− 賤機山城址 −
浅間神社の北に賤機山がありそこにかつて山城があった。
建物は残っていないが雰囲気は感じられる。
[浅間神社]
浅間通りからハイキング気分で賤機山城址を目指す。
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[浅間神社百段]
浅間神社の八千戈神社の脇に賤機山へ登る石造りの階段がある。
大歳御祖神社の脇からゆるやかな坂道を登るルートもある。
[浅間山]
階段を登ってから山道を600mほど登ると開けた山頂に出て、賤機山慰霊碑・戦禍犠牲者平和観音像が建っている。
その隣にはB29の大空襲時にその時墜落したB29の搭乗員の霊を祠る碑が建っている。
慰霊碑の横を抜けて尾根づたいに北上する。
[賤機山城]
尾根伝いの道以外は険しく敵からの攻撃の防御に向いている地形なのだろう。
ところどころに石垣を組んだ場所があったのだろうか。
加工された岩が見られる。
[賤機山城]
空掘のような場所もある。
[賤機山城]
「危険」の看板。
崩れやすい急斜面の地形。
危険な個所が多い。
[賤機山城]
木の根の階段。
崩れやすい場所も多い。
[賤機山城]
ちょっと高台となっていてかつては施設が建てられたのかもしれない場所がある。
小さな平らなスペースがある。
[賤機山城]
もう少し進む。
城があったと思われる高台の脇にハイキングコースが続く。
[賤機山城]
さらに進み城の向こう側を見てみよう。
[賤機山城]
テレビ中継所がある。
中継所を通り過ぎた所から振り返る。
急斜面となっており、こちらからの攻撃もしにくい構造だ。
[賤機山城]
高台へ戻るとスペースがあり、ここが城跡。
この柵内は植物を保護している場所らしい。
ハイカーが休んでいた。
結構広い。
どのような城が建っていたのだろうか。
[賤機山城]
見晴らしは良く、富士が良く見える。
[賤機山城]
結構スペースは広い。
賤機山城のあった場所に石碑がある。
[賤機山城]
説明看板が立っていたので読んでみる。
<賤機山城>
賤機山城は、南北朝の動乱期(14世紀)に、北朝方の今川氏が、安倍西岸の安倍城に本拠を構える南朝方の狩野氏に備えて築き、南北朝期以後は今川館の詰城としての役割を果たしていたと考えられている。
永禄11年(1568)には武田信玄の駿府侵攻によってその支配に降り、さらに天正10年(1582)の徳川家康の駿府入り廃城になった。
城は南北に続く賤機山の主尾根上及びそこから派生する支尾根上に築かれており、その範囲は東西約400m、南北約600m以上にわたる。要所には尾根を横切るかたちで大小の堀切が設けられ、敵の容易な侵入を防いでいる。
城の中心部分は今川氏の歴代の菩提寺である臨済寺をほぼ真下に見下ろす尾根上にあり、三つの主要曲輪から構成されている。この曲輪部分は城の中でも最も標高の高い尾根上にあり(最高約173m)、静岡平野を一望に見渡せる好所にある。
[賤機山城]
空気がクリアでなかったので霞んでいたが富士が良く見える。
−コメント−
浅間神社から山道を1キロ半そこそこで到着。
戦国の世を偲ぶことができる。
浅間神社から往復するとちょっとしたハイキングコースだ。