小熊英二『1968』再論
塩川 伸明
 
 
はじめに
 
 「若者たちの叛乱」と呼ばれる一連の運動が日本各地で激発して耳目を集めた1968年から数十年が過ぎ、「歴史」の対象となりつつある。この出来事に歴史研究ないし歴史社会学的研究としてアプローチした先駆的業績が小熊英二『1968』だということはいうまでもない*1。ちょうど事件から40周年の直後の刊行だったというタイミングのおかげもあってか、分厚い研究書にしては異例のベストセラーとなり、賛否両論取り混ぜた多数の論評が現われた。もっとも、あまりにも分厚い書物であるため、どこまで丁寧に読んだ上での反響だったのかは疑わしいところがある。それから一定の時間が経ち、今度は50周年が近づこうとしているが、この本がそのテーマに関する記念碑的な業績だという点では衆目が一致するにしても、改めてその内容を振り返って検討するという面倒な作業がどこまで進められるかは定かでない。
 私自身は、同書が刊行されてまもない時点で、相当の時間をかけて精読した上で、長文のノート(以下、「前稿」と記す)を書き、ウェブサイト上に公開した*2。これがどういう価値をもつものかは自分で云々すべきことではないが、それなりに力を込めて書いたものであり、基本的な考え方は今でもあまり変わっていない。従って、この小文も前稿を大幅に改訂する性格のものではなく、前稿の趣旨を踏まえた上でのささやかな補足に過ぎない。そういうものを書こうと思いたったのにはいくつかの理由がある。前稿は大著を読み終えてまもない時期に、多彩な内容に関わる多面的な感想が頭の中で渦巻いている中で書いたもので、いろんなことを雑然と書き並べた感があった。それからある程度時間が経つ中で、もう少し距離をおいて、論点を整理した方がよいのではないかという気がしてきたということが一つある。そのこととも関係するが、前稿には、「1968年の運動の当事者の一員」としての観点と、「現代史研究者(=著者と同業者)」としての観点という二通りの要素が混在していた。量的には後者の方がずっと大きな位置を占めており、前者は全9節のうち最後の第8、9節で明示したにとどまるが、それでも一つの文章に二通りの観点が混在したことは、文章の性格を混濁させてしまったかもしれないという気がする。
 もっとも、社会科学というものが純粋に「客観的」になりきれないものを含む以上、論者の「立場性」の問題を完全に排除することはできず、この両面をあわせて論じたこと自体にはそれなりの意味があったようにも思う。ただ、「当事者性」に関わる側面に触れる際、それをいわば「自分史」的な観点から前面に押し出すか、それとも自己のおかれた位置自体を努めて対象化し、一種の「参与観察」的な考察にしていくかは、かなり異なった作業である。私自身は、前稿の段階でも、どちらかといえば後者の方向で考えていたのだが、なにがしか前者の要素も混入する形になっていたように思う。今回の再論では、後者の方向をより徹底するよう努めたい(だからといって、「自分史」というものの意義を一般論として否定するわけではなく、ひょっとしたら私自身、いつか何らかの形でそういう文章を書くことになるかもしれない。ただ現段階では、まだその機が熟しておらず、それは今回の課題ではない)*3
 
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 はじめに書いたように、小熊の『1968』には刊行直後に多数の反響があった。その内容は多様だが、敢えて大雑把にまとめるなら、論者の世代および経験に即して三つの類型に分けることができるように思われる。第一に当事者世代のうち、それほど深く運動にコミットはしなかった人たち、第二に当事者世代のうち、運動に深くコミットした元活動家たち、そして第三に後続世代である。もちろん、これらのどれも多様性を持ち、安易に一括すべきではないが、それでも大まかな傾向性をいうことはできるのではないかと思われる。
 第一グループに属する人たちが書いた書評類は、比較的好意的受け止め方を示しているものが多い。当時間近で観察していた自分も忘れたり気づかなかったりしたことをよく書いてくれた、といった風な感想が基調をなしているように見える。また、第三グループの場合、自分たちが知らなかったことを教えてくれた、また「全共闘世代」に対して漠然と感じていた胡散臭さの根源を指摘してくれて、溜飲が下がったといった感じの反応が多い。一般論として、ある世代に対して後続世代が対抗意識を持ち、批判的に接しようとするのはよくあることであり、驚くに当たらない。私自身は、いつの間にかかなり歳をとって、若い世代から批判の対象とされるような年齢に達してしまったが、自分が若かった頃には年長世代に対して批判や反撥を重ねていた以上、今度は自分がその対象になるのは自然なことだと思う。個々の批判の具体的内容はともあれ、世代交代に伴う対抗意識自体は自然なものであり、その種の批判・反感に対しては努めて冷静に対応する――むやみと反撥するのでもなければ、無原則的に迎合するのでもなく、観点の違いを踏まえた上での対話を心がける――のが筋だろう。
 さて、上記の二つが概して好意的な反応であるのに対し、第二グループに属する人たちの反応は、本書に対して種々の不満を示していることが多い。自分たちの考えていたことや行動はこの本に書かれたことにおさまらない、それなのにこんな風に片付けられてはたまらない、といった反撥が主となっているケースが多いように思われる。このように、論者の立場によって様々に異なった種類の反応があるということ自体が、興味深い知識社会学の対象といえるだろう。
 私自身は、この分類で言えば第二グループに属し、その多数派とある程度共通する感想を持つ面がないわけではない。しかし、それだけにはおさまらないし、またそうあるべきでないとも感じる。私は一面で「当事者の一員」であり、他面で「社会科学者」でもある。この両面を完全に切り離すことはできないが、前者をむき出しの感情として、恨み辛みや未練を述べ立てるのは不毛である*4。過去の自分(たち)自身をもできるだけ突き放した対象として観察する態度が、社会科学者にはふさわしいだろう。
 
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 小熊著には複数の狙いが込められており、そのことがこの書物をこんなにも厚いものにし、またその性格をやや見定めがたいものにしている。分けていうなら、次の三つになるだろう。
 @1968年を頂点とする一連の運動の社会的・歴史的背景――とりわけ「近代的不幸」から「現代的不幸」へという文脈――の解明。
 A「1970年パラダイム」(種々の差別問題・マイノリティ問題や戦争責任などといった領域への注目)の登場、およびその限界・失効についての考察。
 B1968年前後の時期に活動した様々な登場人物・団体についての詳しい描写。
 結論を先に言うなら、本書はタイトル、外面的体裁や紙幅の割き方からいえばBを中心にする書物であるかに見えながら、実質からいうと、むしろ@Aの方に大きなウェイトが置かれているように感じられる。そうしたズレのあることが、本書の全体としての性格を見定めがたいものとしている一因ではないかと思われる。以下、より詳しく検討しよう。
 この三つの要素のうち、@は大まかな意味では一応頷けるものであり、本書の一つの意義といえる。簡単に確認するなら、「近代的不幸」とは戦争・飢餓・貧困などを中心とするものであり、「現代的不幸」とはアイデンティティの不安・リアリティの希薄化・生の実感の喪失などを中心としたものと捉えられている。本書刊行から一定の時間を隔てた後に本書に触れた文章では、この側面をとりあげたものが多いような印象がある*5。それはそれで有意味なことであり、私もとりたてて異論があるわけではない。しかし、もしこれだけが狙いだったのであれば、もっとずっと薄い本で足りたはずであり、このように分厚い本を書く必要はなかっただろう。
 また、当時の時代状況というものは、一連の運動に参加しなかった人たちにも関わる広い文脈を構成する。運動参加者はあの時代の若者たちのうちの少数派に過ぎなかったことは、小熊自身が強調している通りである。だとしたら、当時の若者の多数派を含む広い文脈に関わる議論(ここでいう@)は、少数派たる運動参加者たち(ここでいうB)に関する議論にとっては、必ずしも中心的要素ではないということになるはずである。要するに、著者は時代状況をそれ自体として論じたいのか、それとも運動の方に力点があるのかが、はっきりしない。前者であるなら運動は一つの事例程度以上の意味をもたないことになり、むしろ非参加者たちを広く含んだ議論を展開するのがふさわしい。後者であるなら、時代状況は一つの背景としてそれなりの意味をもつとはいえ、それ以上のものではない。この両面をあわせ含んでいるために、本書はどっちつかずなものとなっている観がある。
 次にAについていうなら、これはそれ自体としていえば非常に興味深い論点である。その射程は「1968」を大きく超え、1990年代や21世紀初頭にまで及んでいる。簡単に敷衍するなら、民族差別・女性差別・部落差別等々のマイノリティ問題や戦争責任の問題は、「1968年」以前にも全く意識されていなかったわけではないとはいえ、どちらかといえば安保と沖縄を二大焦点とする政治闘争や大学管理のあり方をめぐる大学闘争の影に隠れがちだったが、「1968年」の闘争がいったん行き詰まり、退潮する中で、それに代わる重要争点として前面に出てきた(「1970年パラダイム」という呼び方はそうした推移を示唆する)。そして、これらの争点への注目は、闘争主体に「自分たちは差別者の側――あるいは戦争責任を問われる側――に属するのではないか」という問題を投げかけ、自己反省を促す契機となった(ここには、大学闘争における「自己否定」というスローガンとの連続性がある)。しかし、他面では、そうした自己反省・自己否定を突き詰めることは、過度の倫理主義につながり、運動の参加者たちに息苦しい思いを迫り、「ついて行けない」という感覚と脱落を呼び起こす契機ともなった*6。さらにまた、日本人男性の多くが「差別者」「マジョリティ」に属するという前提は高度経済成長の継続を暗黙の前提としており、バブル崩壊後の現実は、これにそぐわない状況を生みだしている。小熊はマイノリティ問題の重要性を否定するわけではないが、それを過度に前面に出すことの限界を指摘し、「1970年パラダイム」の失効という観点を提起している。
 こうした指摘は、21世紀の今日の状況を考える上で示唆するところが大きい。そのことを認めた上での話だが、「1968」をタイトルとし、少なくとも外観的にはそれを主要内容とした書物において、「1970年パラダイムおよびその後」が大きな位置を占めるというのは、書物の構成として落ち着きの悪いところがある。単純にいうなら、この書物は、「1968年」論と「1970年パラダイムおよびその後」論の両方の要素からなっている。この二つは、「1968」と「1970」が接している――時間的にだけでなく、内容的にもある程度接するところがある――という意味で相互連関を持っているとはいえ、主要論点も異なるし、まして「1970」ならぬ「1970年パラダイムの失効後」ともなると、1968から遠く離れた現状分析の問題となる。そう考えるなら、両者はかなり隔たった主題と見る方が自然だろう。
 本書は、タイトルをはじめとする外観からは「1968年論」を中心テーマとするものであるかのように見えるし、多くの読者の関心を引きつけたのもその側面だろうが、実は、著者自身の主要な関心はむしろ「1970年パラダイムの失効」論にかなり傾斜しているのではないかという印象を受ける。実際、本書刊行後の著者の仕事の重点は、ますます現代的状況に移っており、「1968年」にこだわるよりも「1970年パラダイムの失効以降」が主要関心となっているようにみえる*7。それはそれで有意味な選択であり、それをとやかくいうつもりはない。私自身、本書より後の小熊の仕事から、しばしば種々の刺激を得ている。ただ、この両者は性格を異にするテーマである以上、それぞれを別個の書物で独立に論じた方がすっきりしたものとなり、余計な誤解を招くこともなくてすんだのではないかという気がしてならない。
 
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 さて、本書の中で分量的に最大の位置を占めているのは、先の分類でいうBである。これは多数の登場人物に関わり、いろいろな構成要素に分かれる。議論が濃密な部分もあれば、比較的軽い扱いの部分もある。最も濃密で、内在的かつ深い理解が目指されているのは、著者自身が最も共感しているベ平連(第15章)と、およそ共鳴する余地のない連合赤軍(第16章)という両極端である。
 先ずベ平連については、肯定的描写が主であり、現代への教訓の引き出し方という観点が濃厚である。もっとも、手放しの賛美というわけではなく、各所で限界や矛盾も指摘されているが、そうした指摘自体が、それをどうやって克服して現代に生かすかという観点から論じられており、共感を前提した上での内在的批判という性格のものになっている。
 ベ平連の叙述が詳しいのは、著者が対象に強い共感を寄せているからというのが唯一の理由ではない。この運動に多数の知識人が関与していたため、読みやすい文献資料が大量に残されているという事情も、これを詳しく論じることを助ける要因となっている。一般論として、知識人が書いた文章とそうでない人たちの書き残した文章とでは、前者の方が趣旨を読みとりやすく、また内容的にも説得力が高いのは当然である*8。これ自体は当たり前の話だが、本書のように幅広い対象を取り扱った著作の場合、知識人の言説とそうでない人たちの言説を単純に並列すると、前者の方が優れた洞察を持っていたという単純な結論が自明のごとくに出てしまい、後者の中にうまく表現されないままに込められていたものの読み取りがおろそかになりかねない。著者がそうした事情を全く意識していないわけではないことはいくつかの個所から窺えるが、それにしても、全体としてはベ平連系の知識人たちへの思い入れが目立つという印象は否めない。
 次に、連合赤軍については、ベ平連とは逆の意味で、著者の強い関心の対象となっている。その背後には、一九八〇年代――著者が若かった時期――における「連合赤軍問題の後遺症」への小熊自身の対決が投影しているように思われる*9。それに加えて、文献資料が比較的豊富であり、そのおかげで内面に立ち入った描写が可能になっているという事情は、ベ平連の場合と共通する。
 こういうわけで、この二つのテーマについては本書の中で最も濃密な描写がなされ、これらを論じた第15章と第16章はきわめて充実した章になっている。
 
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 ベ平連および連合赤軍という両極の事例に関する記述の濃密さに比して、全共闘――特にその後退局面――および諸セクトについては、どちらかといえば外在的・類型的な叙述に傾斜している。もっとも、それらの運動も、高揚に向かう局面に関してはそれなりの評価をしているし、例外的に資料に恵まれた素材(奥浩平、山本義隆など)については詳しい記述もある。しかし、それは局部的なものにとどまっており、それ以外の事例については、やはり外在的・類型的という印象を否みにくい。この小文の1で、元活動家たちの本書への評価が概して低いことに触れたが、それはいま述べた事情と関係するだろう。
 現代史を扱った歴史書が、そこで描かれた対象たる当事者たちの不満を買うのには、二通りの側面がある。一つは、自分たちが低く評価されていることへの不満であり、もう一つは、あまり深く理解されていないことへの不満である。この二つは実際問題としては重なり合っていることが多いが、理論的には切り離して考えるべきものである。ある登場人物を価値観として肯定的に評価することはできないけれども、それでも興味深い研究対象として、できるだけ深く理解すべく努めるということは、歴史家の態度としては大いにありうることである。本書における連合赤軍の扱いはその好例だろう。しかし、本書における後退期全共闘および諸セクト活動家については、評価が低いだけではなく、研究としての取り組みもあまり内在的でないということで、二つの側面が重なりあっている。そのため、元活動家たちの不満も、両方に関する反撥を未分化に表明していることが多い。
 私自身はどうかといえば、今日の価値意識として彼らに厳しい評価を下すこと自体に異議を申し立てるつもりはない。私自身がかつてそちらの側に属していたからといって、この評価そのものを覆そうなどと考えるのは愚かなことである。しかし、今日的な価値評価の問題と歴史へのアプローチとは別の次元に属する。今日的観点からは否定的に評価すべきだと思われる対象であっても、歴史研究の対象としては内在的な理解を心がけるべきだというのは歴史学の常識である。そうでなければ、ファシズム研究もスターリニズム研究も戦前天皇制日本の研究もありえない。これは当たり前のことである。だが、対象が今日に近くなるほど、この当たり前のことが忘れられやすいので、念のため確認しておきたい。
 後退期全共闘および諸セクトに関する小熊の記述は、外在的・類型的描写に傾いているとはいえ、それなりに大まかな趨勢を捉えているところがあり、結論的な主張についての異議がそれほどあるわけではない。しかし、大まかな趨勢とか「平均値」とかは、決して「全体像」そのものではない。小熊の叙述には、大まかな趨勢に過ぎないものをあたかも全体像であるかのように断言口調で書いている個所があちこちにある。代表性の保証された社会学的データがない以上、それは無理からぬことだが、それならそうと書くべきであって、留保抜きの全称命題を提示するのは、社会科学者として厳密を欠く態度だといわねばならない。本書の全体がそうだというわけではなく、相対的には細部に関わる瑕瑾だが、それでも一つの瑕瑾といわなくてはならない。
 このことが特に顕著な例として、当時の活動家は「戦後民主主義」を全否定したという命題がある。確かに、当時の運動参加者たちの言動の中には、そのように見られる側面が多々あっただろうとは思う。だが、そのことと、あの運動は全体として「戦後民主主義」全否定の運動だったと結論することとの間には距離がある。あれこれの目立つ事例として、そういう傾向があったと指摘するだけなら別段問題ないが、それをこのようにスウィーピングに書くことについては、社会科学的な厳密さの観点から疑問がある*10。ここには、著者自身が「68年世代の活動家たち」を相手取って論争を挑んでいる――つまり、距離をおいた地点から対象を冷静に観察する歴史家の目ではなく、同じ水準で相手と対抗する論争当事者の視点に立っている――ような印象をいだく。
 叙述が外在的になることの一つの要因として、当事者の内面に迫るための資料が不足しているという事実がある。これは確かに大きな壁であり、それを乗り越えられなかったのは無理からぬことではある。それはそうなのだが、それが全てではないのではないかという疑問もなくはない。歴史研究においては、ある主題の解明に適した資料がごく乏しいにもかかわらず、何とかしてその主題に迫ろうと種々の工夫を凝らした結果として新地平を拓いたというタイプの作品も少なくない。小熊もいくつかの主題についてはそのような努力を払っているだ。だが、後退期全共闘および諸セクト活動家については、良質の資料の不足という壁があっただけでなく、その壁を越えようという強い熱意もなかった――これは非難の意味ではなく、単純な事実確認である――のではないかと感じさせられるところがある。関連して、全体から見ればごく一部にかかわるが、資料操作において厳密を欠く個所もあり、そういう個所では著者の主張がやや強引に提示されているという印象を受ける*11
 これまでも述べてきたことだが、本書のうちの特定部分――決して全部ではない――があまり深くないというのは、ある程度まではやむを得ないことであり、そのこと自体を批判するつもりはない。良質の資料が乏しいというのは、やむを得ざる客観的事情だし、そうした壁を越えようという強い欲求がなかったのも、その主題にそれほど強い関心をいだいていなかったということであれば、他人がそれをとやかく言っても致し方のないことである。そのことを認めた上での話だが、それならなぜ、そうした対象についても長く詳しく書いたのかという疑問が残る。
 もし著者が、「自分は後退期の全共闘やセクト活動家にはあまり深い関心をもたないし、良質の資料も少ないので、彼らについて内面に立ち入った叙述をするつもりはない」と断わって、もっとずっと短い記述をしていたならば、元活動家たちが期待感をもって本書を読むこともあまりなかっただろうし、読んでから幻滅を感じて反撥することもなくて済んだのではないだろうか。ある意味では、著者が才能に恵まれすぎたために、それほど強い関心もなければ良質の資料もないテーマについても長く詳しい叙述ができてしまうというところがあったように感じられる。それは才能の証だが、そういう書き方をすれば、どうしても誤解や幻想的期待を招き、幻想的期待は容易に幻滅に転化する。
 分厚い研究書が少数の研究者以外の広い読者層の関心を引きつけるというのは滅多にないことである。これは一面で喜ばしいことだろうが、広い範囲の読者に読まれれば、勝手な読み方をされたり、無い物ねだりや無責任な悪罵にあう機会もそれだけ増える。これは同情に値することだが、一種の「有名税」ともいうべき事象であるようにも思える。
 
 
(2010‐13年頃に断続的に執筆。2016年5月に一部改稿)
 
 

*1 小熊英二『1968――(上)若者たちの叛乱とその背景、(下)叛乱の終焉とその遺産』新曜社、2009年。
*2 塩川伸明ホームページの「読書ノート」欄に収録。
*3 本稿のもととなる草稿は、前稿執筆後の数年の間に少しずつ書きためた後にしばらく放置しておいたものだが、それをまとめ直そうと思いたったのは、2016年5月14日の第27回冷戦研究会(西田慎・梅崎透編『グローバル・ヒストリーとしての「1968年」』ミネルヴァ書房、2015年の合評会)で発言する機会を与えられ、それをきっかけに、忘れかけていたものを思い出したことによる。そのときの発言を改稿した文章(「歴史の中の1968年」)も、ホームページ上の本稿と同じ頁に掲載してあるが、本稿はいわばその補論のような意味をもつ。
*4 当事者の一員である以上、「自分(たち)のことを、上っ面だけでなく、もっと深く理解してほしい」という感覚がないわけではない。人間は誰しもそのような欲求を持って当然である。しかし、「できれば誰かに深く理解してもらいたい」と願うことと、「自分はそのように理解してもらう権利がある」と思いこんだり、ましていわんや特定の人(ここでの場合でいえば小熊)に「お前はそうする義務がある」と命令したり、そのような一方的期待が満たされなかったときに幻滅や腹立ちの感情をいだくのは全く別のことである。自分(たち)のことを取り扱った書物の中で自分(たち)のことが十分深い理解を持って描かれていないと感じた場合、私情として落胆や不満を感じるのは自然だが、その書物の狙いや著者のおかれた条件からしてそうでしかありえなかった場合に、著者を悪し様に罵るのは適切でない。小熊著に対して元活動家たちが浴びせた非難の中にはそうしたものが少なくないが、それは私のとるところではない。本稿では、そうした不満を述べ立てるのではなく、あくまでも「社会科学者」としての観点からの批評に集中することにしたい。
*5 たとえば、野田昌吾 「「一九六八年」研究序説――「一九六八年」の政治社会的インパクトの国際比較研究のための覚え書き」『大阪市立大学法学雑誌』第57巻第1号(2010年)46頁の注13、西田慎・梅崎透編、前掲書の序章、16頁。
*6 過度の倫理主義の問題は、安藤丈将『ニューレフト運動と市民社会――「六〇年代」の思想のゆくえ』世界思想社、2013年および、西田・梅崎編著のうちの安藤担当の第11章で論じられている。
*7 小熊英二『社会を変えるには』講談社現代新書、2012年、小熊編『平成史』河出ブックス、2012年など。また近年の精力的な評論活動および社会運動へのコミットは周知の通り。
*8 知識人の文章が常に読みやすいわけではなく、むしろ読解困難ということもよくあるが、その困難性は内容の複雑性に由来し、それでも粘り強く論理を追えば読解できるように書くというのが基本作法となっている。これに対し、学生運動活動家の場合には、意味不明の単語が乱発されたり、時として文法上の混乱さえもあったりして、書いている本人自身が何をいいたいのか分からないのではないかという気にさせられることも珍しくない。文章表現の修練を受けていない20歳前後の若者の文章がそういう風になるのは、ある程度やむを得ない面があり、知識人の書いた文章と同列に並べて、「訳の分からないことを書いている」と批判してもあまり意味はない。
*9 この点は前稿の第六節や、別稿 「現代史における時間感覚――事件・歴史家・読者の間の対話における距離感」中部大学『アリーナ』第10号(2010年)である程度立ち入って論じた。なお、後者は塩川ホームページの「これまでの仕事」欄にpdfをリンクしてある。
*10 これは本書だけの問題ではない。たとえば、西田・梅崎編、前掲書の序章6頁は、小熊に引きずられて、これを当然の前提と捉えているように見える。
*11 一例として、『全共闘白書』のアンケートの利用の仕方はやや安易で、社会学者としての作法から見て疑問がある。ベ平連と共労党の関係についても、結論はともあれ、当事者の証言にそのまま依拠するという点で問題がある。それぞれについて、前稿の注12・18で指摘した。