藤が丘駅界隈 



「先見果断の雄」 柴田正司氏胸像

「先見果断の雄」胸像(マックスバリュー前)
 ※ この項、1995年11月11日付朝日新聞「なごや・ひと模様」を参考にした。

 かつて「草ぼうぼうで、山林ばかりだった」藤が丘は、市内有数の「繁華街」へと

目覚ましい変貌を遂げた。それを「発展」と呼ぶのなら、その功績の一番手に名

が上がるのは柴田正司氏である。名古屋市のベッドタウンとして長久手市の発展

(東部丘陵線「リニモ」)も、藤が丘の発展(地下鉄藤が丘駅)抜きには語れない。

 星ヶ丘が終点だった東山線を延長しようという計画が持ち上がったのは、高度

成長真っ只中の昭和40年(1965)であった。千種区の池下に地下鉄の車庫が

あったが、すでに車庫能力の限界にきていた。現在の上社(本郷という説もある)

から北に折れて猪子石(南に折れて高針とも)に車庫用地を確保して星ヶ丘から

の延長を急ごうとする市交通局だったが、関係する各土地区画整理組合の反対

に遭って用地買収は難航していた。

 その時、東名高速道路以東は市の計画にはなかったのであるが、「車庫用地

(約9万平方メートル)はタダで寄付する」と市交通局に掛け合ったのが、当時藤

森東部土地区画整理組合長だった柴田正司氏である。当然ながら「無償提供」と

いう方針に、250人近い他の地主は納得せず、酔って柳刃包丁を振りかざしてきた組合員もいた。

 それでも、当時40代の元気盛りだった柴田正司氏(父は、かつての猪高村村長)は、大阪の千里ニュータウンまで皆を連れて

行き、「電車が来れば便利になるし、土地の値段も高くなるから」と説得。そして深夜まで承諾のハンコを求めて地元を走り回っ

た。昭和41年、寄付契約(藤森東部以外の整理組合も、路線用地や駅前広場など約4万平方メートルの土地を無償で提供)が

成立し、昭和44年(1969)4月、地下鉄星ヶ丘駅-藤が丘駅間が開通した。

 その後の目覚ましい発展は、10年もすれば誰の目にも明らかになった。かつて反対した人も「あのときはえらい、すまなんだ」

と頭をさげた。かくて「先見果断の雄」の胸像は、柴田正司氏生前の平成6年(1994)3月に建立された。


台座裏面の頌徳(しょうとく)碑文

    頌徳碑文

 柴田正司氏は大正十年三月三十日当地に誕生、海軍甲種飛行予科練を卒業し第二次世界大戦に二十才で初陣し、九死に

一生を得て当地に帰還し、当地発展には土地区画整理と公営交通機関導入の必要性を痛感し藤森東部土地区画整理組合を

設立し、優れた先見性に基づき事業計画を策定して、近代都市の町づくりに必須な基盤整備を理念として鋭意施工に努め極め

て短期間に完工し、藤が丘地区発展の基礎を作り、また名東区区政協議会議長、名東区防犯、消防の各委員長、当地商店街

振興組合理事長などの要職を永きにわたり務めた。この卓越した先見と行動力を讃えてその功績を末永く顕彰し後世に伝える

ものである。             平成六年三月吉日     柴田正司氏顕彰会


からくり時計「メモリアルタワー」

 メモリアルタワー 柴田勝家のからくり人形 「めいとう勝家くん」ポスター

 平成6年3月28日、藤が丘の環境整備事業の一環として、当時藤が丘中央商店街振興組合会長だった柴田正司氏の発案

によって建てられた。毎正時に約3分間、名東区出身の戦国武将・柴田勝家と5人の妖精のような子ども音楽隊によって演奏さ

れる。

 このからくり時計に登場する柴田勝家の人形をモチーフ(「勝家がからくり時計を離れて名東区のPRに旅立つ」)にし、それと

柴犬(柴田の柴)を合わせたイメージ(東邦高校商業科グラフィックデザインコース有志のデザインが基軸)の、ゆるキャラ「めい

とう勝家くん
」が2015年(名東区区制40周年)1月に誕生した(「名商連」発起/名東区役所協賛)。背中に「めいとう(名東/

名刀)」、 兜に名東区のマーク、胸元には柴田勝家の家紋(二つ雁金紋/ふたつかりがねもん)があしらわれている。


「平成27年2月  名東区制40周年」藤が丘駅前銘板

     ~この写真は、地下鉄開通前後の、藤が丘駅周辺の眺めです。~       (以下、銘文)

「名東区制40周年」藤が丘駅前銘板
 明治39年(1906)4月に、猪子石村と高社村が

合併して、愛知郡猪高村となりました。緑豊かな

丘陵地とため池に囲まれた猪高村が名古屋市に

合併したのは、昭和30年(1955)4月です。当時

の千種区に編入され、猪高町となりました。

 その後、区画整理が施行されるとともに、昭和44

年(1969)4月に、地下鉄の星ヶ丘・藤が丘間が

開通し、昭和50年(1975)2月に、千種区が分区

独立して、名東区が誕生しました。

  区画整理と、地下鉄の延長開通が、今日の名東区の発展の基礎となっています。
モニュメント「躍動の街」



モニュメント「躍動の街」

 昭和61年(1986)4月4日、加藤辰夫名東区長(当時)等関係者の手でモニュメント

「躍動の街」が地下鉄藤が丘駅前にお披露目された。

 ステンレス製で、彫刻家で愛知県立芸術大学助教授(当時)の小池郁男氏の作品。

 藤が丘商店街の活気のエネルギーを「バネ」の形で表現した。

 モニュメント前の銘板には、「藤が丘中央商店街振興組合  近代化事業  1986.

 3.31 理事長柴田正司」とある。






「此処に日はのぼる」区画整理完工記念碑

「此処に日はのぼる」区画整理完工記念碑千古以来 父祖が艱難辛苦して子孫に伝えた故郷の山河を抜根掘さく

区画整理をし まちとなし 高速度鉄道は ひかりに映えてはしる

  我等はさらに未来をひらく

     発       起     昭和38年10月20日

     設       立     昭和41年 3月 4日

     高速度鉄道開通     昭和44年 4月 1日

     事 業 完 了      昭和45年12月 1日

     組 合 解 散      昭和45年12月15日

名古屋市藤森東部土地区画整理組合     名古屋市長 杉戸 清 書

(裏面)組合長 柴田正司 (理事以下、略)  昭和46年3月3日建之




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