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  室生寺路石仏 むろうじせきぶつ之印象 (全面図)

KISEI  YUKARIHANA    MUSEUM  OF  ART    ;



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(多面図)



紙本墨画淡彩屏風。 昭和41年。 2曲1隻。 縦151cm 横143cm。




近景の渓流から遠景に山岳を配した画面は奥深い景観の山水画です。日本では珍しい石面に線刻された巨大な弥勒磨崖仏が仏画の様に描写されています。 石掘りの後背面の境界も陰影で立体的に表現し、下面には像の前景として余白で岩や樹木を、生い茂る草叢に百合を描き和やかな仏の浄土を感じます。 鎌倉時代初期に室生村の里に後鳥羽上皇の祈願で造仏されたそうで、室生寺の優美な伽藍と共立した大野寺の残影を弥勒磨崖仏に観ました。
作者と伊勢神宮、に参り京都に向かう旅の途中に降りたのが夏の室生口大野駅でした。室生寺行きバスの車窓から見た夕暮れの大野寺磨崖仏を観て、その夜泊まった室生寺門前の橋本屋旅館で二つ折りの掌に収まるような小さい屏風のスケッチが描かれました。翌朝の帰途バスから眺めた素晴らしい景観が昨夜描かれた事に驚いた記憶があります。
作者の伴をした旅は伊勢神宮、高野山、室生寺、石山寺、大徳寺でした。後日、旅した話題に古事記、般若心経、源氏物語と会話が盛り上がった事を懐かしく想い出します。




文学を読み、話を知る事が文学性ではありません。文学を読んで味わい、文学の中に書かれている人間の善意に満ちた、祈りと願いが、自分の動作になって現れる事が文学性なのです。

ものが出来る出来ないとか、他人に秀でる事にも意味がありません。素晴らしい芸術作品を観て能いと受け入れる事の出来る精神が人生に於いて尊い事だと思います。

「学道の人は、須く貧なるべし」財多ければ、必ず其の志を失う、貧なるが道に親しきなりと、また志の要求するものは、名利を捨て世を捨てる、捨てるは無量である。無量なる捨の精神をしばらく貧と云う。このように我々の先覚者は語っている。今日ではかような学風も次第に衰えたように思われる。