4 本名についてU

 本名については語りたいことが多く、前回思わず長くなってしまった。今回は「本名を問題にするときはどうするのか」というテーマ。

 前回の結論を繰り返すと「答えとなる人物の本名に、問題に織り込む情報としての妥当性があるかどうかを、常に考えること」であった。で、この「妥当性」というやつについて、前回は「答えとなる人物について詳しく知っている人物なら、絶対知っているような本名には、出題の妥当性がある」というようなことを語った。

 では、例えば「クイズのためだけに本名を暗記する人」など全く意識していない「ウルトラクイズ」の問題で、その妥当性を具体的に見てみることにしよう。

 そもそもウルトラクイズには、あまり本名問題が出てこない。だからこそ、さだめしきっちりした妥当性がある本名問題が出ているのだろうと思うと、ちょっと疑問がある。著作権でうるさく言われると嫌なので問題そのものは掲載しないが、例えば第5回ノックスビルで「本名を杉森信盛」=「近松門左衛門」という問題が出題されている。明らかにこの本名は、前回の流れで言うと「出題の妥当性がない」にあたる。ウルトラクイズといえば、一般人向けの良質なクイズ問題を提供しつづけてきた(というと言い過ぎの部分もあるが)クイズ番組である。それが、なぜこんな本名を使ったのか。

 おそらくこの本名は、「限定」という意味を持っていると考えられる。この問題、本名を除いてしまうと答えを限定できない。「限定」についてはいずれ取り上げるつもりだが、とにかくこの問題は、決して「杉森信盛」を知っている人だけを優遇しようという意図ではない。なぜなら、当時その本名を知っている人などまずいないだろうから。だったら「限定」するためのこの情報は、入れておいていいものなのではないか。問題選定者はそう判断したのかもしれない。

 ところが、「限定」という意味で必要不可欠なこの情報も、出題する、ということを考えると、やはり使いたくない情報なのである。なぜなら、万が一「杉森信盛」という本名を知っている人が参加者の中にいて、超早押しをして答えたとする。見ている人はどう思うか。普通のオープン大会なら「おー、すげぇ!」という喚声があがるかもしれない。しかし、テレビを見ている人の多くは「マニアックだな」「なんやそれ」という、冷ややかな反応をすると思う。

 「杉森信盛」の問題について、もうひとつ付け加えておきたいのは、「問題の読み方」である。この問題を読むとき、福留さんは、かなり噛み締めるようにゆっくり読まれている(1986年放送「史上最大の傑作選」で見た限りでは)。それに対し、第14回で「本名は山田勇。漫才師として」という書き出しの問題が出たときは、多分意識されているのだろうが、かなり早口で読まれた。確かに「山田勇」=「横山ノック」には出題の妥当性が充分ある。だから出題されても全然かまわないのだが、視聴者とのバランスをとるためには、「本名は山田勇」で押されて答えられたくはないはずである。やはりそこで押されてしまうと、見ている側はキョトンとしてしまう。実際このとき正解された森田さんは「山田勇」に反応してボタンを押されたが、そのとき福留さんは既に「漫才師として」という部分まで読んでしまっている。そうすることで視聴者を置いていかなくてすむ。本当のところどういう意識で福留さんがそう読んだのか、知りたい気もする。彼の問題読みについての考察、併せて一般的な問題読みについての考察もいずれする予定である。

 第5回と第14回の問題読みの違いは、そのまま福留さんの問題読みへの意識向上に関係していると思うのだが、それはともかく、「その人について詳しくない参加者を置いていかないようにする」という問題作成者側の意識は、とても大切である。そして置いていかない為には、問題となっている事柄に対して少しはイメージが出きる部分まで読むことができるような問題作りが必要である。

 どれだけ「出題の妥当性」があろうとも、「本名は○○」という書き出しの問題では、「○○」の部分で押されると、答えとなる人物について詳しくない参加者が置いていかれて、つまりは白けてしまう。

 原則として、「意味」が感じられる部分まで問題が読まれないと、答えた人以外の意識に「引っかかり」がなく、結局楽しくないということになる。本名だけでは、どうがんばってもイメージが沸かない。だから、もはやどんな本名であろうと、「本名は○○」という書き出しの問題は、作らないほうがいいようである。

 ひとつ説明を加えておくと、ここでいう「意味」とは「内容」と言い換えてよい。問題になっている事柄についての意味ではなく、問題そのものが意図するところである。すこしややこしい概念なので、近日中に詳しい考察をしていく(最初のうちは、なんでも後回しにしている印象がある。申し訳ない)。

 わたしが前回の講義で語った「林家ペー」の問題は、どうがんばっても本名の部分で押されることがないから、という気持ちで作ったものだ。でも、やはり本名の部分は要らなかった。「どうがんばっても本名の部分で押されることがない」というのはわたしの勝手な思い込みであって、ほんの少しでも、押される可能性があるのならやめるべきだろう。

 結局のところ、わたしの結論として、次のことを述べて本名についての考察を閉じたい。

本日の結論
 「本名は○○」の書き出しの問題は、そこで押されると面白くないので、作らないほうがいい。

 ただ、書き出しでなければよいか、というと、そういうわけでもない。書き出し以外の部分、例えば問題の最後の方に「〜で知られる、本名を○○という作家は誰?」とする問題もある。わたしはこういう文法にも否定的なのだが、それは違う理由なので、近日公開の「クイズによく出る事柄についての考察」をご覧いただきたい。では。

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