君のために出来ること。



 なので、半ば譲歩で宙に呟く。
「そんな、お前に正気を疑われるようなことを口にしたつもりは…無いんだが」
「そうなんだろうな。…だろうな、とは俺も思うよ」
 だけどなぁ、涼介。と、史浩はテーブルのそこらを拭き終えた使い捨てオシボリを、丸めてぽいと灰皿に投げ入れた。
「反抗期もクソも、言っちまえばあいつは万年反抗期みたいなもんだろーが。だいたい啓介をいったい幾つだと思ってるんだ。もうすぐ二十歳になろうかって歳なんだぜ?」
「歳はこの際、関係ない」
「………。反抗期って単語の定義を、一度きっちり話し合った方がいいのかもしれないな」
 一度口を開きかけ、言葉にならず、結局涼介は視線を逸らせてまた黙り込んだ。珍しく言いまかされた気持ちになったからだ。
「まあ、百歩譲って反抗期だとしてだ」
 譲歩が交互に交わされ会話が進む。思えば、この幼馴染みとは昔からこんなノリだ。
「そんなモノが啓介に突然に訪れた理由ってのにも、お前は心当たりがあるわけか?」
 やっと話題が核心をついてきた。やれやれ、長かったなと、涼介はこめかみをもう一度指で揉む。
「結論から先に言うと」
「どこが結びの地点かは微妙だが」
「俺のせいかな、とは」
「───はあ?」
「少し、うるさく構いすぎたのかもしれない。…あいつが四輪に興味持ってくれたのが、嬉しくってつい…。元々啓介は俺に引きずられて、無理に四輪乗り出したようなとこがあるだろう。それを、しょっぱなからあーだこーだと俺も口出ししすぎて…あいつにしたら鬱陶しい部分もあったんじゃないか」
 客観的な意見としてお前、どう思う? と、これも本気で涼介は意見を仰いだつもりだった。なのに、ふと顔を上げると史浩は固まっていた。固まっているくせに目は泳いでいた。
「つまりお前は」
「ああ」
「お前が啓介に構いすぎて」
「……ああ」
「それをあいつが鬱陶しく思い始めて、反抗期に突入したと?」
「有り体に言えば」
 ついに、バタッ、と史浩は机に突っ伏した。とっさに涼介は自分のソーサーを持ち上げ被害を防いだ。
「史浩?」
 おそるおそる声をかける。もしや何かの発作で倒れたのか、どこぞに疾患があるとは聞いた覚えもなかったが、不整脈なんてのは突然起こる場合もあるし、そうだ脳血栓の前触れということもありうるし、脈を取るぐらいはしてみようか。
 何か珍獣に触るぐらいの決意を持って手を伸ばす。しかしその手は、目的物に届く前にピタリと止まった。
「……い、…」
「?」
 うつ伏せでモゴモゴ言われてもよく聞こえない。触るのはとりあえず後回しで(何でだか)、意識はあるらしい史浩の頭に耳を近付ける。
「……れは、…い」
「何だって?」
 だから聞こえんっつーの。
 しかし次の瞬間、物凄い勢いで、史浩は上半身を振り上げ大声で叫んだ。
 というか、怒鳴った。
「───それだけはッ、ナイッ!!」
 わ。
 テーブル挟んで前のめりになっていた分、涼介は後ろにのけぞった。カップは倒れこそしなかったが、今度こそソーサーに上澄みを派手に零した。
「お前、何をどうやったらそんなアホくさい結論に行きつけるんだっ? バカじゃないのか、ああこの単語をお前に使う日が来るとは思わなかったよ、バカじゃ、ないのか!? 目が曇るのも大概にしろ、啓介がお前を鬱陶しがる!? 例え天変地異が来ようとウェルズばりのインベーダーが来襲しようと! その結論だけはあり得、ないッ」
 ぜぇぜぇと息せき切って、史浩はテーブルについた両腕まで震わせた。のけぞった姿勢のまま、涼介はあっけに取られてそれを眺めた。
「……。ウェルズってH・G・ウェルズか。ああ、あの地球の重力上ではいかにも直立不可能そうな、どれが足だか手だかのタコ型の火星人…」
「突っ込むとこがそこかよ、お前は!」
 いや、何となく。失敬、茶化すつもりで口走ったのではないんだけど。
「ということは、お前の個人的意見としては」
「言っとくが、啓介を知ってる大概の人間は同じ意見に行き着くと思うがな!」
 とにかく声を沈めろと、涼介は再び中腰になりかけている史浩を視線で促した。何たってここは普段行き着けの店なんだからして。チームでたまる場所というより、単に史浩と涼介の家の中間地点にある店ってだけだったが、だからこそ余計に街中のファミレスなのだ。
「俺の構いすぎで、啓介が辟易しているのではという考察は間違いだと」
「構われなさすぎて、ガキみたいに拗ねる事態はあり得てもなっ」
「じゃあ、何だってあいつ、ここんとこ俺にそっけないんだ?」
「…弟離れしろよ、お前もいい加減……。俺は、啓介よりお前に問題がある気が段々としてきたぞ…。兄弟ったってな?、別の個体、別の個性で生きてんだから。多少は理解出来ない部分があるってのも、ごく当たり前の状況だろ?」
 史浩の言うことは分からんでもない。だがしかし、彼は肝心の部分を抜かしている、と涼介には思えた。
「史浩。お前まさか俺と啓介が、『ごく当たり前の』兄弟だって前提でこの話を続けるつもりか? じゃあこれも本気で訊くが、お前、心からそう思えるのか?」
 ───あああぁ。
 史浩は嘆息とも呻くとも言いがたい声で、自分の額を押さえこんだ。
「すまん、愚問だったよ…」
 何だか恐ろしく不毛な会話をしている気分になってきた。そしてそれはおそらく涼介だけの見解ではない。
「…ひとまず、この話題は一度ここで打ち切ろうか」
「そうして、もらえると有り難い。…役に立てなくて申し訳なかったが」
 そうでもないさ、と涼介は手を伸ばして、テーブル脇に放り出してあった史浩のキャビンの箱を取り上げた。珍しく自分から1本を勝手に抜いて、これも勝手に史浩のライターで火をつける。
 ちなみにこんな姿は啓介には見せられない。百害あって一利ナシと、普段は散々小言をくれてやっている煙草だったが、あえて言うなら一利はある。科学成分的にも、鎮静効果ってやつは確かにこいつには含まれている。
「確実に一つ、新たに分かった事実はある」
「はぁ?」
「俺が思ってるより、お前は客観的な立場には居なかったってことさ」