第五十五回:ジェフ・ベック・セッションと私


ネットワークで知り合うと、最初は相手の顔を知らないまま言葉をやりとり することになる。そしてある時、例えば、実際に会ってセッションしましょう なんてことになるわけだ。所謂オフライン・ミーティングというヤツである。

文章から受ける印象と実際にお会いしての印象が非常に近い方もいれば、 かなり離れている方もいて納得するやら驚くやら。ちなみに私は どちらも言われる。すなわち 「実際に会ってみたらメール通りの馬鹿だった」と 「偉そうなメールを書いてるワリには下手じゃねーか」 である。とほほほ。

という悲しい話はさておき、 先日はジェフ・ベックのファンで構成されるメーリングリスト及び掲示板 主催のオフライン・セッションが催された。

ジェフ・ベックとは如何なる人なのか、ということに関しては この辺りを見て頂くことにして詳細な説明は 省くが、要はギター弾きである。

ジェフ・ベックのファンで楽器を弾く、となれば当然それはギターなわけで、 参加者の分布が大きくギタリストに偏っていたことが 今回のセッションの大きな特徴であった。 そしてジェフ・ベックが愛用するストラトキャスター ばかりがずらりと。中でも、 高価なフェンダー社製ジェフ・ベック・モデル・ストラトキャスターが 四本も並んでしまうというのは異常事態と言わざるを得ない。 本来ドラマーである私までもが、なんとなくギターを持っていないと 仲間外れになってしまうのではないかという心配から、 なぜかいそいそとテレキャスターなど持って出かけてしまうのだ。 ってますます分布を偏らせてどうするのだ。俺よ。

個人的に「セッション」という言葉からは「その場での偶発的な音を楽しむ」 ことを連想する。悪く言えば、いいかげん。 原曲を頭に置きつつも、自由なバッキングを試してみたり、異なるイメージの ソロをはめ込んでみたり。そして予期せぬ展開に対して自分なりの返事を返す。 あたかも会話のようだ。

ところが今回、参加者のジェフ・ベックへの思い入れは、 私の予想を大きく上回るのであった。

Star cycle 等、印象的なフレーズが比較的コンパクトにまとまっている ナンバーはもちろん、 Cause we've ended as lovers、Goodbye pork pie hat といった曲の 長尺ソロをきっちりとコピーしているギタリストが続出。

こうなると困るのは、いつも通りいいかげんな態度で臨んでいる私である。 当然ギターソロなんざテキトーにギタリストが飽きるまで弾いて、 終わるところで合図が来るだろ、パターンもまあそれっぽく叩けばいいか、 取り敢えず構成だけは採っとくか、という私の書いた譜面は例えば

| [I] | [A] x 2 | [G] x X | [A] | [I] | [A] | [K] x X | [GK] x X | 4 |

これだけ。[I]はイントロ、[A]はAメロ(テーマ)、[G]はギターソロ、 [K]はキーボードソロ、[GK]はギターとキーボードの掛け合い、最後の4は、 何故かここだけ小節数を示している。そして"x X"は「X回繰り返し」、つまり 上述の「ギタリストが飽きたら合図がくるだろ」である。 ギタリストがコピーフレーズを弾き、決まった小節数で次のパターンへ進むことが 当然、と思っていて合図を出してくれない場合、この譜面では困ることになるわけだ。

ところで、これを譜面と呼んでいいのか。多分まずいだろう。 おたまじゃくしが一匹もいないので、五線紙に書く意味が全くない。 地球環境資源保護の観点から、次回は折込広告の裏にでも書くべきかもしれぬ。

ジェフ・ベックのファンが集まってジェフ・ベックのナンバーを演奏する、という セッションであるから、きっちりとコピーしたフレーズを弾くと言う参加者の 出方は考えてみれば容易に予測できたことだ。しかし、なぜ私は今回のセッションが フリースタイルであると思い込んでいたのだろう。

それはきっと、ジェフ・ベック 本人がフリースタイルであるからだ。彼はライブにおいて、自分のレコードをきっちり コピーしたような演奏などしない。その瞬間閃くままに、フィンガーボードの上で 指を走らせる。インプロビゼーションにおいてその天才性を発揮することこそが、 彼の本質なのではないか。

というのはコピーしなかった言い訳なんですけど。参加者の皆様すみません。

きっちりとコピーして演奏する、というセッションには、自由なセッションとは また違った楽しみがあるのは確かだ。例えば難しいキメをきっちりコピーして ばっちり決まった!く〜っ!みたいな体育会系な(?)喜び、とか。 しかし今回はつらい。だって、どう見たって 主役はギタリストである。そして、そのギタリストがバックミュージシャンとの 会話ではなく「コピー」に重きを置いたら、バックはカラオケになりかねない。 「バックもきっちりコピーしてレコード通りの音を出したら、 それはそれでバッキング冥利に尽きるんじゃないか」と、今ここで冷静に 文章を書きつつ思ったりもするんだけど、実際スティックを持っているときに そう思わない辺りが私らしいといえばらしい。

ううう、こーなったら派手に叩いたるー、うりゃー、、 というのがこれまた私らしいとほほ具合なのだが、 コピーはしない、まじめにバッキングもしない、 さらには去年の来日ライブでのアタマ三曲を演るというだけで 「こりゃもう俺達、"1999 Who Else! Japan Tour Band" を名乗るしか ないでしょう。がっはっは」などとふざけた態度。 こういう輩に天誅が下るのも無理からぬ話である。

ジェフ・ベックという人はドラマーにもうるさかったようで、歴代ドラマーを 紐解いてみると、

  • 名ハードロックドラマーであったコージー・パウエル
  • 90年代にはアシッド・ジャズ・バンドの雄、インコグニートで グルーヴィなビートを叩き出していたリチャード・ベイリー
  • 最近はプロデューサとして名高いがアラン・ホールズワースなどとも 共演経験のある凄腕ナラダ・マイケル・ウォルデン
  • 現在はTOTOで活躍中だが、複雑なジャズ・ロックからポップスまで 幅広いセッションにその名を残すサイモン・フィリップス
  • ドラムという楽器の枠を打ち砕く斬新なアイディアと超人的なテクニックで まさに孤高の存在、テリー・ボジオ
といったきら星のようなリストが出来上がる。

なのに、私、何故かコピーしていないのだなあ。いや、全くやっていない わけではないんだけれど、やっぱりまずギターを聴いちゃうしなあ。

で、ギターはコピーしたかというと、これがまたあまりやっていない。 なんとも不真面目なファンである。コピーすればするほど、フレーズの 魅力もさることながら、タイミングとか閃き具合とか、なんといえばいいのかな、 「センス」という言葉が近いかな、そういうコピーしにくい部分に ノックアウトされてしまうというのもある。 あるいは、技術的にどうこうというよりは、 小学校高学年ぐらいの女の子がジャニーズ系アイドルに対して感じていそうな 「きゃああああステキいいいい」に近い「ファン」なのかもしれぬ。

さて、イメージ・トレーニングの効果というのは私も大きく認めているし 利用もするが、それは技術的な裏付けがあってのことだと思う。 コピーはしていない。しかし聞いてはいるわけで、 彼らのドラミングが非常に中途半端な状態で頭にひっかかっているわけだ。 電光石火のタム回し。複雑な奇数拍フレーズを自在に操る幻惑的なフレーズ…

のイメージ。

それをいきなり具体的な音として再現出来るかと言うと世の中そんなに甘くない。 速いタムのフレーズを始めたはいいが途中で息切れしたり、幻惑的なフレーズに 自分が幻惑されちゃったりとか。 そして、駄目だ、出来ない、となったときに、静かにしていればいいものを、 んじゃこーゆーのはどうかな、あ、これもだめだまた失敗、という泥沼自滅状態で もがく私に「天誅」という言葉はふさわしい。うぐぐぐ。

しかしベック先生の怒りは尋常ではなかった。天誅は終わらない。

一番最後に演った Freeway Jam。途中まで私はドラムを叩いていたのだが、 曲の中盤、ちょっと静かになったところで別のドラマーと入れ替わる。 そしてなぜか手渡されるギター。

ギターという楽器、 指には繊細な感覚が要求される。 ドラムをハードに叩くとやはり手には多少ダメージがあるわけで、その直後に ギターを持つとなると、普段からヘタな私が五割増しでヘタになるわけである。

ってわかってるなら受け取らなきゃいいじゃないかと我ながら思うのだけれど、 これを受け取ってしまうのが天誅の恐ろしさである。ぶるぶる。

さらにその時ひょいと手渡されたギターがスタインバーガーだ。 スタインバーガーのギターというのは、ネックに四角い箱がくっついたような、 必要最小限の容積しか持たぬ妙なギターである。図で書くと

                             +-----------------+
+----------------------------+  +-+    +-+     /
+   |   |   |  |  | | | | ||||  | |    | |    |
+----------------------------+  +-+    +-+     \
                             +-----------------+
こんなギターだ。ってさっぱりわからんか。材質はカーボン・グラファイトで、 木に比べ格段の強度を持つ。発売当時は並べた二つの椅子にスタインバーガーを 橋のように置いて、さあこの上に乗ってみて下さい、という デモンストレーションをしていたらしい。楽器なのかそれは。 慣れれば弾き易いらしいのだけれど、 普段ふつうにボディのあるギターを弾いていていきなりこれを持つと どうにも身体と楽器との距離感(というか)が掴めない。

というわけで、 狙った弦にピックが当たらない。 当たったと思ったら左右の手のタイミングが合わない。 合ったと思ったら押さえているフレットがずれている…

嗚呼。

そして最後の天誅が。なんとこの日の演奏がビデオに撮られていて、 関係者に配布されてしまうと言うのだ。あの演奏が。

ワンスモア。嗚呼。

私は、特に縁起を担いだりはしない。黒い猫が横切っても別に構わないし、 4 という数字を嫌ったりもしない。けれどこの日ばかりはちょっとだけ考えた。

スタジオに着く直前。さあ、入り口まであと数十メートル、という その時。十七年間使い続けていたギターケースのストラップがぶっつりと切れたのだ。 なんとも分かりやすい暗示ではないか。

それにしても十数年来、 私は貴方のファンだったのですよ。確かにあの日、私など足元にも及ばぬ 熱心なファン達がそこには集っていました。しかしちょっと冷た過ぎやしませんか。 さめざめ。と自分のことを棚に上げて泣いてみたりする私。

セッションが終って表に出てみると、外はどしゃぶり。 その日、やはりいいかげんな態度でセッションに臨み玉砕した嫁ともども、 涙雨の中哀愁を振りまきながらとぼとぼと歩…いたのは新宿駅までで、 その後電車の中ではセッションについて激論を交わす変な二人であった。 それだけ楽しかったってことなんでしょう。結局。

セッションから数日後、主催者からメーリングリストに投げられた一通のメール。 「最後の Freeway Jam、途中から音が録音されてませんでした。りおさんのギターも 入ってません」

をっ。思い直したか。ちょっと優しいかも。ジェフ・ベック。


▲ 音楽と私 に戻る

▲ INDEX Page に戻る