17 クイズ本雑感

 クイズ本については、既に「能勢一幸のクイズ全書を疑う」「挑戦!クイズ王への道を探る」という項である程度説明したが、もちろんクイズプレーヤーに影響を与えたクイズ本は他にもたくさんありまくる。しかし、これらの本の分析はなかなか微妙で難しい。そこで、まずはわたし個人がそれぞれのクイズ本から得た影響・雑感などを書き記しておきたい。

「水津康夫のクイズ全書」(1992年11月8日初版)

 一応解説すると、筆者はTBS「史上最強のクイズ王決定戦」で何度か優勝したチャンピオン。クイズに詳しい人たちの中では「教養派」として知られているらしい。が、わたしはよく知らない。何せ秋田県ではTBSが放送されていないから、秋田に「史上最強」というクイズ番組を見た人は誰もいないのである。ところが、時はあたかもクイズブーム。流石に秋田県の書店でもこの本は売っていた。書店の人すらこの番組の存在を知らなかったと思うんだけど。なお、やはり放送されていない「はなまるマーケット」の料理の本も売っている。誰が買うんだろ。

 さて、それまでのクイズ本が「クイズ番組によく出る」「クイズ番組にでそう」という観点で問題を集めていたのに対し、この問題集はそういう観点に背を向け(ていると思うんだけど)、純粋に教養を深めた結果として作られた。だから、クイズ番組には絶対に出ないであろう問題がほとんど。特に後半の「史上最強対策」と銘打った問題など、何処が対策になっているのかよく分からない。が、このジャンル分けは本人の希望というより出版社の希望で行われていると思うので、其処は別にいいと思う。

 問題群はひとことで言って「よく本を読んでいる人とよく旅に出る人なら、何回か出会ったことがあるようなネタを中心として作られる」という感じ。だからどうしても日常生活とは離れた問題が作られることになってしまう。が、別に日常生活に密着した問題だったら他の問題集にわんさと存在する。「読書家の作る問題」というのはそんなに存在しない。何故なら読書家の知りうる情報からは、なかなかクイズ番組の問題が作られないからだ。だから、この本の問題にはきちんと存在意義がある。「この時代、水津康夫氏しか作らないであろう問題群」という存在意義が。

 ところが、この本の出版から4〜5年くらい経ったころ、クイズ番組無き時代のクイズプレーヤーたちは、日常生活とは離れた問題を作りまくった。そうなってくると、この本の問題を覚えていることがクイズで勝つための最低条件になってくる。かわって日常生活に密着した問題は、全く省みられなくなってしまった。つまり「ジャンルの狭隘化」が進んだわけだ。もちろんこの本がそのきっかけになったわけではない。この本はあくまでも「他のクイズ本」と違った観点による問題を提出したに過ぎず、この本の存在とその後のクイズ問題の急激な難化とはそれほど関連がない、と思う。その辺の関連がよく分からないので、いまいち論じられないのが残念なところ。

 ただ少なくともこういうことは言える。問題は似ているようでも、水津氏の問題と急激な難化の中のクイズ問題とでは、発想がだいぶ違う。「読書」という日常生活の中から生まれた水津氏の問題。まず問題を作ることから始めているため日常と乖離している後世の問題。氏の「問題を読んで答えを覚えるだけでは、その楽しさは出てこない」ということばが、厚い壁となってこれらの問題の間に存在する。わたしは「クイズは大人の遊び」という氏の言葉が結構好きだ。問題を読んで答えを覚えるクイズは、どっちかというと「子供のクイズ」。もう少し広げて言えば「クイズのために何かをする」という発想からは、クイズを「大人の遊び」にする要素はない。日常生活の中で得たことをクイズに反映させる、という発想を持っているのは、このころ出版されたクイズ本ではこの本だけだった。

 実はわたしが高校時代一番よく読んだクイズ本がこれなのである。気に入ったのは「クイズは創造力」「永田喜彰のクイズ全書」に比べ、内輪受け的な内容がないことである。また「クイズ界」というものにあまり関わっていない氏の姿勢にも共感した。テレビ番組で仲の良さそうなクイズプレーヤーの姿が映し出されるたびに、「違うなぁ」と思っていた高校生だったから。一番強く感じたのは1993年の「第7回FNS」だったが、氏の本からはそういう感じは受けない。

 なお、中級問題54問目。「鉱山学部がある大学は?」という問題の答えは変わってしまった。現在の秋田大学の学部は「医学部」「教育文化学部」「工学資源学部」。一応参考までに。

(2002年9月9日記す)

永田喜彰のクイズ全書(1992年12月12日初版)

 何といっても「FNS1億2000万人のクイズ王決定戦」2回優勝、「ウルトラクイズ」準優勝、「ミリオネア」1000万円と、戦績だけが先に目につく永田喜彰氏の本。「水津康夫のクイズ全書」とは全く傾向が違い、時事・流行問題が多い。やはりクイズ番組を意識しているからだろう。比較的易しめの問題が並んでいる。こちらには「FNS対策問題」が500問あるが、きっちり対策問題になっている問題はあまり多くない。それは「あまりテレビ的ではない」問題が多いからである。クイズの問題はある程度以上の難易度になると、テレビでは使いにくいのである。それでも「志茂田景樹の直木賞受賞作」とか「イレーヌ=キュリーが受賞したのはノーベル何賞?」のように、テレビで放送された問題と同じものもある。

 数年前からのクイズの難化傾向の中ではどうしても省みられることの少なかった問題集だが、今見直してみると、ジャンル的になるべく人口に膾炙しやすいものを選んで問題が選ばれていることに気づく。難易度もそう高くない。だから、問題は当時高校2年生だった私にもかなり答えられた。そのせいか、あまり読みまくった記憶もない。しかし、このくらいの難易度・ジャンルのばらけ方の問題であれば、大学のクイズ研究会とかでは結構楽しめると思う。ウルトラの準決勝くらいにありがちな難易度。「クイズの勉強をしない人同士でも楽しめるかも」という、このくらいの難易度の問題を見直す時期になってきているのではないか。

 中にはしょうもない内輪受け問題や、今では使えない時事問題も含まれている。が、それは仕方がない。クイズというのは「出題した時どう受け取られるか」が大事なのであって、例えば10年後の今も通用するかなど作成時点では考える必要はない。だから、時事問題が入っている問題集を非難するのははっきり言って筋違い。もちろん作る人が「オレは入れない」と思うのは自由だけど。ただ「内輪受け問題」「関西限定問題」を入れるのは適切だったかどうか。いまいちこの本にはまれなかった理由として「内輪受けっぽい感じが嫌だった」という要素がある。これは「クイズは創造力」「能勢一幸のクイズ全書」にも言えることだが、まぁクイズ界の広報誌的な役割も持っていたとすれば時代の必然だったか。ただこれ以降「内輪受けの内容でも世間にどんどん発表していいんだ」という風潮が広まったとすれば残念なことである。

(2002年9月10日記す) 

 

以下続く

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