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自像 じぞう


KISEI  YUKARIHANA    MUSEUM  OF  ART  
  


表紙
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紙本木版。昭和37年。1葉。縦27cm 横24cm。


作者60歳頃の自像(版画)です。太い輪郭線で顔面を誇張して的確に線彫りしています。眼光は鋭く、長く垂れた顎、深い額の皺、長細い首、高い襟首の襯衣(シャツ)、眼鏡、豊かな頭髪、Yokotaのサインと全てが洒落気に楽しく描写しています。
作者は関東大震災に会っています。当時の東京市神田区での数少ない生存者だったと話してくれました。住居の周囲が炎に包まれて窮地に成った時、不思議な事に眼前の道路の炎が両脇に広がり炎の隙間を通り抜け逃げる事が出来たそうです。その時何か自分は生かされていると確信し、高知に帰ろうと決意したそうです。

幕末に坂本龍馬が一人の同志を得るに一晩かけ説得しなければ同志を得る事は難しい国風が土佐には有りました。また薩摩では西郷隆盛が決断すれば一晩のうちに一万の同志が集まると言う逸話を読んだ事があります。龍馬は脱藩して広い舞台に羽ばたき若い命を散らせています。同郷の人間が互いに優れた人間を認めようとしない偏狭な地で生活していた作者は生得の才能あるが故に疎外されましたが唯我独尊、孤高の信念で初心貫徹を成しています。。



「ものの哀れ」とは、十五夜(満月)を知る事だと思います。十五夜を知っているからこそ、 月のない暗い夜も、三日月の僅かな月も楽しく味わい深いものと出来るのです。人は月の欠けたのを残念がって愚痴ばかり言ってすます。ものの哀れとは、満月を知る故に耐え得る心なのです。又憂える心なのです。
素晴らしい作品は、情緒がないと生まれません。

川端康成さんの文学には、世間には解らないような純粋性があります。先生にも良く似ています。直向(ヒタムキ)に信じている個所があります。世間では誤解して観られますが、実際には、とんでもない所に川端康成さんの考えがあるようです。川端康成さんは天才ですが、先生の中にも誰もが真似の出来ないような世界があります。

師匠と弟子との関係は、道を同じくする同行の志(同行二人)という事です。