第17日目 7目22日(日) 曇
4時20分起床。
朝起きてみると、昨夜の雨は上がっていた。昨晩洗濯して干しておいたTシャツやパンツ手摺りの赤錆が付いてしまった。しかし、大体乾いていた。
家一軒ない、鶴居村の手前にて、リアのスポークが切れた。道具がなくて修理できずにいたところ、トラックが来たので、道具を借りて修理を済ませ走り出した。
今、釧路市に入ったところで偉大な釧路湿原を眺めている。
ほんとうなら湿原の中を通るダートを走るはずだったのだが、その道が見付からずここまで来てしまった。ここから見る湿原は「すごい!」の一言だ。とても日本とは思えない。今にも象やキリンが出てきそうな、そんな風景なのだ。湿原の中の道を走れなかったのは残念だったが、こうして湿原を眺めることができたのはラッキーだったのかもしれない。この偉大な景色を前にしてはさっきのスポーク切れなど忘れてしまいそうだ。何と自然は素晴らしいのだろう。それに比ベてスポークが切れただけで躊躇した自分は、何とちっぽけな人間なんだろう。
釧路で昼食をとった。今日は食パンと牛乳だった。これからはお金を節約していくために時にはこのようにしようと思う。そして時には贅沢を...
その後、尾幌に向う途中、今回の旅で3度目の車にお世話になった。信号無視をした直後に仕切りにクラクションを鳴す車があったので、怒られるのかと思っていたら、「乗っていけよ」と言ってくれた。その車が何と”玉姫殿”という結婚式場の 送迎用のバスだったため、自転車を乗せるのにたいへん苦労した。
3時前に尾幌に着くことができたため、尻羽岬(知名度のたいへん低いところだが、友人の話ではとてもよいところらしい。)まで足を伸ばした。途中の仙鳳趾までは舗装だったが、その先の山道は、大半がダート、しかも砂利も敷いてないような草が生えている道だ。岬の先は木がまったくなく、ただ短い草が一面に生えているだけだった。
きっと知床もあのような状態なのだろうか? 道や標識があってさえ山に入るのは怖いのだから、知床はきっと相当の勇気と根性そして覚悟が必要だろう。もし生きて帰れなかったら... そう考えると、とても怖くなる。尻羽岬に立ってそう感じた。
帰り道では、サイドバックの紐が切れたり、チェーンが外れたり、タオルを落したりいろいろあったが5時に尾幌駅に着いた。
今夜はこの駅に泊まることにする。有人だと思っていたら、無人駅だったのでゆっくり寝られそうだ。今日は一日曇りで今小雨が降ってきた。飯を作ってから日記の続きを書くことにする。
無性に友人に会いたくなって絵はがきを書いた。結局8人に書いた。それもこれも電気の付いている駅だからこそだ。いつもはこの日記を付けるのも、テントの中の暗いところでローソクやヘッドライトの元で書いているのだ。明日切手を貼ってすぐにでも出そう。所持金もいよいよ底を付いたので、明日には下ろさなくてはならない。今日は湿原の素晴らしさや尻羽岬に感激し、よい一日だった。夕食を食っていたら地元のおじさんが来たため、いろいろ話しをした。その人の話では、一般的に梅雨がないと思われがちの北海道だが、実際は7月の中旬は愚図つくらしい。今日は22日、そろそろ北海道も天気が安定してくるとのこと。本当にそうであってほしいものだ。明日はどこまで行けるかわからないが、霧多布岬などを見た後、根室あたりまで行きたいものだ。そろそろこの駅の最終列車が来るころだ。そうしたらすぐに寝よう。今日も疲れた。スポーク切れには閉ロしたが、いろいろあって楽しかった。尻羽岬の帰り道で見た夕暮れの厚岸湾はたいへん美しかった。 消灯9時10分。
本日の宿泊地 尾幌駅、本日の走行距離 135km (累計 1888km)