市電のある風景・京 都

 (11) 河原町線 その2
日本国旗
 
撮影: 1968~1977, 制作: 2017/10 

京都市電河原町線の後編、四条河原町から洛北高校前に到る区間をご紹介します。撮影当時の小生railbusは、京都で真面目なサラリーマン生活を送っていました。休日には、河原町通りへ出掛けて食事や買い物をするのが、ささやかな楽しみでした。

京都市電河原町線河原町三条
Kyoto City Tram at Kawaramachi-Sanjo Sep-1977.

京都市電河原町線路線図   河原町線、後半の路線図を示します。

この区間の開業は以下の通りです。
1924(大正13)年4月
 河原町今出川~河原町丸太町
1926(大正15)年7月
 河原町丸太町~四条河原町
1956(昭和31)年10月
 洛北高校前~河原町今出川


河原町線洛北高校前~七条河原町は、1977(昭和52)年9月30日限りで廃止されました。


京都市電河原町線四条河原町   Shijo-Kawaramachi-Shinkyogoku

四条河原町交差点から北の方向です。カステラのナガサキヤ、その隣が理工学関連図書のオーム社、さらに京都書院、春陽堂、ひさご寿司と続くアーケード街になっています。


(1977/9/23)

京都市電河原町線四条河原町   こちらは阪急ビルから対面の西側を見ています。交差点の南西角は高島屋デパートですが、その一角だけ別の店舗が店を構えていました。尾州屋は、京風そば餅やそばぼうろで有名な和菓子舗です。

京都市電河原町線四条河原町  
四条河原町の電停は正式名が、「四条河原町新京極」です。1963年に四条線の新京極電停が廃止されて、四条河原町に統合された経緯があり、長い名前になりました。尚、このとき河原町線の仏光寺と蛸薬師の電停も廃止されています。→
(1977/9/23)


←四条と三条の間に細長い「イレブン」という11階建てのビルがありました。各フロアー10~15人ほど入ると満席になるお店が入っていて、最上階の喫茶店へ良く行ったことが思い出されます。 
(1969/10/10)
  京都市電河原町線四条河原町

京都市電河原町線四条河原町   四条河原町で夜景を撮影しました。左が阪急ビル、右が高島屋です。
「四条線 その2」で高感度フィルムの試用をご紹介しましたが、ここでは普通に入手可能なコダック社のトライX を使っています。増感現像することで、夜間に走っている電車を撮影することができました。


(1977/9/30)


 
京都市電河原町線河原町三条   Kawaramachi-Sanjo

朝の河原町三条です。商店街も開店前で行き交うクルマも少なく、平日の朝に運転される急行電車が走っています。

背景は京宝会館です。洋画のスカラ座と東宝系の京都宝塚劇場が入っていました。
※2006年に閉鎖されました。


(1972/7/15)

 
 
京都市電河原町線河原町三条   河原町三条の交差点です。KONICAの大きな広告塔はカメラの三条サクラヤ 、その手前に京劇ドリームボウルの看板が見えます。
画面左手、京都バスが出てくる方角へ行くと三条大橋です。
冒頭の写真もここで撮影しました。夜遅くまで賑やかで明るい場所です。


(1977/9/23)

京都市電河原町線河原町三条   Kawaramachi-Sanjo ~
  Kawaramachi-Nijo

河原町三条と二条の間で、広い御池通を渡ります。背景は1895年からの歴史がある京都ホテルで、長州藩屋敷跡に建っています。写真の建物は1961 年に増築した南館です。
※1994年に改築して高層化されましたが、景観論争を巻き起こしました。現、京都ホテルオークラです。

 
京都市電河原町線河原町三条   上掲と同じく、御池通を渡るレトロな500型です。大正時代末期に登場した半鋼製電車で、全長13.5mの大型車です。写真の528号は1928(昭和3)年に造られました。
背景はこの車両とほぼ同じ、1927年に建てられた京都市役所です。政令都市の市役所としては、現役最古を誇っています。現在この場所には、地下鉄東西線の京都市役所前駅がありますが、不思議なことに市電河原町線には市役所前の電停がありませんでした。

(1968/10/20)

京都市電河原町線河原町二条   市役所のすぐ北隣にあるのが、科学機器メーカー島津製作所の旧本社です。こちらも1927年の竣工です。
※本社は移転しましたが、建物は保存され、1階にはお洒落なレストランが開業しています。

(1977/9/23)

京都市電河原町線河原町二条   Kawaramachi-Nijo

河原町二条です。ここから北側は、落ち着いた雰囲気の街並に変わります。

京都市電河原町線河原町二条   河原町二条の北側です。漆喰で固めた商家造りの建物に、土蔵のある風景が印象的でした。


(1972/6/24)
京都市電河原町線府立病院前   Prefectural Hospital

府立病院前です。河原町通と鴨川に挟まれた広い土地に、多くの病棟と医大の校舎があります。背景に煉瓦造りの旧棟と高い煙突が写っています。
病院は1868(明治5)年からの歴史があり、1924(大正13)年に京都府立医科大学の付属病院となりました。

京都市電河原町線府立病院前   府立病院の北側に、欧風木造3階建てのハルミ綜合文化学院がありました。また1階には、前衛絵画の京都現代美術研究所が入居していました。
1972年の撮影なので、行き交う電車にもツーマンカーが多数見られます。
※2003年に文化学院は閉鎖、研究所は西陣へ移転しています。

 
京都市電河原町線河原町今出川   Kawaramachi-Imadegawa

河原町今出川の交差点です。今出川線からの短絡線が、東西両方向から河原町線に合流していました。
右端、富士銀行(現りそな)の隣で、京都中央信用金庫が店舗を建設中でした。

 
京都市電河原町線葵橋東詰   Aoibashi-East

葵橋東詰です。賀茂川を渡った先に古風な石造りの建物がありました。京都家庭裁判所の旧庁舎です。車寄せの前にある樹木との配置が絶妙でした。
※庁舎は1980年3月に建て替えられましたが、敷地にある三井家別邸(長官宿舎)が保存されています。



家庭裁判所の奥に、糺ノ森(ただすのもり)が広がっています。その一番北に下鴨神社があります。↓
京都市電河原町線葵橋東詰 
 京都市電河原町線糺ノ森
Tadasu no Mori
  京都市電河原町線糺ノ森
糺ノ森電停でのひとコマです。
 京都市電河原町線下鴨神社前   Shimogamo Shrine

下鴨神社の電停付近は、戦後に開けた住宅地です。路地裏から顔を出す市電を狙ってみました。このような写真をもっと撮影すべきだったと、今になって後悔しています。


(1972/7/2)

 
References:
京都市交通局「さよなら京都市電」毎日写真ニューサービス, 1978.9.30
鉄道ピクトリアル増刊356「京都市電訣別号」1978.12.10
https://www.fortunegarden.com/restaurant/#first-resevation-tab02
http://www.h.kpu-m.ac.jp/


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