古代の建築物の表記法について
平安期には現在の桁行○間・梁間○間の表記法とは違って、 正面から見た身舎(もや)の柱間で建築規模を表記する。
例えば「1間四面堂」とは1間四方の身舎に四方に庇(ひさし)が廻る平面を持つ堂を言う。 平面図で示せば下記のとおりである。 黒丸が柱、身舎は仏像を安置する区画、庇は仏事を行う区画。 代表例は鞘堂の中の平泉金色堂がある。 現在の表記で言えば方4間の堂、もしくは桁行4間梁間4間となる。 著名な京都蓮華王院本堂(三十三間堂)は、この表記法で表現すれば、33間四面堂ということになる。 (現在の表記で言えば桁行35間梁間5間の規模ということになる。) したがって三十三間堂を正面から見ると左右の庇分1間づつが加わって35間(33間ではない)である。 (三十三間堂は堂の規模が大きいので身舎の奥行も3間ある。身舎は33×3間)
白川金色院跡で検出された堂は上記の1間四面堂に孫庇を付加した堂である。 播磨・鶴林寺太子堂(天永3年<1112>再建・国宝)と同一形式の堂である。 ( 播磨鶴林寺 ) 平面図で示せば下記のとおり。 白川金色院跡第4回及び5回発掘調査報告のページを参照。 2001/09/01撮影: 播磨鶴林寺太子堂1 播磨鶴林寺太子堂2 2004/09/18撮影; 播磨鶴林寺本堂太子堂 同 太子堂1 同 太子堂2 同 太子堂3 2010/11/14撮影: 播磨鶴林寺太子堂11 播磨鶴林寺太子堂12 播磨鶴林寺太子堂13 播磨鶴林寺太子堂14