昭和 47 年。1口。高8cm。口径12cm。底径5.5cm。
この茶碗に描かれた蘭の優美な曲線には筆勢があり爽やかな風を感じます、
中心の茎は凛とした花弁が幾重にも描かれています。
小さな茶碗の曲面に収まった自然の優美な姿があります。蘭という植物が画材として描かれたものは古来にも数多くありますが、意外と現存する秀作は少ないようです。
それは蘭が単純な線描に近い表現方法による画面構成を成す故に、高度な美的感覚が求められるからではないかと思われます。これは修練で習得できるものではなく
人間的な品格が画面に表現されるからでしょう。単純な曲線で描写される画面は流麗な仮名文字を観るような風雅さを感じます。
茶を自ら点て飲む独服は何故か無心の境涯になり、物事の真意を思考する事が出来そうです。禅堂で座禅して調身調心の効用を得るように、自省して穏やかな身体を得たいものです。茶は効能ある飲料であるそうです。
人を気遣う心が芸術になります。悲しみや喜びがあったりする事が芸になります。それが茶道にもなります。茶を点てる動作は快いリズムと快適に静かな音楽になっています、形だけではありません。
茶碗を征服するのではなく、茶碗に従うものです。茶碗や茶筅よりも自分の手が小さく見えなくてはなりません。手が茶筅よりも小さく見えるようになる時、初めて茶が点ったという事が解ります。茶碗の中に小さい自分を観る事が修行です。
ものの哀れとは、満月を知る故に耐え得る心なのです。又憂える心なのです。
茶碗が真に生かされるのは使われる事を目的として造られています。優れた芸術家は優れた職人の技を心得ています。
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