2011年のだいぶ以前から、金華山(牡鹿半島先の小島)沖の地震の空白域で
大きな地震が高い確率で発生する可能性が指摘されていた。 大きな地震の後は、
海岸線は隆起するだろうと予想していたのに、実際は逆で、
町全体が一様に
おおよそ70センチメートル沈降してしまった。
----------------------------------------------
大津波から2ヶ月以内のまだ岸壁に高さ2メートルの土嚢が
造られていない時期のビデオがありました。 リンクします。
どちらも私が撮影したものではありません。
場所は、私のこのページの下にある写真の
すぐ近く(100−200 メートル)です。
万石橋(まんごくばし)よりの岸壁と岸壁近くの町内です。
冠水被害の YouTube ビデオへのリンク1
(2011年5月3日頃) 満潮に近い時間帯の冠水の状況
下水道整備前のだいぶ昔、 この海に向かう道路沿って
周辺の下水を合流させて海に流す下水溝があった。
下水溝のコンクリートの蓋が広めなのはそのなごり。
このため周辺よりも若干低くなるように傾斜した地盤に造られているので、
冠水被害が他の道路よりもよりはっきりと現れる。
私は大津波から4日後、干潮の時間帯をねらい,
ビデオにある同じ道路をこのビデオの進行と同じ方向に進み
岸壁に出て、右に曲がり、入り江の入り口方向に岸壁上を自宅に向かった。
-----------------------------------------
冠水被害の YouTube ビデオへのリンク2
(2011年4月25日頃)
------------------
ビデオ1と2は、3月11日の大地震、大津波の後の2日後以降の
満潮時の冠水の状態と同じ。 干潮時は異なる。
4日目、干潮時に道路上の水たまりを避けながら岸壁まで
何とか歩くことができた。 コンクリートの岸壁は傾いている部分もあった。
私は岸壁の家並み側を足元に注意しながら自宅へ向かった。
岸壁そばの家々はたいがいコンクリートの土台だけ、家があっても一目で全壊状態だ。
昔、米屋さんの家(木造二階建て)は残っていた。 土台を高くした造りの家だ。
ただし、一階はかなり壊れている。
(ここでの浸水深は少なくても400センチメートルかそれ以上)
もう自分の家は無くなっているな、と思いながら自宅へ向かった。
--------------------------------------------------------------------------------------------