応急仮設住宅団地の様子

ボランティアの人が仮設団地に来られるが、
仮設団地の全体的な様子を知らないようながする。
(2016年2月現在)

1. 隣の世帯の生活音がきこえる
    応急仮設住宅の外壁の厚さはおよそ 9 センチメートルです。 壁には硬い発泡スチロールが入っています。
    鮮魚用の発泡スチロールの材質よりも硬質の発泡スチロールです。  
    (仮設住宅入居初期にガス中毒防止のため床からすぐ上に
     通気用の直径10センチメートルほどの円形の穴あけ工事が行われた。
    その際に物差しで外壁の厚さと中味を調べた。 外壁の厚さは9センチメートル。)
    世帯間の壁の厚さは推定5-9センチメートルです。
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    その後調べたところ上記記述のの訂正の必要が生じました。(2018年3月)
    外壁の厚さは、およそ9センチメートルで発泡スチロールではなくて、
    ポリイソシアヌレートフォームが入っている。
    世帯間の間仕切壁は、厚さが59ミリメートル(両側に厚さ9.5ミリメートルの石膏ボードがあり、
    40ミリメートルのその間の隙間に断熱材のグラスウール(厚さ10ミリメートル)が入っている。
    三世帯毎に準耐火界壁(耐力壁)仕様となっている。 時間があるときにもう少し詳しく書きます。
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    どのぐらい隣の世帯の生活音が聞こえるか?
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    A. 隣家の人が電話をかけているとします。 お話の細かい内容まではわかりませんが、話し言葉の様子から
       電話のお相手が、家族、兄弟、親類、友人、市役所への問い合わせ、ボランティアの人との打ち合わせ、
       電気屋さん、ガス屋さんの区別ができるほどには聞こえます。
    B. テレビの放送内容まではわかりませんが、何チャンネルを視聴中であるかはわかります。
    C. 電気洗濯機の音が聞こえます。
    D. 電気掃除機の音が聞こえます。
    E. 今外出するところであるか、帰宅したところであるかわかります。
       現在在宅中であるか、外出中であるかわかります。       
    F. 小学校低学年、幼稚園、幼児の世帯の隣に住む人は、音に関して
       とくにたいへんであると聞いています。 
    G. 隣のお年寄りが早朝5時ー6時からガタゴトと活動を開始する。 お年よりは朝早く眼が覚める。 
       隣なのでゆっくりと休むことができない。 我慢ができないで応急仮設住宅を出て、
       民間のアパートに移り住んでいるという女の人にお会いしたことがある。 
       (仮設住宅入居前の避難所でわたしも同じような体験がある。 太陽が昇り始めると同時に、
        まだ薄暗いにもかかわらず、36人寝ている教室の中で、声を潜めることもなく、
        3-4人の年寄りが世間話をはじめる。) 
    H. 隣の世帯が酔っぱらいの例二つ:
         1. 隣に母親と二人暮らしの土木作業員がいる。 毎日きちんと仕事に出かけ夕方には帰る。
            しかし、お酒飲みだ! 毎晩、とくに土曜日には隣近所迷惑する。 警察に相談した。 
            警察官巡回中にさりげなく声をかけてもらえることになった。 効果があり解決したとのこと。 
            ただし、効き目がありすぎて酔っぱらいがかわいそうになったとも聞いた。
         2. 遠くの仮設団地から隣に引っ越してきた酔っぱらいの声で子供の様子がおかしくなった。
            医者の診察を受けた。 「パニック障害」 であると診断された。 
            解決したかどうか不明。 
    I. トイレの水洗の音、お風呂の音(壁一つで隣と隔てているだけである):
         1. 私の両隣の世帯の音は聞こえなかった。 
            片方の隣の人に聞いてみたが、聴こえないとのことだった。
            もう一方の隣の人から聞き取り調査をしていないのでわからない。 (この隣の世帯は
            短期間で三世帯の入居退去があった。 このため聴き取りするまでに至らなかった。)
         2. すべての世帯で互いに聞こえないかどうかは不明。
            聞こえても不思議でない。 仮設住宅で隣りだった方が復興住宅を訪ねて来た時に
            室内の配置図を書いてもらった。 それによると、お風呂、洗濯機、トイレがたいへん良い具合の
            音が聞こえない配置になっていることがわかった。
            一方、母親とその娘さんが住んでいた隣の世帯の場合は、当方の冷蔵庫の後ろの壁
            ひとつ隔てて洗濯機が配置してあることがわかった。 
            確かに、朝の7時になると洗濯機の音が小さく聞こえた。
            当方の洗濯機は、部屋の中央にあり、壁から離れていた。 朝8時半以降の昼間に洗濯をした。
    J. 床を通して隣の物音、足音が聞こえてくる。 
       仮設住宅は、木柱の土台の上に隣と共通の一枚の床でできている場合がある。
       市役所の職員によるとこの相談が多かったと。 幸い私の室内では
       床を通して隣世帯の音が聞こえてくることはなかった。 子供のある世帯はなかった。
    K. B.C については、間(あいだ)に一部屋があると音のレベルがかなり低くなる。

    L. 隣の世帯がボランティア団体と交流のある世帯: 
       ボランティアの人がたびたび訪れて夜遅くまで酒を飲みながらおしゃべりをする。
       なんとか静かにしてくれるように市役所に13回通い相談した。 市役所の職員は、
       2回ほど電話で相手に対し注意喚起をしてくれたとのことだが、効果はなかった。 2年半悩まされた。
       このようなことがあったので、仮設住宅のことはもう想い出したくない、と。
       以上は、仮設住宅で5年間生活した人から、復興住宅団地の集会所で聞いたお話しである。
       ボランティアで遠くからやって来るのは良い。 しかし、応急仮設住宅の室内で酒を飲み、
       夜おそくまでおしゃべりをするのはダメだ。 応急仮設住宅の間仕切り壁は、
       そのようなことに耐えられる構造にはなっていない。 このことをはっきりと認識して慎むべきだ。

    M.  隣の世帯が暴力団員:
       最初の年度末の仮設団地自治会の集まりで、若い夫婦から相談があった。 隣が暴力団員で、
       いろいろ問題が出た。 (問題の具体的内容の話はなかった。) 会うと凄まれる。 警察に相談した。
       警官に立ち寄ってもらえることになった。 しかし、暴力団員は、警官だとわかると玄関に出てこない。 
       どうしたらよいか相談があった。 相談役として出席していた他の仮設団地自治会の会長が、
       それには良い方法があるので、後ほど教えます、とのことでその場は収まった。 
       解決したかどうかは不明。 このようなことは避難所でもあった。 暴力団員とおぼしき家族は
       口が達者である。 当然の常識的なことを言いつつそれを根拠に勝手な論理を使い、非常識なことを行う。
       そして正当化する。 周辺の者は見て知っているのに無関心を装う。 声をあげる勇気のある者は
       まずいない。 当事者は孤立する。 一般の人には手におえない。 
       警察は 「犯罪にならないようなこと」についても積極的に普通の人を支援していただきたい。
     

2. 夏は暖房、冬は冷房の仮設住宅 (仮設住宅住民の表現です)
    仮設住宅の室内には、住宅の構造となる鉄骨の柱が3-4本がむき出しの状態で在(あ)る。
    鉄骨は焼付け塗装したものだが鉄骨そのままなので、夏は熱い鉄骨が室内にあることになり、
    冬は、外の寒さと同じ冷たい鉄骨が部屋の中にあることになる。 このことを指す。
    実際に真夏、真冬に室内の鉄骨の柱に触ってみた。 まあ、いつでも触れるのだが・・・。
    真夏: 熱いというほどではないが暖かく感じる。 真夏に鉄板を触った時のひんやりとした感触はない。
    真冬: 野外に置いた鉄板を触った時のような冷たさはないが、たしかに、冷たーい!
    屋根は鉄板: 夏は手で触れないほど熱くなる屋根の下で暮らす。
    冬は、凍えた鉄板から降りてくる冷気に包まれて暮らす。 最初の冬になり布団を二枚敷き寝るが、
    背中の床から体温を吸い取られるような寒さだ。 朝方は寒さで繰り返し眼が覚める。 そこで
    布団に背中を着けずに体の側面を交互に着け寝た。 誇張表現ではない。
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    その後、畳の設置(居間のみ、上はイグサだが中は発泡スチロールの畳)、
    風除室、窓の二重化(南側のみ)、外壁(片側)に断熱材を入れる改修工事があった。
    床下と地面の間に風が通らないようにゴムの風除けカーテンの設置(上下水道の凍結防止、効果が有り
    凍結回数減少、(いったん凍結した後の水が出るようになるまでの)凍結期間の短縮)があった。
    窓の二重化と断熱材入りの壁は特に効果があった。 改修結果、個人的には自宅よりも仮設の方が暖かいと
    感じるようになった。 元の自宅は木造のトタン屋根で壁には断熱材が入っていない家であるせいもある。 
    ただし、私の意見は仮設住宅の中ではどうもかなり少数派のようだ。 だからあまり大きな声では言えない。
    近所の大工さんの奥さんによると、「あらー(そうなの、・・・)! 床から冷気が伝わってきてとても寒い。
    寝ていられない! 電気毛布を使っている。」 とのことである。

3. 津波前の元の町内の世帯が集まっているのですか?
   市役所の当初の方針は、そのはずでしたが、実際はそうはなっていません。 私の場合、
   仮設の隣近所は39世帯です。 元の同じ町内の世帯は1世帯だけ。 そしてもう1世帯は、
   別の町内だが500メートルほど離れた1世帯。 近いと言えば以上2世帯のみです。
   そのうち1世帯は奥さんの顔を見たことはあるがこれまでお話をしたことはない。 
   家の場所は教えてもらってはじめてわかった。 もう1世帯についてはそういえばそのような形の
   家があったと知っている程度のお宅であった。
   そのほかは数キロメートルから10キロメートル以上離れている世帯です。 
   市役所は、元の町内のコミュニティを保つようにと努力したとは思いますが実現しませんでした。

4. 仮設住宅団地の各世帯の名簿は配布されていますか?
    個人情報保護とのことで市役所は、各世帯の情報(世帯主名、家族の人数)を明らかにしません。
    名簿も配布されていません。 団地内で仮設退去、入居があっても隣近所以外はわからない。

5. 郵便ポストに名前を書き入れている世帯は5割以下、その他は空白のままで表札もない。
    郵便ポストについてではないが、
   2014年12月 「ある事項」 について、各世帯を訪問して調べたことがあった。 退去した世帯もあるので
   団地39世帯のうち26世帯を訪ねた。 3年も経過しているので、顔ぐらいは全員見覚えがあるはずと予想したが
   そうではなかった。 6世帯がはじめての人だった。 もっとも驚いたことは、隣の世帯の名前を知らないまま
   暮らしている世帯があることだった。 「通路や駐車場で挨拶はするが、名前までは・・・(聞いていない)」
   とのことだった。 
   調査事項以外に熱くお話をする世帯もあった。 世帯ごとに大震災、避難生活の物語(ものがたり)があるようだ。
   また、そんなことは自分とは関係がないんだよ、(はやく帰れ) と話す世帯もあった。 

6. 応急仮設住宅団地の炊き出しやイベントに参加する人は何割 ぐらいだろうか?
   
   1年目は多かった。 2年目になると仕事に出かける人も多くなったので少なくなった。
   参加者は、39世帯のうち1人から7人くらい。 「ああいうこと(イベント)には出ないことにしているんです」、と
   はっきりとおっしゃる方もいる。  「体が弱いので風をひかないように人混みには出ないようにしています」と、
   話す人もいる。 イベントを知らせると 「ありがとう」とは言って下さるが、参加することのない人もいる。    
   団地の会合に出席せず(出席する世帯は5割以下)、団地の談話室にも足を踏み入れず、ボランティア団体の
   炊き出しにも、イベントにも参加しない人が少なからずいる。
   それぞれ人により方針や信条があるようだと感じる。 他の人の考え方はなかなか窺い知ることができない。     

7. 支援物資の配布はもうない 
    2014年6月頃韓国共同募金会からの支援として、ごみ出しに使うビニールの袋60枚が配布された。 
    これで最後だと思ったのですが、その後、2015年1月13日に、再び、
    韓国共同募金会からの日用品の支援として、ゴミ出しに使うビニールの袋60枚が、
    石巻市社会福祉協議会の人の手によって配布された。 これ以降、2015年11月現在まで
    支援物資の配布はない。
    

. 仮設住宅団地の集会所でのイベントは 二分の一から四分の一に減少している。(2014年現在)

   2015年9月19日(土)から23日(水)の5日間の連休の間、開成の仮設住宅団地で開かれた
   イベントはゼロであった。 ボランティア団体の人の姿も団地内で見かけなかった。
   (直前、栃木、茨城で大きな水害があった。)
   これまで連休になれば、どこかの団地でイベントがあったものだが、仮設住宅団地入居以来、
   連休中イベントがゼロは初めてのことである。 ついに4年半、このような日が来たかと感慨をおぼえた。

   2015年11月現在、開成の各13の団地、南境の各7つの団地の掲示板を探すならば、
   お茶会のような小さなイベントがどこかで行われている。  私は、でかけたことはない。
   

9. 仮設住宅団地のおよそ2割が空室となっている。 
   (2014年1月石巻市の発表による。 石巻市全体ではおよそ600室が空室)

   家を修理した人、新築した人、借り上げ型の復興住宅に引っ越しして退去した人などにより、
   空室が出るようになった。

5. 来年(2015年)の5月頃に完成する一部復興住宅入居の抽選会が行われた。
   およそ四分の一の家庭が当選した。 残りの四分の三の家庭は「落選」通知を受け取った。

   現在2015年8月20日締め切りの第2次募集中
   どこの復興住宅に応募するか頭を悩ませている。
   団地の人が顔を合わせるとこの話になることが多い。

6. 無料の買い物バス(マイクロバス)の運行回数が2014年4月からおよそ半分となった。
   南境、開成、大森各仮説団地の近辺にはスーパーマーケットがない。 
   個人商店の八百屋、魚屋、雑貨店がない。 一店もないのだ。
   コンビ二は、開成仮設入居時、近くに一店あった。 その後二店新規開店した。 合計三店となった。
   どの店も歩いて5分から10分の距離にある。 しかし、毎日コンビニを利用するわけにもいかない。

   開成の住宅団地から近いスーパーマーケットは、宮城生協大橋店(自転車で13分ほど)と
   ヨークベニマル中里店(自転車で20分ほど)である。 自動車もなく、自転車にも乗れない
   一人暮らしのお年寄りには買い物がたいへんだ。
   大森仮設団地は、開成仮設団地のさらに二倍遠くの距離にある。
 
   そこで無料の買い物バスが運行されるようになった。 仮設住宅入居初期のしばらくしてから運行が開始された。
   買い物バスは、宮城県の予算でヨークベニマル中里店に運用を委託して内陸のバス会社が運行した。
   (正確な事情は知らない。)  大森団地発ー>開成団地ー>南境団地
    ー>大橋団地ー>終点ヨークベニマル中里店
   このバスはみやぎ生協大橋店の前を通過するだけで停車せず終点はヨークベニマル中里店だった。
   だれも苦情を言わなかった。
   
   特に、雨の日、風の強い日、台風接近時の天候不良の日、大雪の日、
   その後道路の雪が融けるまでの三日間は、無料の買い物バスが便利だった。 
   わたしも何度も無料の買い物バス(マイクロバス)を利用した。
   補助席も含めていつも70-100パーセントの高い乗車率であった。
   終点のスーパーマーケット入り口に着くと皆、ありがとう、とお礼を言いながら降車した。 

   2014年3月末宮城県の予算による運行は終了。 その後、仮設住民利用者の要望に応えて
   ヨークベニマル中里店のサービスで(お金で)運行が継続された。 
   (ただし、私は、要望を出していない。 継続された事情についても知らない。)
   2015年4月30日(木)無料の買い物バスの運行がすべて終了した。
   一人暮らしで自転車にも乗らないお年寄りはその後どのように買い物をしているのか知らない。
   みやぎ生協による買い物代行サービスもあることはあるが、・・・。

   これとは別に宮城交通バスによる、市民バス(100円バス)もある。
   なぜか市民バス(100円バス)の利用者は非常に少ない。 
   市民バスの回数が少なく、ルートが不便だった理由もある。
   遠く蛇田のイオン近くまで行き(実際にはバス停からさらに10分ほどイオンまで歩かなければならない)、
   石巻駅前までもどり、開成の仮設団地に帰るルートで1時間近くかかる。
   宮城生協大橋店の停留所はあるが、ヨークベニマル中里店には15分ほど歩かなければならない。
   普通、逆周りルートで帰る。 回数が少ないから乗り遅れると大変だ。
   市民バス(100円バス)は一日2回だけになってしまった。 現在も運行している。   

9. 仮設住宅の良い点 --- 家賃、町内会費がゼロであること。 

    駐車場料金もゼロである。 一世帯に一台分の駐車スペースが割り当てられている。
    町内会費(集会所、談話室の光熱水道代、団地内街灯の電気料金)の徴収がない。
    仮設住宅入居直後町内会費相当額を当然集められるものと思っていた。 しかし、そうではないことを知って
    内心非常に驚いた。 そしてこの4年半の間たいへん助かった。 
    当然であるが、上下水道、電気 (プロパン)ガスなどの料金は、一般家庭と同様に各家庭が支払っている。

    仮設住宅入居直後団地内に街灯がなかった。 団地の入り口、長屋の両端、駐車場が暗かった。
    数ヵ月後に2灯設置、さらに半年から1年後2灯設置されて明るくなった。
    
    仮設住宅からみやぎ生協大橋店までの2キロメートルの道路沿いに一般住宅はない。
    そのうち、仮設住宅側から最初の信号機までおよそ1000メートルで、その間の区間には街灯はゼロであった。 
    夜の6時、7時頃自転車で通過するとまるで宇宙遊泳をしているような気分だ。
    およそ1年後中間地点に交通信号機とそのそばに街灯が設置された。 それから半年後
    出発地点側にもうひとつ設置されて、無灯の区間が500メートル+250メートル+250メートルになり
    なんとか安心できるようになった。
    設置までの間、巡回訪問の警察官に街灯設置を個人的に数回訴えた。
    たぶん私以外の人、団体からも街灯設置の要望があったはずと思う。 
   
10. 仮設住宅団地の集会所で開かれるイベントに集まる人々

 A. 「絆(きずな)」 という言葉は、応急仮設住宅団地内でどのくらい使われているのだろうか?
    仮設住宅入居以来 「絆(きずな)」 という言葉を使う人を耳にしたのは 4-5回 である。
    1年間に4-5回ではなくて、仮設住宅入居以来およそ4年半の間に 4-5回 である。
    どんな場合に耳にしたか? 仮設団地の拠点センターや集会所で
    イベントが始まるまでの間のおしゃべりの中で耳にした。
    みやぎ生協大橋店の店内でしばらくぶりに会ったらしき二人の主婦のおしゃべりの中で耳にした。 
    店内の通路や店の外の入り口付近で長い、長い立ち話をする人を頻繁に見かけた。
    本当にかなり頻繁に見かけた。 
    避難所生活がたいへんだったこと、子供の通学、夫の現在の通勤先、同居しているおばあさんの様子など・・・。 
    たいがい40代前後の主婦であった。 60-80歳の女の人同士のおしゃべりの中で耳にしたことはない。
    男同士の話の中で 「絆(きずな)」 という言葉を耳にしたことは一度もない。

    「絆(きずな)」 が意味しているであろうものとは関係がないのだが、それでは、隣近所の人と
    仮設住宅の駐車場や、拠点センターで挨拶がてらお話をする場合に、よく登場する単語は
    何だろうか? それは 「市役所(しやくしょ)」 だと思う。 いろんな申請書をたくさん提出した。 
    市役所に出向き、あるいは電話で何度も問い合わせをしているからである。 市役所に問い合わせればだれでも
    同じ回答がえられるはずと普通考える。 たしかに、戸籍謄本、住民票 などについてはそうである。 
    ところが、仮設住宅入居申し込み期限、辞退後の再申し込みの可否、再申し込み後の優先順位、
    入居期間の期限、敷地内ガレキの搬送時期、搬送締め切り日、その他いろいろ、最近では、
    復興住宅入居申し込み、当選後の辞退、再申し込み方法、退去の手続き、退去時の
    立会い(検査)の方法 などではそうではない。 各世帯ごとに事情、条件が異なるせいもあるが、
    市役所で聞いたらこうだったということで様々な情報がとびかう。 
    それで「市役所(しやくしょ)」 という単語がたくさん使われる。
 
    「絆(きずな)」 という言葉は、東日本大震災の(石巻市開成)応急仮設住宅団地の人々の日常語ではない。
    「絆(きずな)」 という言葉は、メディア従事の人が仮設住宅の状態を
    まとめて表現するために便利な言葉なのだろう。

 B. 歌 「花は咲く」、「ふるさと」 は、応急仮設住宅団地内でどの程度 歌われているのだろうか?
    -
    避難所の渡波(わたのは)小学校の体育館でボランティア団体の歌う会が数回開かれた。
    体育館で生活する人で空席がないほどの中で行われた。 上を向いて歩こう、見上げてごらん夜の星を 
    が歌われた。  韓国の歌手は韓国の歌を歌った。 その他どんな歌が歌われたか今おもい出せないが、 
    歌を歌う人はかなり注意を払って選曲をおこなっていると感じた。 そのことが今でも記憶に残っている。
    避難者の中から積極的に特定の歌を歌おうという様子はぜんぜんなかった。 避難所の中では避難者は
    まったく受身の状態でその場にいるだけのように見えた。 だから、歌 「ふるさと」、「上を向いて歩こう」、
    「見上げてごらん夜の星を」 は、イベントを開く人たちが考えに考えた末に選曲した歌であると思う。

    仮設住宅入居1年目、ボランティア団体の支援のもと団地の集会所で3-4回カラオケ大会があった。
    歌われたのは演歌だ。 にぎやかな歌もあった。 ふるさと、上を向いて歩こう、見上げてごらん夜の星を など
    静かな曲はなかった。 どの歌は歌わないようにしようと控える雰囲気はまったくなかった。 
    団地内の人は好きな歌をカラオケのメニュから自由に選んで歌った。 この様子を見て、
    これまで歌のイベントを開くボランティア団体の人が、歌う曲目を苦心をして選んでいる様子だったので、
    我々のためにたくさん気を使っていただいて申し訳なく、ありがたく思った。 当時まだ 
    「花は咲く」 は生まれていない。

    1年後以降、ボランティア団体がイベントを開き、プリントした歌詞を配布する。 主催者側に中学生、高校生、
    大学生などの若い人がいる場合は、AKB48の歌やアニメソングを歌う。 
    主催者に促されて歌う後半は、たいがい
    「花は咲く」 で、最後に 「ふるさと」 を歌ってお開きになることが多い。 
    主催者側に本格的な歌い手がいる場合は、持ち歌を歌い大いに盛り上がって終わる。 
    参加者から自発的、自然発生的に 「花は咲く」 や 「ふるさと」 を歌い始めることはなかった。 
    誰か歌ってください!との呼びかけに応えて歌われるのは、
    「大漁唄い込み」、「さんさ時雨」、「秋田長持唄」、「宮城長持唄」、「秋の山唄」など民謡が多い。 
    参加者は、30、40才代は少なく、60、70、80歳代が主であるせいもある。


9. その他 --- 「仮設住宅に住む世帯だけが優遇されている」 に対する反論

    大津波避難者(世帯)は、1.全壊、 2.大規模半壊、 3.半壊 の3種類の「罹災証明書」により分類される。
    「罹災証明書」は、石巻市長が発行する。 半壊以上の罹災証明書があれば、希望により仮設住宅に入居できる。

    避難者(世帯)の現在の住まいによる分類は、1.自宅(修理、新築)、 2.仮設住宅、 3.みなし仮設(民間アパート)、
    4、遠隔地避難(他市町村、県外)、 5.借り上げ型の民間の復興住宅(少数)、 6.復興住宅(H27年以降順次完成、
      入居の予定) などである。

    公的機関は、それぞれの避難者(世帯)に対し、平等になるように支援しているはずです。 けれども、
    遠隔地避難(他市町村、県外)者 よりも 仮設団地の人の方が支援を受けやすいことは確かである。

    少なくても次のことは言えます。
    「仮設住宅世帯だけ」 に対する、公的な支援物資の支給、公的な定期的、不定期的生活支援金の支給は一度もない。 
    
    ボランティア団体による特定の仮設住宅団地(世帯)に対する現金の配布は一度もない。 新聞で読んだこともない。
    団地内で耳にしたこともない。 これからもないはずである。 (イベントを開いた長野県の人(ひとり)から
    現金の配布について質問があり意外に感じたので書きました。)

11. 70-80歳代のおばあさん連中は、イベントでやって来るジーンズなどラフな身なりの若者から友達感覚の言葉で
    話しかけられるよりも、きちんとしたスーツを身に着けた30歳前後の若い男子から礼儀正しく話しかけられ、
    静かに話を聞いてもらうとたいへん喜ぶ。 
    (応急仮設住宅団地拠点センターで開かれるイベント観察でのわたしの小さな発見!)
    会がお開きになる頃、おばあさんの方から若い人に両手をさし延べ、手をにぎり 「今日は、ありがとう」と言って別れる。
    これは、敬意をもって接していただいたと感じた時だと思う。

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12. 2016年2月 応急仮設住宅 を退去しました。

13. 退去までの4年半の間に、39世帯中3人の方が仮設住宅で亡くなった。 
      毎年、真夏、真冬の厳しい時期には、3-4度 救急車が団地に入り、具合の悪い人を運び出した。
      津波前の元の町内では、救急車が何度も通過することはあっても、近所に止まることは年に1-2回程度だったのに・・・。
      
14. 退去した後、応急仮設住宅団地 を訪れてみた(2016年度に数回、2017年7月、9月など数回)。 
    39世帯中3-4世帯が残っていた。 棟と棟の間には、背の高い草が生い茂っていた。 駐車中の車は2台のみ。

15. 2018年 私の住んだ応急仮設住宅団地 は、解体されたときいた。 

16. 2018年3月 私の住んだ応急仮設住宅団地に行ってみた。 解体されていた。 
    整地用のパワーシャベルが二台まだ敷地内にあった。 (下の写真 Fig. 1. and Fig. 2)

Fig.1 応急仮設住宅団地解体工事看板 Fig. 2. 解体が終わり整地作業中

Fig. 1. (右) 仮設住宅解体工事の看板: 解体工事は、

1.南境第一公園応急仮設住宅解体工事一式
2.南境第二公園応急仮設住宅解体工事一式
3.トゥモロービジネスタウン応急仮設住宅解体工事一式

からなるとのことです。 私が訪れた時には、(トゥモロービジネスタウン内)開成の第4、10、11、13団地などは、
解体工事は始まっていないだけでなく、人がまだ住んでいる気配がありました。 それにしても、
解体するだけでこんなにたくさん費用がかかるものとは・・・素人には驚きです。 

Fig. 2. (左) 解体が終わって整地作業中(駐車場側から写す) 水色のパワーシャベルの付近に私は住んでいた。

17. 2018年5月 私の住んでいた応急仮設住宅団地は、きれいな更地になっていた。
   開成第1、2、5、6、7、8、9 応急仮設住宅団地は、解体されて何もない更地。
   開成3、4、10、11、12、13 応急仮設住宅団地はまだ解体作業は始まっていない。 
   開成14団地は確かめなかったので不明。
   10団地では、洗濯物が窓辺に見える世帯もあった。

18. 2018年11月 開成応急仮設住宅団地へ行ってみた。
   開成第3、4、12、14団地は、現在解体作業が進行中だった。
   開成11団地は、解体作業は始まっていないが、立ち入り禁止となっていた。
   開成10、13団地は、まだそのままの状態である。
   南境第4、6、7団地もそのままの状態で解体工事は始まっていない。
   ただし、南境第7団地の石巻商業高校側の一部だけは、1-2年前にすでに解体済み。

     
 石巻市開成第3または第4応急仮設住宅団地の解体工事 2018年11月    石巻市開成第4応急仮設住宅団地の解体工事は進行中 2018年11月
   
 石巻市開成第11団地応急仮設住宅団地 立ち入り禁止の入り口 2018年11月 解体工事は、まだ始まっていない。   石巻市開成第11団地応急仮設住宅団地入り口前の解体工事用看板

新聞 「石巻かほく」 2019年12月25日号によると、
石巻市の応急仮設住宅の入居者は、一人となったとありました。

石巻市役所によると、2020年1月 石巻市の応急仮設住宅の入居者は、
ゼロ人となり、全員が退去したとのことである。


石巻市内には、7134戸のプレハブ仮設住宅が建てられ、最大1万6788人が暮らした。 
私が暮らした南境地区と開成地区には合わせて1900戸、およそ5000人が暮らした。 
(「いしのまき河北」による)
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