作者は十歳後半から京阪神、二十歳半頃東京で苦学していました。五十歳迄は日本画を、以後は彫塑にも制作の領域を拡げて作品を創作しています。絵画や彫刻の制作は常に同時進行で筆を遣いながらヘラ(彫刻の道具)も持って「一列横隊で進む」と語っていました。「箸で飯を食べても、筆で飯を食べぬ」、絵を描き作品を売る生活はしない。これは大阪で師事した日本画家の遣(ツカ)いで画料の集金をやらされ貧乏画家の
惨めさを味わった体験がありました。貧乏画家でなくても高名な画家が画商からの応需(注文された画題で作品を制作する)等で財を為し豪邸を構えたり、生前から自作を陳列する美術館を創設したり計画する作家の風潮を憂慮するものでした。財を伴う名声にも批判的で、栄誉とする賞を授与する団体にも所属せず自らを律し清貧にして学ぶ学徒の習慣は生涯続きました。四十歳を過ぎる迄は定職に就いていません。終戦後に請われて
教職(高知女子大学、高知学園短期大学)に就き七十七歳迄女子教育の教壇に立っています。教育者であり画家、彫刻家で日本美術至上の作品を残しています。
優れた人間には人生の苦悩や孤独、栄枯盛衰の無常感を愁傷して無我無心の苦行があります。苦行が喜びである事に気付けば、悟り得た境涯を得ます。優れた芸術作品には磨き上げられた、心安らかな魂の輝きを感じます。
生死無常感こそ矛盾です。この矛盾を、人間的愛情による調和の上に処理する事こそ知性だと思うのです。源氏物語はこの精神に貫かれています。人は死という事によって、生を強く知る事が出来ます。幸福である時に、不幸にならないように祈り、不幸である時に幸福を願うのです。この時に無常という事を知る事が出来ます。
「ものの哀れ」とは、十五夜(満月)を知る事だと思います。十五夜を知っているからこそ、 月のない暗い夜も、三日月の僅かな月も楽しく味わい深いものと出来るのです。人は月の欠けたのを残念がって愚痴ばかり言ってすます。ものの哀れとは、満月を知る故に耐え得る心なのです。又憂える心なのです。
自然からは知識を、人間からは感謝を学びます。
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