淡  路  成  相  寺  多  宝  塔

淡路成相寺多宝塔

擁護山成相寺概要(淡路成相寺)

仁治4年(1243)高野山大伝法院の争乱で高野山悉地院実弘上人が淡路に配流されたとき、高野山に模して建立したと云う。
但し、貞応2年(1223)の「淡路国大田文」には寺の名称が記載されているので、それ以前に創建されていたとも考えられる。
本尊薬師如来立像(像高156.2cm一木彫・平安初期・重文)、伽藍絵図(室町後期作・県文)、石盤(応永23年<1416>・県文)などを残す。
往時は大慈院、遍照院、明王院、長福院、善如院、真栄院、影仙院などの坊舎があったと云う。
永禄年中に壇越であった細川氏が滅亡しその後衰退する。元禄年中に本堂・大日堂のみとなり、中門も礎石を残すのみとなる。
その後やや堂宇が復興され、現在は大門(西方にかなり離れて建つ)、中門、金堂、大日堂、成相三社明神(天野・熊野・金峯三明神)などが現存する。

淡路成相寺伽藍絵図:淡路成相寺蔵

「淡路の歴史と文化」兵庫県立歴史博物館、「淡路の歴史と文化」展実行委員会、2000.4 より転載

淡路成相寺伽藍絵図:左図拡大図 :推定室町期

左下は南大門、門前に石盤と五輪塔形町石がある、右下は中門、
中央左は本堂、右は多宝塔、本堂後は御影堂(弘法大師安置)、
左上は三社明神、右上は奥の院と思われる。


成相寺伽藍絵図多宝塔:多宝塔部分図

図で見る限り、下重3間と思われ、この意味でこの塔は多宝塔であったと思われる。
なお、軒下を荘厳する。即ち
上下重の四隅には「鐘」(風鐸もしくはかなり大型の鐸)を釣る。
また、上重四隅の「鐘」の内側には、「木琴」を釣る。
 ※軒下荘厳:(木琴)の例は以下が知れる。
 ◇塔荘厳具としての「木琴」は石清水八幡宮護国寺琴塔が著名である。
 ◇近年では、平成再興塔(復古塔)である大和竜蓋寺(岡寺)三重塔に琴を釣る例がある。

淡路國名所圖會

○「淡路國名所圖會」に見る成相寺
  ※「淡路国名所圖會」暁鐘成(木村明啓)編纂、明治26年刊(嘉永4年成立)1893成立(1851刊)
2011/05/10追加:

淡路国名所圖會・成相寺:左図拡大図

下に掲載の図と同一である。

擁護山成相寺(真言宗)本尊瑠璃光仏:
「大日堂(本堂の左、上の方にあり。大日如来を安ず。いにしへ大塔の本尊なりといふ。運慶の作なり)・・鐘楼・大門・・・・
寺説にいふ、・・仁治4年、高野山の僧実弘法師淡路国に配流の時、高野山を模して堂塔を成相谷に建立し、擁護山成相寺と号す。
金堂・大塔・大門・中門・護摩堂・釈迦堂・大日堂・聖天堂・祖師影堂等巍々たりしこと、当山伽藍の古図に見えたり。
今なお礎石ここかしこに遺れり・・」
いにしえには大塔(?・大日如来を本尊とする塔)が存在したと伝える。
 擁護山成相寺:この図の向かって左の大日堂のある場所が、かって大塔 のあった場所とも推測できるが、確証を得ている訳ではない。
 成相寺大門・三社明神

塔(多宝塔)跡・・・推定

大塔(多宝塔)跡については、未確認でありかつ全くの推定であるが、上記「淡路名所圖會」の大日堂のある場所の可能性が高いと思われるがどうであろうか。
もし現大日堂基壇が大塔基壇をそのまま踏襲しているとすれば、その規模賀小さいことから大塔は多宝塔であったと思われる。
 淡路成相寺大日堂1      同        2      同         3      同         4      同         5
  同       大門      同       中門


2006年以前作成:2011/05/10更新:ホームページ日本の塔婆