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 弥勒菩薩みろくぼさつ 立像



KISEI  YUKARIHANA    MUSEUM  OF  ART    ;




表紙
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(多面像)






銅造。昭和38年。1躯。高27.7cm 底径7.7cm。


釈迦入滅後の未来に人々を救済する為に将来する弥勒菩薩像として童子が穏やかに合掌している姿に造仏しています。頭部は宝髪(ホウケイ)の双髻です。顔は童顔で豊かな顎の輪郭が観られ、小さい口唇が引締まっています。 頭部は前面に俯き大きく、全身との比例も違和感がありません。蓮華座と素弁の台座に安定して起立しています。慈悲に満ち心和む身近に置きたい念持仏になっています。
如来、菩薩の仏像は半眼の相をしています。半眼は瞑想して深く思索している慈悲の姿です、何故か心が安らぎ清浄される気持ちに成れます。日常の暮らしに於いても半眼で冷静沈着な行動したいものです。明王、天部の仏像は眼を大きく開いて直視して観詰めています。観詰める事は純粋な感情が排他的で他と競う要因ともなります。現世に於いては清濁善悪を許容して、半眼で内省する心眼としたいものです。
作者は仏教の教義にも若い頃より造詣が深く、純粋で謙虚な精神で生涯在家の修業僧のような日常でした。創造した全ての作品には祈りと願い祝福の宿願が有ります。



「歎異鈔」は知識では解りません、知性でも解らない個所があります。「如来の光明」を身に受けなければ解らないでしょう。自分自身が「如来の光明」を受けている事を自覚するのです。

道元も親鸞も釈迦が受けた「如来の光明」を求めています。これを示してくれるのが、「阿弥陀」であると諭しています。だから釈迦も「如来の光明」を受けているから、「釈迦如来」として存在しています。同じく神の光明を受けた「天皇」の存在が無理なく考えられます。


「聖書」は誰にでも解り易い言葉で表現していますが、書いてない真実もあります。書いてある事より未だ立派な事があります。読む事により知る真実が有ります。