明社でお祓いを受ける。 新田組は、神明社に最も遠いからであるが、他の組の子どもたちは、全員が神明社でお祓いを受けているようだ。 代表が神明社から帰ると、公会堂周辺の家々を廻り、御祝儀をもらう。 赤白紙で飾った割り竹は、昔は40本程度(全戸分)で、現在は5本程度。赤白紙の順番が、猪子石村各組で違う。 昔は、割り竹を持ち帰って、ナスやキュウリの畑にさした。この意を『猪子石今昔』は、「なすがまわない(病気をしない)」と説明している。 古老は、「山車(だし)は、まわない(転ばない)ので、ナスの木が倒れないように」という説を語ったが、一般的には豊作祈願と思われる。 札木 「札木」は、新田公会堂のすぐ北にある。 猪子石村の入り口でもあり、藩政時代、藩の御触(おふれ)を知らせる高札があったので、こう呼ばれる。 50年前、猪高小学校(4〜6年生/1〜3年生は香流小学校)への集団登校の集合場所であった。 写真の左奥に、八前川に架かる新田橋がある。 前山公会堂(前山組/49坪) 福部公会堂(福部組/52坪) 赤坂公会堂(赤坂組/49坪) 写真(左下)の秋葉堂の常夜灯に「三嶋中」と彫られている。 このことからも、前山・福部・赤坂組(これらの公会堂には、秋葉社・津島社がない)の共同祭場だと分かる。 古老によると、 「秋葉堂の敷地は、区画整理前は赤坂の山の中にあり、秋葉山(372坪)と呼んでいた。 輪番制で、毎晩常夜灯に火打ち石を持って燈明を上げにいった。昼間でも薄暗い所で、天狗が出るとの噂があって怖かった。 現在地に社殿が完成したのは、昭和49年7月」という。 秋葉堂(前山・福部・赤坂組/25坪) 姥ヶ谷公会堂(姥ヶ谷組/46坪) 中島公会堂(中島組/52坪) 引山東公会堂(引山東組/53坪) 引山西公会堂(引山西組/54坪) 引山中公会堂(引山中組/50坪) 新屋敷公会堂(新屋敷組/107坪) トップページにもどる 猪子石村に戻る ページトップへ |