雀は人間の身近に生息する野鳥です。歌に歌われ、絵画にもその姿を数多く描かれています。 画面の雀は紅葉の枝に止まり休んでいる様に観えます、二本の細い足で確りと枝を掴んでいます、雀に限らず全ての鳥類、動物にも言える事で足元を確かに描写する事は大切な事です。
上から垂れ下がった紅葉の枝ぶりは陶器の曲面に沿うように曲げて描かれています、雀も紅葉と比べて大きく描かれていまます。長い鶴首の花器は茶事に於いては柄杓立として茶席に風情を添へる用具として使はれていました。
蹲踞(ツクバイ=手洗いの石鉢)に彫られた「我唯足知」とは自分に関して自省し自覚するものです。他人と比べて優劣を競うものでなく、足らないものを互いに扶けあって補い、感謝する心を忘れない暮らしを悦び、足を知りたいと思います。会席では年長者を敬う席順が有ります。知識や経験が豊かで英明である年長者を敬い足らない叡智を感得したいものです。年長者は人生の先達者で在りたいものです。
「能」でも、最後に舞台に下がる時が大事です。この下がる時が次の舞台の始めともなるのです。小説でも初めと終わりが大事です。大きく終わるには、自然に緩やかに始まるものでないと、息が続きません。
毎日の生活をリズムで暮らしているという事です。食事をしても茶を点てている時も同じリズムで生きています。だから現実的な生活はしていません。
芸術も学問でも緊張感やリズムと夢で成っています。 美は純粋なものに捧げる心なのです。
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