応急仮設住宅へ入居

   郵便物の受け取りは、避難所や「全壊判定」の自宅に配達では確実性や安全性が不安なので、
   一週間に一度 渡波郵便局に直接出向き、身分証明書を提示して局舎で受け取ることにした。
   この方式で仮設住宅入居まで続けた。 その後、郵便物は、仮設住宅に転送をお願いした。
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   避難所(渡波小学校)で二か月半過ごした後、自宅で一か月余り生活した。 ***
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  大津波から4か月ばかり後 応急仮設住宅入居当選の通知が郵便で届いた。
  -->石巻市 開成応急仮設住宅 (自宅から8キロメートルほど離れている。 私にとり不案内の地区)
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  石巻市役所五階 市民広場で 仮設入居の説明会へ出席する。
   
   宮城県知事との仮設入居二年間の契約書二通を記入作成し提出する。
   一通は宮城知事用、もう一通は自分用のはずなのだが、どちらも市役所に回収された。
   開成地区の場所の説明がなかった。 建築課で地図のプリントをもらう。 
   東北電力、ガス会社、水道局、NTTの職員が来ていた。 会場でそのまま 電気、ガス、
   水道の申し込みをする。 この点は大変市役所の手際が良くありがたかった。
   NTTの光回線開通は急いでいるが当分の間できない。 普通の電話回線は短期間に設置可と。
   みやぎ生協の買い物代行サービス、巡回販売バスの説明を受ける。 
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ボランティア団体 オンザ ロード へ引越しの手伝いを電話依頼する。   
   2011年7月25日 に引越しをすることの予約をする。
   オンザロードの引越し電話受付係の 「承りました」 の言葉に感激した。
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オンザロードの「引っ越しの手伝い」の活動を何で知ったか?
   オンザロードは、石巻市役所渡波支所と渡波公民館の共通敷地内に震災初期から常駐していた。
   公民館講堂の外の壁に「引っ越しの手伝い」の案内の貼り紙があり、常駐の受付係の人から
   説明を受けたからである。 受付係は、千葉県の木更津出身で、若い(20歳ぐらいの)受付係に
   ぴったりの愛嬌のある女の人だった。
    オンザロードが開催した渡波小学校での「渡波元気祭り」写真の中に写っている。
   この女の人の笑顔と姿は今も記憶に残っている。
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無料の手伝いなのに約束の日を間違えては申し訳ないと思い、
   引越し数日前に日程確認の電話をオンザロードへ入れた。 

   「間違いありません。 大丈夫です。 安心してください。」 との声でほっとした。
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小さなトラックに荷物を積んでいただき引越しをする。 
   荷物は、自転車とパイプ椅子、食器と食料少々と着替えなどを入れたみかん箱、

   文房具、ノート、本、着替えなどを入れたみかん箱、 毛布などを入れたみかん箱 計3箱
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開成応急仮設住宅へ着くと、仮設の右隣り、左隣りの住人の出迎えを受ける。
   オンザロードのボランティアの人は、4人といっしょに記念写真を写す。
   ボランティアの人にお礼に こうせん(麦こがし)、りんご、お菓子を少々 手渡す。
   (数ヵ月後、現像した写真がポストに手投函されていた)
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左隣りの住人(同じ世代)が部屋の中を見せて欲しいと話すのでそのようにする。
   きっと仮設住宅では、隣の物音が聞こえるはずなので、部屋の構成を見てもらっておくことは
   ちょうど具合が良いと思った。 初対面なのに率直に話す人なので良い印象を受けた。
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ノートを見ると、オンザロードの電話受付係は、 いまむら(女)さん、 同じく引越し運転、運送の手伝いは、
   いのうえ(滋賀県)、まゆ子(神奈川県 座間、横浜)、ひらかわ(福岡県福岡市)さんの三人であった。
   いのうえ さんは、長い期間ボランティア活動をしているので、班長とか大将と呼ばれていると。
   まゆ子 さんは、ボランティア活動を始めてまだ間もない。
   ひらかわ さんは、遠く九州、福岡から石巻に来たばかりで初めての活動であると。
   オンザロードの電話受付係の いまむら(女)さんの 無料の引っ越し手伝いなのに
   「承りました」 の声、その声の響きは今も忘れない。
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仮設住宅室内には、洗濯機、冷蔵庫、電子レンジ、テレビ、電気炊飯器、電気ポット (日本赤十字社から)、
   水洗トイレ、台所、ガスコンロ、換気扇(台所の右上)、給湯器とお風呂、エアコン、
   ガス漏れ検知器、煙検知器(天井)、小さな赤い消火器 (仮設住宅に付属)
   布団二組 (ジャネットから)、 そして、
   ご飯茶碗、お椀、湯飲み茶碗、はし、缶切り、ノート5冊、メモ用紙、ボールペン10本、
   サインペン、爪切り、裁縫セット 置時計 など (イオンから)
   が備え付けられていた。 
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自分の予想を超えたりっぱな室内装備に驚いてしまった。
 
これからも日本では大災害が何度もおこるだろう。 そのとき、いつもいつも、このようなりっぱな住宅装備を
避難者に提供できるだろうか? 提供したくても提供できない時代もあるのではないかと思った。
大災害にみまわれてしまったが、それでも、まあ、よい時代に大災害に遭ってしまったかもしれない。
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