** 意外、予想外に感じていること **

3月11日以来、避難所、自宅、応急仮設住宅での生活が3年近くになる。
その間、いろんな場面で、たくさんの人から話を聞いたり耳にしてきた。

避難所の教室の中で、支援物資、無料の昼食を受け取るための行列の中で、
避難所や公民館にあった無料の公衆電話を設置した部屋の中で、
JRの電車の中で、スーパーマーケットの中で、仮設住宅の集会所の集まり、
イベントの待ち時間の中で、買い出しのための支援バスの中で

応急仮設住宅団地の中で立ち話の中で、・・・。


意外、予想外に感じているのは次の点です。

1. 3月11日の大災害の前兆現象に関する話を誰からも全く耳にしない。

「直前」の前兆現象は誰からも聞いていない。
私も知らない。
大地震が陸地から250キロメートルも離れた
深い海で開始したからとのことではあるが・・・。

3月11日大地震の前兆現象に関する
一般の人のお話を集めた出版物は
まだ一冊も出版されていないようだ。
阪神淡路の大震災の前兆現象に関する本は
何冊か出版されいるのだが・・・。

個人的に、あれは(前兆現象)だったのだろうか?と想い出すものがあるので
時間があるときに書いてみたい。

2. 3月11日の大災害は、天罰あるいは神様によるものであるという話を全く耳にしない。
津波から助かったのは神様のお蔭だ、と話す人にも出会っていない。

神様の名前を具体的にあげて、
助かったのは神様のお蔭だ、
とするお話しは、町内でも、仮設住宅団地内でも、
これまで一度も耳にしていない。

大震災以来、2016年2月の現在まで耳にしていない。

西暦869年貞観の大津波、1611年慶長の大津波の時も
被災した人々はこのような様子だったのだろうか?


3. 災害に伴う日常品の物価の上昇が全くなかった。 

むしろ、日常品の物価は下がった。

3月11日以後一か月間は、町中に
商店はひとつも、本当にひとつも、無くなってしまった。
つまり、買い物圏内にあるコンビニ3−5店、
スーパーマーケット4店(みやぎ生協、あいのや、ヨークベニマル、イオン渡波店)、
個人商店のすべて
営業ができず閉店。

お金があったとしても買い物はできなかった。
津波以来初めの一か月間は支援物資だけで生活した。
大変有難いことであった。

1か月後 イオン と 個人商店(食料品雑貨品扱い)1店が開店した。
コンビニが再開店したのは5か月後の8月である。

1500メートルほど離れた イオン に出かけてみた。
イオン では、当時の被災者が生活で必要とする物を
通常よりも低価格で販売したのではないかと感じた。

3月11日から8月の初めに仮設住宅に入るまでの間に、
被災地の外部から来たと思われる業者はもちろん、
高い値段で物品を販売する業者を一度も見かけなかった。

これも私にとっては予想外のおどろきである。

それだけ支援物資やボランティア(個人と団体)の活動が手厚かったからだと思う。
たいへん、たいへんありがたいことであった。

4. 宗教関係の宣教活動がほとんどなかった。

時間があるときに書きます。

Indexへ戻る

----------------------------------------------------------------

炊き出しがあったといっても
毎日お腹いっぱい食べることができたわけではない。

避難所によって異なるが、私の場合、ご飯を食べたのは
津波の日から6日目の午後3時頃であった。
(ご飯を食べない日が明日で1週間目になるという日の前の日)
それまでは、朝食、夕食にそれぞれ チョコのついたビスケット2個、一日計4個である。
もちろん空腹ではあるが、何かわからないが頭の中がが一杯のせいで、飢餓感は不思議となかった。
時々体がふらっとした。 


事前におにぎりが配られると予告があったので期待していた。 ところが
目の前に現れたのは一個のおにぎりの三分の一であった。
内心本当にガッカリしてしまった。 よく見ると、おにぎりは、
五目御飯であった。 そしてラップに包んであった。

おにぎりを食べた後、体が温かくなるのを感じた。 
気分も一時的に急速に爽やかになり、ほっとした気持ちになった。
教室内のまわりの人たちと、ご飯ってすごいね、力がついたね、
体が温かくなったよと言い合って、互いに笑いあった。

6月までは 普段の生活の一日全部で平均 0.8食からせいぜい1.5食であった。
7月に入り(仮設住宅に入る7月の終わりまで)石巻市から弁当が一日一個配給されるようになり、
お昼の渡波小学校校庭での炊き出しがあり2食となった。

避難所での生活から、1日1食きちんと食べるとその日一日活動できることがわかった。
その1食の中味がうどん、そば、ラーメン、プラスお菓子少々などであると力が入らないからダメだ。

応急仮設住宅に入居すると、室内に イオン からの支援物資があった。
ご飯ちゃわん、湯呑茶碗、箸、缶切り、爪切り、裁縫セット、
ノート5冊、ボールペン10本、サインペン、置時計など。
いただいたボールペンで市役所への申請書を書いた。
仮設住宅に入った一日目からどれもすぐに使い始めた。
たいへん有難かった。

もちろん全国からの義援金による日本赤十字からの
冷蔵庫、電子レンジ、洗濯機、テレビがあって驚いた。
エアコンが取り付けてあることにも驚いた。

布団も2組あった。日赤からのものだと思っていたが
4年後になって(たしか)ジャネットという団体からで
あることがわかった。 隣の人にも話した。

Indexへ戻る