宗教 関係者の動き

大津波から4年半後の2015年12月に書き始めています。 まだ途中です。
宗教 関係者の動きを書きます。 とはいえ、仏教、キリスト教などの宗教関係だけを
とりあげることはできないので、全体の中でメモ風に、個人的に知っている事実を書くことにします。
そうすれば、仮設に住んでいる者には、宗教関係者はどのように見えていたか自然と
浮かび上がってくると思う。 最後に個人的な感想を書いてみたいと思う。
-------------------------------
1. 渡波(わたのは)小学校(避難所)の 「教室」 を訪れた人たち
    避難所にいた2ヶ月半の間に、

国会議員 --- 誰も訪れなかった。
県会議員 --- 当時民主党の県会議員が一人だけ教室を訪れた。
市会議員 --- 誰も訪れなかった。

広島大学付属病院の看護婦長 --- 感染症が蔓延する前の時期だった。 
ダンボールの上に毛布を敷いた床に腰を下ろし、私の近くにいた60代後半の神経質な女の人の
お話相手になった。 20分から30分ほどゆったりとしたお相手をしていた。
たいへんありがたいことだと思った。 女の人は、「眠れない、眠れない。 壊れた自分の家にもどると
家の中にいるだけで気分が悪くなる。 家に(後片付けに)もどりたくない。」とふだん話している人だった。

私にも話しかけていただいた。 出身と所属を尋ねて上のような返事があった。 私はそれ以上のお話はしなかった。

広島大学、愛媛大学各付属病院の看護師二人が教室を訪れて血圧の測定と体調の相談、
薬の入手の相談などを行った。 10回程度はあった(正確ではない)。 医師と看護師のペアの場合もあった。

付属病院所属の整体師ではないかと思われる人とボランティアの整体師(北陸出身)の人が教室を訪れて
希望者に肩や腰のマッサージを行った。 延べ10人ぐらい(正確ではない)。 私は受けなかった。

芸能関係者 --- 淋しい熱帯魚 Wink 相田翔子 さんとタレントの Becky さんがが別々の日に教室を訪れたときいた。
テレビで見るよりも可愛い。 握手ができたと喜んでいた。 私は毎日家の片付けに出かけていたので残念ながら留守だった。

ニチイ学館(京都)の調査 --- 調査と称して、教室内で、年齢、家族構成、収入 などの調査を
   教室内の全員に互いに聞こえるような状態で
   行った。 調査の女は、各個人から同意を得ていると主張した。 調査員を廊下に呼び出し、
   たとえ個人から同意を得ているにしても個人情報を聞き出すのならば他の人に聞かれないように
   もっと工夫をした調査をするように抗議した。 

一般の人 --- 不明者を探す人、家族、親戚、友人は来た。 これ以外の
         一般の人(避難所でボランティア活動をする人を含む)は
         遠慮して教室を訪れることはなかった。

仏教のお寺の坊さん --- 一人も教室を訪れることはなかった。
キリスト教関係者 --- 誰も訪れなかった。
その他の宗教関係者 --- 誰も訪れなかった。

------------------------------------------
2. 渡波(わたのは)小学校(避難所)の 「講堂」 でのイベントに訪れた人たち
    (避難所にいた2ヶ月半の間)

キリスト教 --- 韓国の歌手が何曲か歌った。 最後に、牧師の資格を持っているが現在牧師ではない、そして
          応用化学の分野で最近仙台で学位を得たという韓国の人が日本語で簡潔なキリストのお話をした。
          最後にビニールの袋に入ったものを手渡された。 聖書を題材とした漫画の本と聖書をわかりやすく
          物語った本が入っていた。 どちらも何度かパラパラと開いてはみたがきちんとは読まなかった。
          自宅から仮設住宅へ移る時に捨てた。

仏教 --- 仏教関係者のイベントはなかった。

菅原やすのり さんの一人コンサートがあった。 教室から講堂へ聞きに行ったのはわたしだけのようだ。
   菅原やすのり さんは、テレビ出演から受ける印象とまったく同じだった。 
   歌を歌いながら私の前へ来た時に握手をしていただいた。 最後に菅原やすのり さんが編集したという
   歌の本をいただいた。  菅原やすのり さんは、宗教関係者ではないが、避難所生活で記憶に残っているのでここに記す。

-----------------------------------------------
3. 町内に於いて: 避難所を出て、自宅で生活した2011年7月29日までの間

山形、秋田のお寺のお坊さんによる足湯とお茶のサービス:曹洞宗(そうとうしゅう)
 ---> 避難所の渡波小学校から200メートルほどの所にお寺がある。 そのお寺の境内の裏門の空き地で
     足湯とお茶と菓子のサービスがあった。
    実行していたのは若いお坊さん4人ほどだった。 永平寺での修業の同級生の集まりですか? と質問してみた。
    そうではない。 お寺の関係で知り合いどうしが集まり、大きなポリタンクに温泉のお湯を入れて運んで来た、たまたまこちらの
    お寺の空き地をお借りしたと。 女の人が一人、二人足湯をしていた。 私は足湯をせずにお茶とお菓子をいただいた。
    お茶はたいへんよいお茶だった。 しばらくぶりにお茶らしいお茶をいただいた。
    若いお坊さんたちは、父親も坊さんでお寺の跡取り息子ではないかと思われるような、屈託のない雰囲気の人たちだ。
    仏様や、仏教や、宗教のお話をする様子はなかった。 お説教をする様子もなかった。

アメリカ人のキリスト教の説教師(らしき人)から声をかけられた: 2011年6月26日(日)「渡波(わたのは)元気祭り」
   (オンザロードなどによる、於:渡波小学校校庭)が大規模に開かれた。 
   一通り食べ廻って校門近くのテントの中で休んでいたところ話しかけられた。 通訳付き。
  第一問は、「あなたはこの度の大地震、大津波の大災害を神の手によるものだとおもいますか?」 と。
  聴いた瞬間、直球勝負だと思った。 すぐさま、私は、「今回の大災害は、神の手によるものではなく、
  自然現象により引き起こされたものだと考えています。 神は関与していないと思いまず。」と、答えた。 
  第二問は、「あなたは神は存在すると信じますか?」であった。 
  これも直球勝負だ! こんな直截的な質問を受けたのは初めてだ! 私は、「神は存在しないと思います。
  神が存在しているという証拠もありません。」 と、答えて、その他、若干話した。 説教師(らしき)アメリカ人は、
  「それでは、あなたは、あなたの信じる道にしたがって歩んでください。 あなたのご健康を祈ります。」と、
  手をさしのべてきたので、握手をして別れた。 最後の別れの言葉は、意見の異なる人に対する非常に巧妙な表現で、
  それだけに、あらかじめ用意された表現だと思った。 通訳によると全米でも名前の知られた人なのだそうだ。 私は英語を
  ほとんど聞き取れなかった。 全身黒い服を着ていた。 発音も含めてユダヤ系のアメリカ人のような気がした。
  

--------------------------------------------------
4. 開成の仮設住宅の 「玄関先」 を訪れた人たち

国会議員 --- 誰も訪れなかった。
県会議員 --- 誰も訪れなかった。
市会議員 --- 誰も訪れなかった。

キリスト教関係者 --- エホバの証人 仮設住宅入居直後、3度ほど訪問があった。 
エホバの証人のパンフレットをいただいた。 どの方も穏やで礼儀正しい人たちである。  
けれども、繰り返しの訪問をお断りした。 以後訪問はない。

統一教会の信者と家族が仮設住宅入居初期に2−3度訪問があった。 新聞などの報道により、
過去に問題をおこした宗教団体であることは知っている。 どちらから来たかを尋ねると
統一教会と直接答えることはなかったが、関連する別名の団体名を答えた。
宣教のためではなく、いつも複数での個人的な慰問と思われた。 玄関先に訪れた人は、なぜか
品のある人たちで、とくに、不思議に、見つめる眼の美しい人たちだった。
母親と小学校低学年の女の子の訪問があった時、小さなビニールの袋に入った慰問品いただいた。
女の子からは、お菓子を一個手渡された。 その小さなお菓子をよく見ると
市販のお菓子ではない。 それで、「これはあなたがつくったの?」と、たずねた。
女の子はちいさく、ゆっくりと うなずいた。 わたしは何かお礼を述べたと思うのだが、
どのような言葉にしたのか覚えていない。 
宗教的な話はまったくなかった。 宗教的な印刷物も入っていなかった。

その他の宗教関係者 --- 誰も訪れなかった。 天理教の 「陽気ぐらしの」 の印刷紙片が
   およそ10回ほど不定期に郵便ポストに投函されていた。 天理教徒の訪問はなかった。

一般の人の訪問 --- たくさんあった。
 1.開成団地内のイベントの案内で1−2週間に1度程度(1年目)あった。 
   (たとえば、「今日10時半から開成の拠点センターで歌と演奏のイベントがありますからおいでください。」などの
   案内を一軒一軒主催する若い人がおこなうこと: 熱心な開催者は、2−3週間前にビラを各戸へ配り、
   掲示板にビラを貼る。 さらに、2−3日前にもう一度ビラを各戸へ配り、当日若い人が一軒一軒廻り、
   イベントの案内をする。)
   3年目以降はイベント案内の訪問はほとんどなくなった。

 2.ピースボートの訪問が1ヶ月に1度程度(1年目)あった。 年々少なくなり、
   4年目の今年中は2度ほど訪問があった。 ピースボート石巻の仮設きずな新聞の配布は、
   手渡しが原則だが、たいがいポストに投函されていた。 時々玄関のチャイムが鳴り、訪問があった。

 3.なんでもよいのでお話をきかせてください、という二十歳前後の二人組みの訪問が
   これまで6−7回あった。 どのような経路での訪問なのか不明。 
   なんでもよいのでお話をと言われても困るなと思ったが、一応お相手はした。
   仮設の隣の人が団地の役員だったのですぐ隣の私がえらばれたのかもしれない。 

お寺(仏教)の坊さん --- お寺の僧侶であると名乗り仮設住宅の玄関先を訪れる人は、
    仮設入居(2011年7月)から現在(2016年2月)までの4年半の間一人もいなかった。 

--------------------------------------------------
5. 開成の仮設住宅 「団地」 を訪れた人々


------------------------------------------

Index へ戻る