第47日目 8月21日(火) 晴れ後曇り
7時半起床。初めて布団でゆっくり寝ることができ、思わず寝坊してしまった。
天気予報に よると台風10号からの湿った南風のため、長岡地方はフェーン現象となり、日中の最高気温が34℃にもなるそうだ。今までも異常な猛夏で30℃の日が続いていたが、34℃とは驚きだ。朝食をごちそう になりお昼のおにぎりも頂いて、いろいろ励まされ、8時55分に出発した。
天気予報通りものすごい暑さと、盲腸のような腹痛と戦いながら12時45分小千谷に着き、小 林さんから頂いたおにぎりを食ベた。昨日まで3週間もの問、昼は食パンと決まっていたので、この 久しぶりに食ベるおにぎりはまさにお袋の味そのもの、元気をとり戻し1時40分、17号を上る。
途中小出で休憩をした後、暑さとダラダラ坂、そして向かい風と戦いながら4時10分六日町まで 来る。大和町あたりから小雨が降り始めたため学校の自転車置き場にでも寝ようと思い、六日町駅近 くの中学校に行き、一言断わろうと思っていたら「お茶でもどうぞ。」と言われ拍子抜けしてしまっ た。玄関のところで若い女の先生からアイスコーヒーと麦茶をご馳走になり、いろいろ話をした。 「日本一周ですか?」と聞かれピクッとしたが「残念ながら東北・北海道です。」と答えた。
僕はこ の時初めて地元の取手二高が今年の高校野球で優勝したことを知らされてピッタリした。
先生方から気持ちよく迎えられて 今夜の雨の心配はなくなった。今、小林さん宅で過ごした半日を振り返ると、まるで自宅に帰ったような安堵感であったことに気が付く。両親といるように不思議に気が落ち着いたのはどうしてであろうか。朝僕が出発前に記念に写真を写したので帰宅したら写真と共にお礼をしようと思う。それにしても普段は家の中で布団で寝るということが当たり前のことだが、あれほど気持ちの良いものだとは思わなかった。今まではどんなに疲れている朝でも5時までには必ず目覚めていたのが今朝は何と7時まで寝てしまった。疲れが溜まっていたこともあるが、安心できたのだろう。
ここまで来れば、早ければ明後日、遅くとも明々後日には帰れる。随分両親を始め友人に心配をかけた。沼田からもし日光に回ったとしても5日くらいで帰れるだろう。安心したら思わず 信州(特に乗鞍)のことを考えてしまった。まったく自分勝手な甘えだと思う。自分がつくづく情けない人間に思える。自分が嫌になってしまう。
今、函館以来5日ぶりに家に電話を入れた。100円で2分以上も話ができて、家が近づいたことを感じずにはいられない。妹に「あと2、3日で帰れる。」と言ったらとても驚いていた。妹は「今日は登校日で数学のテストがあった。」といつもの調子で答えてきた。僕は出発前に考え過ぎだとは思ったが、このひと夏で妹が変な風に変わってしまっては大変だと心配していたが、それも取り越し苦労のようだった。
また、母は母らしく「髭を剃ってさっぱりして帰ってこい。」と言っていた。僕は出発時に旅の間は髭を剃らないと決めていたので、そのためもう随分と伸びている。髪はパーマをあてたバックスタイル、昼間は日が眩しいのでサングラスをかけている。それに加えて2ヶ月伸ばした髭、一見するとヤクザ風な顔付きだ。自分で見ても少し怖い顔になっている。
まあ、なんだか少しもったいないような気がするが、母の期待に答えるように髭を剃って帰ろうと思う。帰って早々に母と口喧嘩をするのはゴメンだから。今まで中学校から散々心配をかけてきたので、これからは素直に少し大人しくしなければならない。この旅に出ることを許してくれたことだけでも感謝すベきことなのだから。
函館から送った土産を、帰ったら妹、両親、祖父に渡すのが楽しみだ。妹の喜ぶ顔が目に浮かぶようだ。
今朝小林さん宅で見たニュースでは、台風10号が接近しているし、関東には熱帯低気圧があるので明日はいよいよ雨が降り、風も強くなりそうだ。
峠を越えるというのに天気が悪くては辛いが、どう転んでも2、3日の距離。のんびり行こうと思う。
それにしてもいよいよ帰りか! この2ヶ月間長いようで短かく、短かいようで長く、さまざまなことがあった。
全体的に辛い日が多く、今は思い出したくないことも多くある。まだ帰宅したわけでもないが、ひとつ言えることは自分なりに精一杯頑張ったと思う。死を覚悟で知床岬に向かった日のことや、泣きながら峠を越え、眼下に街が見えたときの征服感は一生忘れることができないであろう。きっとこの旅で得た全てのことがこれから先の僕の人生でプラスになるだろうし、そうでなけれぱ旅に出た意味もなくなる。
帰宅したら10月7日の公務員試験のために夢中で勉強をしようと思う。とにかくこの旅で勝ち得た、気力、精神力、忍耐力、そして根性を公務員試験の勉強に限らず、これから先の人生の全てに役立てていくつもりだ。
帰宅を目前にして今、僕に言えることはそのことだ。きっと何年かいや何十年か後になって、“あのとき旅に出て、本当に良かった。”と心からそう思える日が来るようにしたいし、また、そう思える日が来るようでなければならない。さまざまな思い出を胸に秘めてそろそろ僕の旅は終わろうとしている。残りの数日は、天気が悪ければあまり無理をせずに、ゆっくりとこれからの自分のことを考えてゆくつもりだ。
“自分のことをひとりなっていろいろ考えたい、だから旅に出るんだ”そう思って出発してみたものの今まではあまりにもハードに走ってきたので、ゆっくり自分を見つめる余裕がなかったように思える。人間はひとりでは生きられないのだが、ある意 味で言う“ひとりで生活する”のも、もう少しだから、自分をしっかり見つめてみたい。
こうして日記を書いていても、さっき夕食の時、缶詰を切っている時も腕がとてもだるい。左手は指先が痺れるし、いったいこれは何なのだ。心配だ。
今日一日中体が怠かったのは、昨夜小林さん宅でクーラーの利いた部屋で寝たためであろう。文明は人間の生活を楽にする一方、このように確実に体に影響を与えるのかと思うと恐しくなる。
テントの中は今夜も熱帯夜、こうじっとして日記を書いていても汗がダラダラ垂れてくる。でもこれがほんとうの自然の姿なのだろう。今夜も寝苦しいのは覚悟の上だ。 消灯9時15分
本日の宿泊地 六日町中学校、本日の走行距離 105km (累計 4729km)