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進路指導とは生き方指導である   平成20年4月14日

今年度は全ての小・中学校のアクションプログラムの一つに「学力向上」を位置づけることとした。しかしこのことはいたずらに子供たちの競争心を煽り、学校間の成果を競うものではないことを確認しておきたい。

私はこれまで、人は何故勉強しなければならないのかと言う子供たちの疑問に、機会があれば話をしてきた。多くの子供たちは、こんな大人になりたいとか、大人になったらこんな事をやってみたいという夢を密かに描いている。人は夢の実現のために、未来に描いた自分に会うために、未来に描いた自分になるために勉強するのだと教えてきた。だからこそ一日一日を真剣に生きなければならないし、一日一日の積み重ねを大切にしなければならないこと。そして、その結果の責任は自分自身にあることを教えてきた。

卒業式や入学式でもできるだけ話しかけることにしてきた。しかし、先日不幸な事件が起き、大きなショックを受けた。卒業式も終わった3月25日の深夜11時5分頃、JR岡山駅のホームで、大阪市大東区の高校を卒業したばかりの18歳の少年が、岡山県職員の男性をホームから突き落とし、死亡させるという痛ましい殺人事件が発生した。初めにニュ−スガ飛び込んできたときには、またまたやりきれない世相を反映した事件かなと思っていたが、警察の事情聴取の内容が報道されるにいたり、他の人はどう思ったか知れないが、私としては真剣に考えなければならない事件であることを認識した。この少年は成績も良く、大学進学を望んであり、そのつもりでいたが、家が経済的に苦しく、就職も視野に入れ、将来大学に行く計画を立てていたようである。しかし、父親との話し合いで自分の将来のことについて見放されたと思いこみ、家出をし、人を殺して刑務所に入ろうと決心したとのことである。元々素直な少年だったらしく、近所でも評判の仲の良い父子であったということである。ナイフを袖に隠し、人を殺そうとしたができず、コンビニで買ったホットドッグを午後10時45分頃駅構内に入り、ホームで食べている時に、衝動的に、近づいた電車に惹かれて殺そうと決意したとのことである。遺族に対しても「申し訳なことをした。」と謝罪しており、家族に対しても「こんな事をして済まない。申し訳ないと感じている。」と述べているという。しかし犯した罪は罪であり、遺族への謝罪の心を忘れずに刑を全うし、社会復帰できることを願っている。

学力を付けると言うことは、将来生きていく上での選択肢の幅を広げ、夢の実現や、職業選択の礎になるものであり、だからこそ勉強する意味と価値がある。しかし勉強してもこのような少年が生まれてくるようでは……と、考えさせられる事件でもある。

将来のことをもっと真剣に相談に乗ってやれる仕組みが必要であり、回りにいる不幸な(?)境遇を乗り越え、人生を豊かに生きている先達の話を聞かせることも進路指導では必要ではないかと考えている。

私も高校受験の時、一端の腕のいい職人であった父から、昔、父が働いていたお店に丁稚にはいるよう話を持ちかけられたことがある。私なりに夢もあり、国立の電波高等専門学校(当時全国に3校しかなかった)に行き、その後大学の専門コースに進みたいと考えていたが、家のことを考えると諦めざるを得ないと自分なりに納得していた。そんな時、中学の担任が父を説得し、父も渋々、商人にさせるので商業高校ならと受験を認めてくれたが、担任は密かに普通科の受験願書を用意していたようである。受験の当日初めて知ったが、「責任は先生が取る。」の声に励まされて試験会場に入ったことを思い出す。入学した後も、高校を受験することに反対だった父が大学受験を許すわけがなく、授業に身が入らず、成績は階段を転げ落ちるようにあっという間に下がったが、誰にも負けたくない教科(物理)があり、その教科だけは常にトップグループを維持していたので、良く担任に「こんな難しい勉強ができるのに、何故他の教科も真剣に勉強しないのか。」と窘められたことが度々あった。

大学受験の転機が訪れたのは3年の冬休み、一流企業への推薦就職が決まり、手続きに職員室に入った時である。
「君も大学に行ける」と大きく書かれたポスターの文字が突然目に飛び込んできた。新聞配達少年募集のポスターである。こんな方法で大学に行けるのなら内定を取り消してもらい、大学を受験したいと担任に願い出た。と同時に、3年間全く勉強していなかったので留年を希望し、真剣に勉強してから受験したい……と伝えたところ、「君の中学生の頃のことは弟から良く聞いていたよ。(中3の担任は児玉先生、高3の担任は福島先生といい、名前も体型や顔も全く違うので、兄弟とは思ってもいなかった…。)留年なんかしなくても、君なら今から勉強しても間に合うよ。頑張ってみろ。」の励ましに、わずか2ヶ月の期間(当時国立の二期試験が2月13日前後だったと記憶している)猛烈に勉強し、1月末に上京(卒業式にも出席しなかったが……)新聞配達をしながら受験したことを思い出す。

住み込んだのがS新聞の三軒茶屋販売店であり、当時のA、M、Yの三大新聞と違い、同じ数を配達するには、配達エリアも三倍以上、新聞も経済新聞とスポーツ新聞を含め配達するために、間違わないよう気を遣うことが多かった。武蔵小金井のキャンパスまで通うことになり、睡眠時間も3時間しかとれず、結果として体をこわしてしまい、半年ほど田舎に帰省し、休学して静養することになった。1年後に復学したが、その後も多くの試練があった。(3人の学友が、坂井はいいアルバイトをしているらしいと言うことで、冬のスキー旅行代金稼ぎに仕事を紹介してやったが、二日と持たなかった。) その道を選択しなければ大学に行けなかった訳であり、無我夢中で生きていたので、自分にとっては苦労でも何でもなかったし、頑張っているからこそ助けてくれる人がいたと当時も今も思っている。

夢を叶える方法は必ずある。(大学に行きたいのなら、他にも企業の奨学資金を受ける方法があると紹介されたが、卒業後の道が限定されるのがいやで諦め、新聞配達の道を選んだ。)本当は経済的に恵まれない子供たちのための奨学金制度や進学の道を社会的な制度として準備してやることが必要とは思うが、同時に本人の強い願望とどんな困難にも負けない強い意志がなければならない。この少年にも、もっと強い意志を育む環境があり、多くの選択肢があることを回りの大人が話してやる機会がなかったことが残念である。ましてや、一旦就職の道を考えたのなら、その覚悟が本当にできていたのかと思わざるを得ない。

進路指導とは生き方指導である。進路指導が学校教育に持ち込まれた当時、小学校現場では進路指導を進学指導と思いこみ、受験する子供は僅かであるからと取り組んでこなかったことがある。中学校でも、3年生の受験指導と誤解した、似たようなことがあった。最近ようやくキャリア教育が小学校でも実施されるようになってきたが、進路指導とは、単なる職場体験学習ではなく、人生をどう生きていくのか。そのためにどんな方法があるのか。自分自身の生き方に覚悟を決めなければならないことがあることを学ぶ教育でもある。自分の人生を力強く生き抜いていくための、そんな進路指導をお願いしたい。

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坂井 やすのり

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