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 澤辺琢磨之像

KISEI  YUKARIHANA    MUSEUM  OF  ART    ;



表紙
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レリーフ。 銅造。 昭和62年。 1面。 縦55.5cm 横38cm。



知的な額と豊かな口髭、奥深い眼光の穏やかな人物像として表現されています。 僅かな奥行きのレリーフの制約の中で 立体感ある人物像となっています。また人物像と背景の境界を深い線刻を強調することにより力強い像として表現しています。
澤辺琢磨(1836〜1912)氏は幕末維新の英雄 坂本龍馬の従兄弟で、ロシア正教会のニコライ神父より洗礼を受けた 日本人最初の信徒となり、生涯を信仰に捧げ 平安を得た人物です。
人間の体力なる筋肉は加齢に伴い減退する事が解ります。 運動すれば数値で計測され体力の減退を感じます。 同様に精神的感情も加齢に伴い減退する事が解ります。 芸術や芸能の表現活動も精神的感情が加齢に因る衰退 を認識する事は難しい事です。然し感覚の変動には環境の適応が肝要だと思われます。



人間が学問を修めたから偉いとは、思いません。学問とは、人間性と無関係である事を知りました。学問とはその時必要な人間が得る知識だと思います。それよりも、真実に目覚め、愛を知った優しい人間になり、美を理解出来る人間を理想として欲しいのです。

人間を観て、その人の祝福された未来から現在を理想の姿として常に観ています。その人が自覚(悟る)した姿が、水晶体のように照らし合う、そんな平和な日々を願っています。

師をもつ師があるという事のなかに東洋的な日本人の人生観があります。師のなかには「絶対的なもの」があります。これが美の原則だと思われます。

壱に零を加えると拾になるという事が、宇宙万物が発生する原理だという事です。壱は数ですが零は空(無)です。零は、壱を位置づけるものなのです。 だから壱と零との中には無限感があり無限に発生していくものがあります。零は際限がない事を意味して、計りがありません。壱には計りがあります。壱は計りの始まりです。だから零からいうと壱が師になるという事です。