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我が国で龍は社寺で信仰の対象として,畏敬の念から神獣、霊獣として祀られてきました。古来龍は歳を重ねた老獪(ロウカイ)な姿に描写された絵画が多く存在します。此処に描かれている龍は若々しい品性ある姿で描かれている事に驚かされます。何よりも墨色の美しさ、描線の軽快な筆速で怒濤の大海から天空を凝視する豪壮な姿、荒れ狂う海中から押し上げられ大空に飛翔する龍の迫に神秘性を感じます。様式的になりがちな荒海の波紋や渦巻く波形にも龍の姿に呼応した明確な描写で躍動感があり、眼光鋭い眼、大きく張った胴体、揺れる背鰭(セビレ)腹部の鱗(ウロコ)、尻尾の先端まで曖昧にせず丁寧に描写しています。 「画龍点晴」という熟語が在ります。龍の描画で最後に肝心な眼球を描き込む意味です。この作品は作者の巻末を象徴する 一作だと思われます。 落款「熙生迂人」の熙生は光輝き悦び生きる、迂人は未熟な人間という謙称語であると話してくれました。 師をもつ師があるという事のなかに東洋的な日本人の人生観があります。師のなかには「絶対的なもの」があります。これが美の原則だと思われます。 美は純粋なものに捧げる心です。人生に於いて確かなものは何一つありません。「夢」だけが美しい真実です。他は総て「空」です。総ての人間が夢の中に生きる尊さを味わう事です。 芸術は理解し、知識を得るものではありません、味わって心が豊かになるものです。 人生に於いて人は確かに「出会い」があります。先生に始めて会った時も「出会い」を感じました。確かにこの人に会うべくして会ったというものが、始めて会った時からあります。それは何年経っても変わりません。 |