この冬瓜から作者も尊敬した岸田劉生の冬瓜を連想します。その存在を理解して描いたものと思われます。 画面の真ん中に描かれた冬瓜には安定した実在感と風格があります、瑞々しい生命感に満ち溢れています。 細かく描かれた蔕(ヘタ)の部分は自然の大地に繋がった生命の絆の強さを感じます。 円形と楕円形の二幅を一対して厚い表皮を細微に塗り光沢を感じます。背景も薄く暈(ボ)かして墨で濃淡を描写しています。
じっと作品を観ていると心が安らぎ、明日への希望を与えてくれそうす。この絵は宗教画であるとも言えるでしょう。
本居宣長の「上」は神以上のもので、「上」という事です。それは満月を意味しています。「上」は神々が仕える「上」
です。だから山の神、海の神と言うふうに、性格の違った神が仕え、恵みを受ける事に神の存在があるように解釈しています。
「上」と言うものは、冒(おか)す事の出来ないものだと神々が相談して尊敬する。そして「上」を中心に上御一人として国の安泰を願った
、ここに日本の国の始まりがあります。だから萬(よろず)の神々がこの「上」を助け仕えてこそ、国の繁栄があるようです。
人と人との会話には味わいが在ります。味が心に染み込んで美味しく感じたら、相手の好意(愛情)に納得します。幾ら会話に好意を注いでも流してしまう人もいます。
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