10 すごく得意なジャンルの問題を作る

 前項では、苦手なジャンルの問題を無理に作る際、気をつけるべきことを述べてみた。今回は全く逆、得意なジャンルについて問題を作る際、どんなことを気をつければいいのかを考察してみる。

 前回の話で注意しなければならない、と結論付けた「詳しくないので、間違った問題を作ってしまいがちであること」「詳しい人が問題を耳にした時『そこを聞いてくるか?』と云われるような、トンチンカンなところに焦点を当てた出題になってしまうこと」「作ろうとしたネタが一般的にどのくらい知られていることなのかを判断できないこと」という点については、何ら心配無い。なんてったって得意なジャンルなんだから。

 而るに、自分の詳しいジャンルについて問題を作るとき、往々にして次のようなことが起こる。

  1. 難易度感覚が麻痺しているため、難しい問題を作ってしまう。
  2. 「詳しくもない人に正解されてたまるか」という思いから、難しい問題を作ってしまう。
  3. 当たり前のように難しい専門用語を使ってしまう。
  4. そのことについて詳しい人にしか面白くないネタを選んでしまう。

 これらをまとめると、得意なジャンルを問題にする時、気をつけなければならないのはただ1点。「そのジャンルに詳しくない人を、いかにして置いていかないようにするか」ということ。

 「参加者(視聴者を含めて)を置いていかない」という観点は既に「問題作成講座」その4「本名についてU」で述べた。ポイントとなる部分を抜き出しておく。

 

 >>原則として、「意味」が感じられる部分まで問題が読まれないと、答えた人以外の意識に「引っかかり」がなく、結局楽しくないということになる。本名だけでは、どうがんばってもイメージが沸かない。だから、もはやどんな本名であろうと、「本名は○○」という書き出しの問題は、作らないほうがいいようである。

 

 簡単に言って本名問題を作らないほうがいい理由は、「本名のところで押されると(=『意味』が感じられる部分まで問題が読まれないと)参加者がとてつもなくつまらないから」であった。だから得意ジャンルに関しても「そのジャンルに詳しくない人でも、なんとなく意味を感じられる問題文構成にする」という気の遣い方が求められる。

 ただ、「よほど専門用語だけで構成された問題」でないかぎり、問題の意味を感じさせることは難しいことではない。自分の詳しいジャンルに関しては、そのジャンルに詳しくない人にでも面白いと思えるような問題構成をしやすいだろうから。もし、それができないとすればその人に「バランス感覚がない」ということである。

 クイズ問題を作るのに最も大切な要素は、実はこの「バランス感覚」である。

 バランス感覚があれば「自ら不案内な事柄」についても「この辺を出題しておけば無難か?」という気持ちを持つことができる。「自らがマニアックに得意な事柄」についても「これならみんな面白がってくれるだろう」というネタを選ぶことができる。

 と、理屈ではそうなんだが、なんっつっても自分がマニアックな事柄に関しては、とにかく余計な力が入ってしまって、問題ネタをこねくり回した挙句、結局シロートさんに「はぁ?」と思われてしまうような問題を、作ってしまうもんである、たぶん。

 自分の話をしよう。わたしは芸能ネタに関してマニアックに詳しい。こんな男が不用意に芸能問題を作るとどうなるか。思いつくまま作った昔の問題。

  1. かつて「ハトヤの大漁苑」のCMで魚を落っことしてしまう少年を演じていた人の名前は何?
  2. 円広志が「越冬つばめ」を作曲した時に使った、彼の本名は何?
  3. 映画「愛染かつら」で、上原謙演じる医師・津村浩三と結婚を望まれる両家の娘・中田未知子を演じた、夭折した女優は誰?

 これを「一般出題妥当性」という観点で順位をつけると、まあ2が一番ましかな。1は一番ひどい。FNSの晩年の問題がつまらない、と言ったあの話を思い出す。むしろ、こうする方がまだいい。

  1. (改題)かつて荒木康一郎くんが鰹を落とす場面が印象的だったのは何のCM?

 まあ、これがベストとは言わないが、何を問題の焦点にすれば参加者との距離を保てるか、そこを気遣った問題構成といえるだろう。

 2は「円広志」が答えになるようにすればいい。それだけのことだが、思い入れが強いとできにくいもんだ。

 なお、ここで強調しておきたいのは、「参加者との距離を保つ」「その事柄に詳しくない人でも、問題の意味を感じられる」ことを求めるのと、「個性を出す」こととは、決して衝突しない、ということである。わたしはこの項で「自分を殺してまで参加者との距離を保て」といっているのではない。最大限自分を出しながら参加者との距離を測る努力をしよう、ということである。1(改題)はカツオを落とした人の名前を織り込んだ故の面白さをかもし出すのに成功している。そういう個性(マニアックさ)の出し方を探っていくことを考えたいものだ。

 

 次。3は直しようがない。というのは、こういう問題を作る心情の裏にあるのは「古い映画好きにはたまらない思い出の女優・桑野通子をぜひクイズ問題にしたい」という気持ちである。だから、問題の焦点を「愛染かつら」つながりでずらすわけには行かない。となれば、理屈ではこの問題は面白みを分かってくれる人が現れるまで、お蔵入りとなる。

 この問題を、わたしは1995年に作成し、出題した。そのときは「絶対に誰も正解できない」と思って出した。案の定誰もボタンを押さず、キャンセル(スルー)となった。明らかに参加者を置いていった。しかし、わたしはそれでもいいと思った。「桑野通子」という女優を少しでも知ってもらいたかったから。クイズには「知識を得る」という楽しみも有るのだから。

 そういう意味で、自分の詳しいこと・思い入れのあることに関して、正解が出るかどうかを無視して出題することが、あってもいいと思う。ただ、1(改題前)の問題のように、正解を知ったところで何ら広がりのない問題を作ってしまうことは避けたい気がする。

 

今日の結論

 

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