21 「挑戦!!クイズ王への道 正道編」を探る

 当今のクイズプレーヤーの間には、世間の人から見て「超難問」と言えるような問題がたくさん存在している。それを一時期のプレーヤーたちは「クイズの進化」と呼び、安易に歓迎していった。そのきっかけになった出来事を解き明かすのが本ページの目的の一つである。で、そんな出来事の中に表題の『挑戦!!クイズ王への道』という本の出版があったことは、意外に考えられてこなかったのではないか。

 1993〜94年に出版されたこの本は「王道編」「正道編」の2冊から成り、前者は初級・中級・上級に分かれた問題集(1050問)。表紙の「マンオブジイヤー」という表記が、関係者には時代を感じさせる。後者は「語源問題」「名言問題」など分野に分けて1330問が掲載された問題集である。編者は「7大学クイズ研究会」とある。早稲田・一橋・慶応・法政・東京・名古屋・立命館の7大学のプレーヤーが編集を担当したらしい。東大は上野裕之さん(ご結婚おめでとうございました)が担当されていて、裏話も少し伺ったことがある。答えの間違いや誤字が多いのが気になる本でもある。

 この本について特に俎上にあげたいのは、問題分類のしかたである。特に「正道編」。分類は「語源問題」「ことわざ・格言問題」「名言問題」「話題作問題」「登場人物問題」「冒頭の一節問題」「人名問題」「血縁・友人関係問題」「正式名称問題」「発明・発見問題」「品種・種類問題」「名数問題」の12分類。『クイズは創造力』(長戸勇人著)にも分類は見られるが、この書ほど細かい分類ではなかったし、また問題もそれほど掲載されていなかった。この本では各ジャンル80〜170問掲載されている。

 例えば「人名問題」といえば、

 のように、「本名は○○」で始まる問題が約100問並んでいる(そうでないのもあるけど)。加えて、問題の前に付されている「傾向と対策法」という文章では「問題の構造は単純。『本名を○○という……』というパターンの出だしで始まる」と言い切ってしまっている。「本名じゃない名前を使っている人を答えにする人名問題は、本名から始めるようにしましょう」という主張のように読める。ご丁寧にも、他の分類の問題にも「本名は○○」で始まるものがあったりする。

 先の「傾向と対策法」には「数多く覚えれば、早押しでの大きな得点源になるので」と書き続けられていることを合わせ考えると、このコーナーは「人名問題の勉強法は名前と本名を1対1で覚えまくればよい」という問題観の表明であると読みとれる。かくして当時のプレーヤーたちは、ひたすら名前と本名を覚えまくっていく。本名についてはすでに「問題作成講座」で述べたから、これ以上は繰り返さない。

 で、他にも「冒頭の一節問題」のコーナーでは様々な小説の「冒頭の一節」から始まる問題を並べまくっていたり、「語源問題だとほとんどが「○○語で『××』という意味で」で始まる問題、「名言問題」は有名人と名言を結びつける問題を並べている。曰く次のように。

 「挑戦!! クイズ王への道」の問題はこのように、「ポイント」が1つしかない、もしくは1つプラス誰でも分かるような後フリ1つという構造をしている。注意すべきは、これら「ポイント」がほとんどの問題において冒頭に来ていることである。だから、必然的に「超早押し勝負」になってしまう。で、そのような構造の問題ばかりをここまでたくさん集めたクイズ本は、この書がはじめてであった。

 当時のクイズの状況は、最近の大学生には想像しづらいかもしれない。1992年、わたしが高校2年の時の第12回高校生クイズは、折からの「長戸本」ブームによって育った高校生たちによる、超早押し合戦が展開された。「長戸本」が徹底した早押し対策を試みたことにより「早押しこそクイズ」という状況が完成し(たと思うんだけど)、「史上最強」でも超早押し勝負が展開され(たらしいが、見たこと無いからいまいち不明)、その結果世間のクイズ問題文が超早押し勝負をあおるような形に変化していったのである(これはFNSクイズ王決定戦の問題文の微妙な変遷からも確かめ得る)。本来は「問題文を分析して、早押しのスピードを上げる」という発想だったのに、だんだんと「早押し勝負をさせやすい問題文を作る」という発想に、クイズ関係者の気持ちが変わっていったのだ。

 この内容を踏まえれば、この問題集の問題群について理解しやすい。これら問題群は「超早押し勝負」を人為的に演出するために、解答のポイントが問題の冒頭に置かれているというわけだ。逆に言うと、「超早押し勝負」をさせたければ(したければ)、ポイントが最初にくるような問題だけを集めればよい、ということになる。一連のクイズブームの中でクイズに触れ初めた人々が、「超早押し勝負」にあこがれを持ったのは間違いないし、そういう心情の中で「ポイントが冒頭に置かれた問題」が増加していくのも必然であった。

 そもそもクイズの問題は、ポイントが冒頭に置かれる問題ばかりではない。むしろこの本で紹介されているような「ポイントがはっきりと冒頭に置かれている問題」は少数派であった。しかし、この本あたりをきっかけとしてそのような問題がクイズプレーヤーの間で増えてきた。で、増えてくると「ポイントを冒頭に置き、その後答えを分かりやすく絞り込む」という問題構造がクイズ問題の主流となっていく。この辺のところは、1994年以降の高校生クイズの問題を見てもらうとよく分かる(高校生クイズの問題については、また詳しく述べる機会があるはずである)。

 さて、そういう構造が主流になると、みんながそういう構造の問題を作ろうとする。ところが、たとえば本名問題をさんざん作ったとしても、そのすべての問題が出題できるわけではない。答えとなる人が知名度低過ぎの人であった場合(誰も知らないような外国の作家とか)、本名なんか出しても答えられる人がいないと判断される。また、答えとなる人の知名度がやや低い人(詳しい人なら知っているような日本の作家とか)である場合も、本名から問題を始める必然性はあまり感じられない。「マイナーな人についてのマイナーな情報」を問題にしても、誰も正解しないと考えられるからだ。せめて「メジャーな人についてのマイナーな情報」を聞くくらいの方が良い、そういう判断が1993年以前にはあった。それは「テレビのクイズ番組に出題されそうな問題しか作らない」というクイズプレーヤーの作問上の意識からくる判断である。

 しかし、クイズ問題を作る人々が出題の必然性がある本名やら語源やらを出し尽くしたと考えれば、やや知名度が低い事柄についてであっても本名やら語源やらを出題するようになる。「必ずしもクイズ番組を難易度の基準にする必要がなくなったこと」に加えて、「問題の構造が広まったから、その構造に乗っかりさえすれば問題として成立するし、少々難易度が高くても対策問題を作っている人がいるから出題しても正解してくれるだろう」という意識が広まったからである。

 対策問題を作られていることを想定してクイズ問題を作成する、という状態は、決してクイズにとって健全な状態ではない、とわたし自身思っている。が、対策により同じような問題を作ってもらっているであろうことを想定しているとしか思われない問題作成が、世間には実に多い。我が友人・本藤氏はその状態を「手抜きで型どおりの問題を作ったもの同士が、お互いを慰め合っているようにしか見えなかった」と表現している(『オリジナル・クイズ』1996年)。問題を作る人たちの間に「手抜き」という意識があったとは思わないが、「構造に乗っかかっただけの問題作成」であることは、確かである。

 元々、わたし自身この稿で前フリ問題を否定するつもりはない。ただ、クイズの世界というものが、既存の問題文の構造に影響されやすい世界であることは強調しておきたい。その影響の増幅装置として「挑戦!クイズ王への道」が働いたことは疑いないのである。なお、わたしは再三「最近の高校生クイズの問題文はへたくそだ」と言いまくっているが、高校生クイズの問題が下手な原因も、実はここにある。「不自然な問題に学ぶ」で述べた不自然さも、根っこではこのことが影響している。

 しかし何でクイズ本は、斯くもクイズの世界全体に影響を与えてしまうのだろうか。今後も様々なクイズ本の歴史的位置を探っていきたいと思っている。

 

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