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女生徒 じょせいと之図


KISEI  YUKARIHANA    MUSEUM  OF  ART  
  


表紙
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木版画。 昭和33年。 4葉。 縦27cm 横24cm。














可愛い女生徒が机に顔を埋めて眠っている仕草を気軽に授業中の教壇からスケッチして版画としています。机に俯いた姿勢、両腕組んだ仕草、きちんと揃えた足先の表情に作者は可憐で無邪気な少女像としています。背景に教壇の黒板、側面の板壁、床板の板線、木材の机椅子、机上の三角定規の線描の方向が的確に構成されています。
下壇の版画には男女を並べて表示していますが、何だか背を向けた表情に当時に状景に微笑ましい仕草が可愛いですね。
この版画の教室に編者も同席して居たであろうと追憶します。教室の最前列で編者は先生から直に叱責の声掛けを戴いた事が忘れ得ぬ記憶として有ります。




「自分の力」(力量)を早く知る事は大事な事だと思います、それは卑下する事ではありません。

自然の中に一つの心が生まれ、和があって、そこに自然に生まれて来るものが「民芸」だと思います。

ゴッホは、自分の汚い靴の中にキリスト(菩薩)の姿を観て描いています。 その靴に感謝でいつぱいです。世界中の靴の代表ともいうべき靴となっています。



「伊豆の踊り子」の魂は新鮮で普遍的なものです。あの時に、あの条件を備えた川端成さんでなくては書けない小説です。あの時には何か燃えるものがあったでしょう、踊り子に出会ったあの時でなくては書けない美しい青年の魂があったのです。不朽の名作だと思います。


「伊豆の踊り子」で最期にマントの中で青年が満足しきって泣いている状態、総ての事が美しくあった満足感、そこにはどんな事でも素直に聞ける状態(老婆の面倒も引き受ける事が出来る優しい心)、この無心の状態が、次から書かれた色んな小説に貫かれていると思われます。小説に節があるのは、その時々の変化なのです。節は事柄ですから、本当は意味はありません、美の移行があるのです。小説の奥深く流れている真実を観たらどの作品も同じです。







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