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<神奈川県 湯河原温泉郷 1泊半日 >
 2006/08/27〜08/28               2013/04/28更新

by CASIO A5513CA

2006年8月27日、仕事の徹夜明け、湯河原へ!!

んなこたいったって・・・・・とるものもとりあえず、たむけやま・・・・

写真1、睡眠薬 (^O^)/


 徹夜明けの朝、職場から帰宅途上で、劇物アルコールを購入します。

 朦朧とした状態で、メールやアクセス件数などを確認して、眠りに着きます。

 写真は、森のログハウスさんのお勧めビール。

 これで、ぐっと眠って夕方出発の予定が、午後五時に目が覚めましたが、疲れが取れない。

 インターネットで、ブロードバンド回線がある適当な宿を探しましたが、なかなか見つからない。

 おなじみの旅行会社にも依頼しましたが、適当なハイテクお宿が見つからず、出発が遅れてしまうことに・・・


写真2、HONDA XLR BAJA!!


 愛機「HONDA XLR BAJA」を駆って、午後8時過ぎに湯河原目指して出発しました。

 夜間走行にも安心な大光量のデュアルヘッドライト。

 ヘルメットがさっと入るテールトップボックス。

 軽量、低燃費の車体。








写真3 国道1号、西進 


 片手運転は褒められませんが、首から下げた携帯電話のカメラの、胸の前でシャッターを押し、躍動感あふれた走行中の画像が撮れます。

 徹夜の翌日ですから、一眠りして、夜、宿を目指して、国道を西へ。

 仕事のストレスが来ていたので、とにかく湯河原の温泉にどっぷりつかり、原稿を書いてみたかったのです。

 取れた宿は、夜10時までチェックインOK。インターネットで検索して発見しました。

 エンジンその他好調。手荷物はノートパソコンと着替えのみ。


写真4 西湘バイパス、西進    


 高速走行も安定しています。

 昼間の混雑はどこへ? 車も少なく快適に飛ばします。(と言っても法定運行+α(^^ゞ)

 この行動力は、神経過敏の入り口。

 しかし、自宅でじっとしていられない、何かに挑戦しなければいられない、限られた時間をなんとか自分だけの時間にしたいと、こころが高揚します。

 新西湘バイパス、西湘バイパスと快適に、自動車専用道路を乗り継ぎ、ひたすら湯河原を目指して西へ西へと走ります。




写真5 午後十時、湯河原駅到着


 幼い頃、母方の一族と、両親、兄弟たちと何度もみかん狩りに訪れた湯河原駅。

 昼間の喧騒はどこへやら。

 駅頭には、幼かった頃の自分達がはしゃいでいる幻想が見えました。

 みかん狩りの後の親戚の家での歓迎の宴でいつも帰宅は遅かったように思います。

 父は酒を飲むので免許はありましたが、往復は電車。枝に鈴なりになったみかんを何本も抱え、夜行の電車に乗るのでした。

 私たち兄弟は、遊び疲れて夜行で寝入っています。

 「湯河原」 母はここで育ちました。


写真6 ホテル「桜園」到着!   

 インターネットで発見したのは、レイトチェックインが出来るこの宿でした。

 宿のご主人は、今から泊まってどうするの?って感じでしたが、愛機の駐車場所を指示してもらい、カラオケスナックの手配をして頂きました。

 一風呂ゆっくり浴びて、単車走行で硬くなった体をほぐします。

 単車乗りの好物は「風呂」「温泉」! これは単車に乗り始めた信州での経験が原体験になっているかな?

 ホコリにまみれて走行し、冷え切った体をほぐす最高の入浴。

 敢て、何故ほこりの中を走り抜けるのか、敢て何故寒風の中を走り抜けるのか。何故一人の世界にこだわるのか。

 単車乗りは不思議です。

 私なんか、単純に維持費が安い・・・・からです。家内が車を使うから・・・・です。そして、メンタルケアの道具になるのではないかと17年ぶりにリターンライダーとなりました。

 効果のほどは、まだ分かりませんが、風を切って走っていると、20代の頃から持っている何かを思い出します。

 愛馬のごとく単車がいとおしくなるのです。

最近は、年配の方々がご夫婦で単車旅行をしておられるようですが、最高じゃあないかな〜。


写真7 ホテルのロビーで一服 


 部屋の支度をして頂いている間に、宿帳を記入し、ロビーの椅子に腰を下ろして、一服。

 タバコもご時世に反するものになってきましたが、葉巻をくわえた宰相や、タバコを吸う芥川龍之介の写真など風情があると私は思ってしまいます。

 紫煙の向こうに、過ぎた日々が見える。また、明日が見える。

 亡くなった父は、「霧の中のタバコが最高だ」と、よく言っていました。

 心筋梗塞で亡くなりましたが。あはは (^^ゞ

 あっけない最後でした。

 もう少し生きていて欲しかった。64歳でした。 私が仕事に最高に燃えていた頃でした。寂しい限りです。


写真8 湯船にどんぶり 


 さほど大きなホテルではないので、湯船もそれなりですが、私一人が入るのに、充分すぎるスペース。

 湯量もたっぷり音を立てて流れています。

 硬くなった体に浴衣を絡め、風呂に辿り着き、裸になってかけ湯をする。体を簡単に洗って、湯船の温度を探り、ザンブザンブと湯船のお湯を浴び、は〜!!と、つかる。

 走り抜けてきた風の中で、硬くなった体が、じわーっとほぐれて行きます。

 至高のひと時。

 明日はどこへ走ろう、明日は何を見よう、親戚の家に寄ろうか・・・・・
  


写真9 ママー、会いたかったよ!


 宿で紹介戴いたスナックへ繰り出し、一杯。

 あら、どっかで見たこと有りますね。

 ま〜細かいことは気にしないで、実際のママさんは、亡くなった私の父と同い年の「おねえさん」でした。

 がっちょーん (^^ゞ

 ま、気を取り直して、年代が母と同じですし、聞けば湯河原生まれの湯河原育ち。

 何とか、母との接点をと、いろいろ話をしましたが、湯河原に新型爆弾(原子爆弾)が落ちた話や、湯河原駅空襲の話が一致しました。

 新型爆弾て、結局、空のドラム缶だったんですがね。

 ま、値段も分からないし、急に出発したので、手持ちも少なく、たった二杯で疲れが出てきて眠くなり、宿に戻り、ひたすら、ブログの更新に着手することにしますが、まだ仕事の疲れが取れていない。

 眠剤も忘れてきたことに気付き、せっかくの気分転換が、あまり良く寝られないような感じで朝を迎えてしまいました。 

 (写真は横須賀のジェニーです。)



写真10 し、死体!? 朝風呂です。 


 朝風呂!! 耐水au携帯 casio A5513CA は怖さ知らず。こんな写真も撮れます。

 湯船に持って入り、自分の足を写しました。

 嫌に白いな〜

 眠剤を忘れて、結局あまり良く寝られず、やはり疲れが取れていません。

 温泉につかって、ぼーっとしておりました。

 亡くなった母とは家族で「ままねの湯」に、良くつかりに来ました。

 子供たちが成長しているのに、私にはどんどん一族が減ってゆくような見方しか出来ないでいるのでした。
 未来ある、子供たちに乾杯しよう。



写真11 オレンジラインへ・・・・・


 久しぶりにワインディングを駆け上がる・・・・・

 単車に乗り始めた信州では、高原道路を満喫していました。

 学生時代、休講があるたびに、単車で高原へ出かけ、峠道で競争をしていました。

 当時の仲間で二人がライセンスを取ってレーサーになりました。

 その後の消息が途絶えてしまいました。

 一人は、松本にあった「小高HONDA」の兄さんです。

 カウリングの向こうにワインディングが見えます。



写真12 ワインディングの上から


 箱庭のような湯河原温泉郷。

 ワインディングを駆け上がると、湯河原が箱庭のように見えてきました。

 私は、結局母に会いたかったのかな。

 母も急逝でした。65歳、入院して3日で亡くなりました。父を追う事7年目だったかな。

 湯河原は両親の思い出がたくさん詰まっています。

 特に幼少を過ごした母から聞かされた話も多いのです。       

 戦時の湯河原の話や、みかん山での初恋の話とか。

 


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