茶席の道具である柄杓を収める鶴首で柄杓立や、花入の花器としても使える可愛い器です。 曲面には天空に伸びる単純な細長い蘭の葉を筆勢ある筆動を闊達に描いています。細い葉の濃淡化、葉先の方向、可憐な花弁が狭い空間に伸びやかに紙面に描く様に呉須で描写されています。小さな器で可憐で清楚な風情があります。
人は 社寺に参詣すると神仏に対して必ず観上げて合掌します。斯様に尊崇する対照は観上げる仕草が自然で傍目にも礼儀正しいものと思われます。会席の時にも亭主は客に上座に座るよう促します。客に対して敬意を以て持て成しを行うものです。床の間も座敷の上座に在ります。客も亭主も床の間の前に並んで対応します。仰げば尊しの観点で人生も下から観上げると気楽に無理せずに生きられる様に思われます。
美は理屈では解りません。花は美しいから美しいのではありません。ただ美しいのです、無目的無心に美しいのです。無邪気さです、これがカントの美学の本質です、感覚で美を押える事です。
茶は普段に点つものではありません。茶が点つ事は、人間の美的調和がある無心の世界だけなのです。この境地は教えられるものではなく会得し悟るものです。言葉には表現し難い手応えがあります。それほど茶は自然性と結びついた精神の統一が求められます。
優れた芸術家が育つには、能い環境に在るという事に尽きます。これが美を養うという事です。
柄杓を作っても、竹が割れたり曲がったりして本当に良い竹は少ないものです。良い竹に出会う事は、縁があるというものです。この縁を大切にしなかったら良い柄杓は出来ません。
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