山 城 日 野 法 界 寺

山城日野法界寺・日野誕生寺・日野萱尾明神・日野鴨長明方丈跡

山城日野法界寺

○「新撰京都名所圖會 第5巻」竹村俊則、白川書院、昭和38年
 東光山、真言宗醍醐派、世に「日野の薬師」と呼ばれ、授乳祈願の信仰で知られる。
この地には藤原北家の支流の日野家の山荘があったが、永承6年(1051)日野資業が出家のあたり、邸内に一宇を建立し、先祖代々の薬師如来を祀ったことが草創と伝える。
始め薬師堂が竣工し、次いで日野一族門葉が観音堂や阿弥陀堂などの堂宇を建立する。
しかし、それも中世の兵火で焼失し、阿弥陀堂だけが中世の兵火を逃れ、今に伝わり、宇治平等院阿弥陀堂とともに藤原時代の浄土教芸術の代表とされる。
 日野法界寺境内絵図:法界寺の東に接し日野誕生院(親鸞上人誕生院)がある。誕生院北に日野家墓所(日野有範塔)もある。
○日野法界寺サイト では
 「法界寺は日野家の菩提寺である。」
 「寺伝によると、藤原家宗が慈覚大師円仁より伝教大師最澄自らが彫った薬師如来の小像を譲り受けてお祀りし、その後永承6年(1051)に日野資業が薬師如来像を造ってその小像を胎内におさめ、薬師堂を建立したことがこの寺のはじまりである。当時は観音堂、五大堂など多くの堂塔が立ち並んでいたが、承久の乱などで罹災し、今では本堂薬師堂と阿弥陀堂を残すのみとなる。」
とある。
◆法界寺堂宇・仏像
◇薬師堂(重文)
 法界寺本堂である。
明治34、5年頃、大和龍田新宮傅燈寺大日堂を移建したもので、法界寺では明治37年の移建とする。
  →大和龍田新宮を参照、龍田新宮傅燈寺には在りし日の「大日堂」描いた絵図などがある。
康正2年(1456)の建立(「胸札」)。平面5×4間、寄棟造、屋根本瓦葺、内部は内陣が格天井、内陣が折上格天井である。
本尊の薬師如来立像(重文、平安後期)は秘仏である。脇侍は日光菩薩・月光菩薩(鎌倉期)が同一厨子に安置、両脇に厨子があり、十二神将軍(鎌倉期)が6体ずつ山地される。
◇阿弥陀堂(国宝)
 鎌倉初期の建築。承久3年(1221)の兵火で焼失後、直ぐに再建されたものと思われる。
5×5間の身舎に1間の裳階を廻らす。身舎の正面は五間とも蔀戸である。屋根は宝形造、檜皮葺き。
本尊は阿弥陀如来坐像(国宝、平安中期、定朝様阿弥陀像の典型、像高2.8m)。
法界寺阿弥陀堂平面図:平面は阿弥陀如来の周囲を念仏を唱えながら巡る常行三昧堂の形式を意味に伝える。身舎柱と四天柱の柱筋が一致しない。
四天柱の表面や、身舎柱上の小壁には創建当時の絵画が残る。
 法界寺阿弥陀堂平面図:Wikipediaから転載
 法界寺阿弥陀堂内陣      阿弥陀堂阿弥陀如来坐像:日野法界寺のサイトから転載
2024/11/24撮影:
 日野法界寺山門
 法界寺薬師堂11     法界寺薬師堂12     法界寺薬師堂13     法界寺薬師堂14     法界寺薬師堂15
 法界寺薬師堂16     法界寺薬師堂17     法界寺薬師堂18     法界寺薬師堂19     法界寺薬師堂20
 法界寺薬師堂21     法界寺薬師堂22
 法界寺阿弥陀堂11    法界寺阿弥陀堂12    法界寺阿弥陀堂13    法界寺阿弥陀堂14    法界寺阿弥陀堂15
 法界寺阿弥陀堂16    法界寺阿弥陀堂17    法界寺阿弥陀堂18    法界寺阿弥陀堂19    法界寺阿弥陀堂20
 法界寺阿弥陀堂21    法界寺阿弥陀堂22    法界寺阿弥陀堂23    法界寺阿弥陀堂24
 法界寺庫裡     法界寺鐘楼     法界寺弁才天
 上ノ醍醐への道標     上醍醐道への石階:上醍醐への道の入口と推測するも不明


山城日野誕生院

○「新撰京都名所圖會 第5巻」竹村俊則、白川書院、昭和38年 より
 昭和6年親鸞の生誕地を記念して、法界寺に隣接して建立される。
堂宇は素木造、本瓦葺きで古風を模す。阿弥陀如来と親鸞袴着の像を安置す。
また、法界寺境内南には親鸞産湯の井・胞衣塚がある。
○日野法界寺サイト では
 「法界寺は日野家の菩提寺である。」
「この法界寺を創った日野資業から4代後、承安3年(1173)に日野有範を父とし、吉光女を母として、ここ法界寺で誕生する。9歳の時に青蓮院で得度するまでこの地で過ごし、初めてご縁を結ばれた仏様がこの法界寺の阿弥陀如来である。
「法界寺から少し東に行くと日野家墓所があり、親鸞聖人の父有範のお墓、母吉光女、伯父範綱、覚信尼等のご廟所となっている。」
 ※この廟所は実見するも、写真撮影は失念する。
○【京都市公式】京都観光Navi>誕生院 より
 本願寺第20代広如宗主の文政11年(1828)9月、宗祖親鸞聖人のご誕生の地を顕彰して、ここに一つの堂宇が建てられた。これが日野誕生院のはじまりである。
当初、この堂宇を有範堂または宝物堂とも呼ばれたが、第21代明如宗主は、明治11年(1878)この堂宇を日野別堂と改名し、いっそう顕彰に努められた。
さらに大正12年(1923)に立教開宗700年記念の慶讃法要が営まれたのを契機として堂宇の一大改造が計画され、第23代勝如宗主の昭和3年(1928)5月に着工、昭和6年3月に別堂が完成し、5月に落慶の法要が営まれた。このとき日野誕生院と改称され現在にいたっている。
宗祖の誕生を記念する堂宇であるため、その建築様式は平安時代初期の手法によっており、従来の真宗寺院の形態とは大きく趣を異にし、調度仏具類もみな時代相応の古風によっている。
 ※誕生院は西本願寺境外堂宇のようである。
2024/11/24撮影:
 親鸞産湯の井・胞衣塚:現在も法界寺にぞくするのかどうかは不明、西本願寺は金持ちだろうから、現在は誕生院(西本願寺)に譲渡?されているのかも知れない。
 親鸞誕生院入口     推定旧誕生院か:入口脇に若干の堂宇がある、旧誕生院の堂宇であるかも知れない。
 親鸞誕生院1     親鸞誕生院2     親鸞誕生院3     親鸞誕生院4     親鸞誕生院5     親鸞誕生院鐘楼



山城日野萱尾大明神

○現地説明板 より
 祭神はオオナムチ、日野村の産土神、法界寺の北東に位置し、近世にはその鎮守であった。
現在の本殿は法界寺坊中などによって慶安5年(1652)再建されたものである。大型の一間社流造で、極彩色で装飾される。
○その他のWeb情報 より
飛鳥時代、中臣鎌足によって造営されたというも定かではない。
 なお、本殿正面には、キリシタン灯籠があり、口碑では「マリア観音」という。
詳しい伝来は不明であるが、全国各地に同型の燈籠や竿部分が残るようである。おそらくこの地にも隠れ切支丹がいたのであろうか?
2024/11/24撮影:
 日野萱尾社拝殿     日野萱尾社本殿1     日野萱尾社本殿2     日野萱尾社本殿3     日野萱尾社本殿4
 日野萱尾社本殿5     日野萱尾社本殿6     日野萱尾社本殿7     日野萱尾社本殿8
GoogleMap より転載
 萱尾社切支丹燈籠


山城鴨長明方丈跡

○「新撰京都名所圖會 第5巻」竹村俊則、白川書院、昭和38年 より
 法界寺より住山道を上ること700m、渓流のほとりに大きさ丈余の石があり、方丈石・千人石とも呼ぶ。
山腹には「長明方丈石」と記した石碑があり、裏面には巌垣彦明の撰文による銘がある。
口碑によれば、鴨長明が「方丈記」を著した所はこの付近と伝える。
 長明は元賀茂社の神官であり、和歌・琵琶に優れ、後鳥羽院に認められ和歌所の寄人となるも、父の跡(※※)を継ぐ神官には昇進出来ず、齢50に至り出家遁世し、(※洛北)大原山に隠棲する。
 (※※)父は下賀茂摂社河合社(ただすのやしろ)の祢宜であった。
平安末期と鎌倉初期の混乱と動乱を体験し、自己の不遇と貴族層の没落に、世の無常を通関し、やがて日野の外山に一宇の草庵を結び、ここで「方丈記」を著す。
その閑居の有様は「・・・廣さは僅かに方丈、高さは7尺が内なり、東の3尺余の庇をさして芝折りくぶるよすがとす・・・」とある。
「南竹の簀子を敷き、その西に閼伽棚をつくり、北によせて障子をへだてて阿弥陀の絵像を安置し、そばに普賢をかき、前に法花経を置けり。東のきはに蕨のほどろを敷きて、夜の床とす。西南に竹の吊棚を構へて、黒き皮籠三合を置けり。すなはち和哥管絃往生要集ごときの抄物を入れたり。かたはらに琴琵琶おのおの一張を立つ。いはゆる折琴 継琵琶これなり。仮の庵のありやうかくのごとし。」
とある。
長明はこの地にあること5年、建保4年(1216)齢64歳で没す。墓は現在明らかにせず。
2024/11/24撮影:
 鴨長明方丈石11     鴨長明方丈石12
 鴨長明方丈石票柱
  朽ちかけた標柱がある。「方丈記跡■■■■處標」「大幅光寺本方丈記原本保存地/京都府船井郡丹波町下山 探訪・・・」とある。
 鴨長明方丈石13     鴨長明方丈石14     鴨長明方丈石15     鴨長明方丈石16     長明方丈石・石碑
◆鴨長明方丈記写本:大福光寺本(重文)
 方丈記の最古の写本は丹波大福光寺が所有する。
 大福光寺所有の「紙本墨書方丈記」は鴨長明が建暦2年(1212)に著した「方丈記」の写本で、方丈記の写本としては最古に属する。
長明の自筆本とされる。現在は京都国立博物館が保管。
○「京都案内人のブログ>続・鴨長明のこと より転載
 方丈記写本:大福光寺本:大福光寺蔵
◆下賀茂社復元鴨長明方丈
 近年山城賀茂社神宮寺跡に長明の方丈が復元されている。
2025/02/11に神宮寺址を拝見、長明の方丈も実見する。
但し、2025年の写真はまだ当該ページに未掲載である。(近日中に掲載予定)


2025/11/15作成:2025/11/17更新:ホームページ日本の塔婆