本文へスキップ

世代を繋(つな)ぐ人づくり、心を紡(つむ) ぐ絆(きずな)づくり、豊かで元気なまちづくり

電話でのお問い合わせはTEL.042-312-3458

〒187-0032 東京都小平市小川町2−1326−2

「一番苦手なのは」  平成18年5月8日


こどもの日を中心とした大型連休も終わり、いよいよ小・中学校とも一学期の充実期に入る。一学期は学年・学級環境を整え、学習に取り組む気構えを確立していく、具体的に学習集団として取り組んでいく学級風土を醸成していく大事なときであり、5月、6月はその充実期である。この頃に好ましい学級風土を醸成できないと、学級崩壊へとなだれ込んでいく現状を見てきた。一学期は、学級経営の基盤整備の重要な学期であることはこれまでにも述べてきたとおりである。校長、副校長は意図的に時間をつくって授業観察、子どもとの交流に努め、崩壊の前兆を察知したら、早い時期の手だてを講じるようお願いする。特に新規採用教員に対しては、目配り、気配り、心遣いを忘れないようにお願いする。
さて、5月4日(木)の読売新聞朝刊の「編集手帳」の記事に目がとまった。それは、詩人サトウハチローが、後進に発表の場を与えようと始めた童謡の同人誌「木曜手帖」が、編集者が高齢になり、作業が難しくなったと言うことで、創刊から49年目の第600号を持って終刊するというものである。サトウハチローほど母のことを飽かず繰り返し、心を込めて歌い、母を恋い、童謡に心血を注いだ生涯は、「大少年」の一語に尽きるだろうと解説されていた。その中に、『一番苦手なのは』という詩の一節が紹介されていたが、深く感じ入るものがあった。

「一番苦手なのは/おふくろの涙です/何もいわずに/こっちを見ている/涙です/その涙に/灯りが/ゆれたりしていると/そして/灯りが/だんだんふくらんでくると…/…これが一番苦手です」  

私の母は、今年86才になる。病気入院、引き続き特別養護老人ホームに入って28年が過ぎる。人生の後半は、まさに病と思うに任せぬ自身の体との葛藤の月日であった。  
母が58才の時に父が63才で亡くなったが、余命3ヶ月と宣告された父に付き添い、一日も自宅に帰ることなく10ヶ月の間、病室で父の世話を続けた。相当無理をしていたようで、父の死後、二週間あまりたったある日突然発病し(本当は、父の看病中に発病していたようである)、母が入院生活を送ることになった。その後、視力障害になったり、下半身不随となり、車椅子の生活のため完全介護が必要な事態になったが、兄弟(私を含め5人)が田舎を離れている状況の中では、特養に入れるしかその術がなく、申し訳ない思いをしたことを思い出す。(私が子どもの頃、親の面倒も見ないで老人ホームに親を入れて……と、陰口をたたかれている近所の人を何度か見た記憶がある………。)しかし、いつも前向きに人生を歩んできた母は、自分に降りかかった障害を悲しむわけでもなく、その知性と創造力で看護師さんやヘルパーさんの話し相手になったり、入所者の皆さんのよき相談相手になったり、新しくできた兄弟園の園歌を作詞したりと、大いに現在の状況を楽しみ、学び、自分にできる範囲で貢献していたようである。一時は様態が危機的状況にあったが、今は何とか元気に入所生活を送っている。  
2年前に、生命維持装置の装着について担当医と話し合うために帰った時、子どもたちが全員家を出、特養に入っていて寂しくないかと尋ねた時に、私の目をじっと見つめたまま、「好きなことを、やりたいことを思いっきりやりなさいと勧めたのは私だもの。寂しくても我慢して、母さんも頑張らないとね……。」とうっすらと目に涙を浮かべて話していた母の姿を思い出す。その時初めて聞いた話であるが、母は働いていたお店の主人に認められ、2年間、東京青山の洋裁学校で裁断の勉強をし、当時働いていたお店の縫子さんたちから、腕のいい裁断士として尊敬されていたようである。「私はおまえの先輩なんだよ。(東京に行って勉強した)」と、誇らしげに話して聞かせてくれた母を思い出す。  
思い返せば、母は注意をしたり、諭したりする時は、悲しそうな目でじっと私の目を見つめ、言葉少なに、静かに話し、その目を見るのがつらかったことを思い出す。そんな母の悲しそうな目が脳裏に焼き付き、絶対に母を悲しませてはいけないと、子供心に心に誓ったことも思い出す。相談したことに応える時も、優しい、何かが開けるような、明るい目で私を見つめ、励ましてくれたことを思い出す。何か悲しいことがあった時には、何も言わずに目に涙を溜、心配そうに母を見つめる小学生の私に向かって目をそらすこともなく、「頑張ろうね……。」と黙々と働いていた母の姿を思い出す。  
私が小学生の頃、専門学校から家庭科の教師の誘いを受けた時にも、「子どもたちが小さいから」と断ったという話を、私が大学生として上京する時に叔母から聞いたことがある。そんな母の影響を受け、自分が選んだ道は苦しくても、自分の責任でやり抜くことや、人生を生き抜くための多くのことを学んだことに感謝している。  「母の日」でもない、「こどもの日」に、そんなことを思い出させたサトウハチロウーの「一番苦手なのは」の詩に巡り会えたことは、改めて「母の偉大さ」や「母の影響力の大きさ」を、そして、「家庭の教育が全ての教育の出発点である。」ことを改めてしみじみと噛み締めるゴールデンウィークとなった。

information

坂井 やすのり

〒187-0032
東京都小平市小川町2−1326−2
TEL.042-312-3458
FAX.042-312-3458