市電のある風景・京 都

 (10) 河原町線 その1
日本国旗
 
撮影: 1968~1977, 制作: 2017/9 

京都市電の河原町線を、2回に分けてご紹介します。1回目は京都駅前から四条河原町に到る区間です。河原町線は、京都駅に降り立った観光客が繁華街の四条河原町へ行くのに、大変便利な路線でした。

京都市電河原町線七条河原町
Kyoto City Tram at Nanajo-Kawaramachi,  Sep-1977.

京都市電河原町線路線図
河原町線は1924(大正13)年、今出川寺町~河原町丸太町の開業に始まり、順次南へ路線が延長されてきました。
これは京都市の都市計画事業の一環で、主要道路の拡幅と市電の敷設がセットになっています。歴史的には京都
市に買収された旧京都電気鉄道の木屋町線があり、京都駅前に到る交通を担っていましたが、河原町線の開通に
伴って廃止されています。河原町今出川~京都駅前が全通したのは、1929(昭和4)年のことです。
尚、今出川通
以北は戦後になってから、1956(昭和31)年に延伸されました。
※四条河原町以北の地図は次回に掲載します。


京都市電河原町線京都駅前   Kyoto Station

京都駅前です。駅前広場には何箇所も市電の乗り場があり、東側から河原町線が発着していました。


(1968/10/19)

京都市電河原町線京都駅前   上掲のすぐ東側、京都駅前を出発する[5]系統です。
この系統は、洛北高校前までの河原町線全区間を走り、北大路へ入ります。以前は千本線の四条大宮行でしたが、同線の廃止後は烏丸線経由の京都駅行循環線に、さらに西大路四条行へと経路が変遷しています。


(1977/9/18)

京都市電河原町線塩小路高倉   Shiokoji-Takakura

塩小路高倉の交差点です。
かつては伏見線が、ここから右方向へ分岐していました。
※2階建ての住宅が軒を並べていますが、現在その多くが空き地になっています。


(1972/7/2)

京都市電河原町線塩小路   Shiokoji-Takakura ~
  Nanajo-Kawaramachi

塩小路高倉から七条河原町方面へ、カーブする区間です。落ち着いた家並みが続いています。途中の2ヶ所に高瀬川を渡る小さな橋がありました。
京都市電河原町線塩小路   上掲の場所で南側を振り向いています。直進する細い道路が見えますが、これが河原町通で、大型車はこの先の国鉄線路を越えることができませんでした。右が塩小路通りで、京都駅方面になります。
※現在は拡幅され、背景の商店も含めて写っているもの全てが道路になっています。河原町線の沿線で最も大きく変化した場所で、時の流れに無情を感じます。

京都市電河原町線七条河原町   Nanajo-Kawaramachi

七条河原町の交差点です。北から京都駅行の[5]系統がやってきました。
右へ分岐するのは七条線で、三十三間堂方面へ向かいます。


(1977/9/18)

 
京都市電河原町線七条河原町   七条河原町を北へ向かう[15]系統です。この系統は、今出川通から烏丸通を経由する烏丸車庫行きです。1974年の烏丸線廃止まで走っていました。

写真の手前、北西角に短絡線があったことを示す石畳の遺構が残されていました。河原町線の七条~京都駅が開通した時、一時的に東洞院通と高倉通を経由していた記録がありますので、その痕跡かも知れません。


(1972/7/2)

京都市電河原町線七条河原町   北東角には3階建てのレトロな肉屋さんがありました。左には銭湯とと思われる煙突も見えます。このあたりは商店が多く、活気ある街でした。
4枚折戸の700型が良い雰囲気を伝えています。
京都市電河原町線七条河原町   Nanajo-Kawaramachi ~
  Kawaramachi-Shomen

七条河原町の北側です。酒亭と書かれた料理屋や質屋さんなどが見えます。上掲の写真より5年ほど経過していますが、市電のあった時代はあまり雰囲気が変わっていません。
 

(1977/9/18)
京都市電河原町線河原町正面   Kawaramachi-Shomen

河原町正面です。東本願寺の別邸である枳殻邸(きこくてい)を背景に、新しく購入した24mmレンズで撮影しています。標準レンズとは一味違った作風になりました。
※枳殻とは、からたちのことです。

(1972/7/2)

 

京都市電河原町線河原町正面
枳殻邸の土塀を入れて、電車を待つ人々を撮影しました。
  京都市電河原町線河原町正面
左の人達の乗降風景です。
 
京都市電河原町線河原町正面   京都市電河原町線河原町正面
「河原町正面」とは不思議な名前ですが、電停から東へ延びる正面通がありますので、道路名を重ねる原則に従っています。正面通は、方広寺大仏殿の正面に当たることから名づけられました。
京都市電河原町線河原町五条
Kawaramachi-Gojo
1600型のワンマンカーが、広い五条通を渡ります。車窓から、鴨川に架かる五条大橋と、その奥の東山連峰を望むことができます。目を凝らすと、かすかに八坂の五重塔が見えます。
京都市電河原町線河原町五条  

河原町五条交差点の北東角です。2階建ての建物が、某政党の後援会事務所になっていました。


(1972/7/2)

 
京都市電河原町線河原町五条   上掲と同じ場所で、5年後に撮影しました。角地は、8階建てのビルに生まれ変わっていました。


(1977/9/18)

 
京都市電河原町線河原町五条   Kawaramachi-Gojo ~
  Kawaramachi-Matsubara

五条から松原方面へ少し上がった所です。寺町通が斜めに交差しています。コカコーラとビクターの大きな広告が目を引いていました。
※画材を売るお店は今も健在ですが、新しく出来たビルの1階に移っています。

(1972/7/2)

 
京都市電河原町線河原町松原   Kawaramachi-Matsubara

河原町松原です。
※現在、ほとんどのビルが建て替えられたり、外装が変わったりしています。手前の土蔵があった場所は、空き地になっています。

京都市電河原町線河原町松原   Kawaramachi-Matsubara ~
Shijo-Kawaramachi-Shinkyogoku

もうまもなく、四条河原町です。ここまで来ると、大きな建物が目立つようになります。幸福相銀の奥に、サンヨーの広告塔と、焼き肉店「南大門」の「肉ビル」が見えます。
※河原町通は変貌が激しく、これらのビルはすべて過去の風景となっています。
京都市電河原町線河原町四条河原町   Shijo-Kawaramachi-Shinkyogoku

四条河原町交差点南側の電停です。ここは京都一の繁華街で、京都駅へ向かう電車はいつも混雑していました。


(1977/9/23)

京都市電河原町線河原町四条河原町   四条河原町の交差点を東南角から見ています。
ここが始発となる[13]系統が、四条通を横切っています。すれ違うバスは、カマボコの愛称がある西日本車体工業製の車体を架装した、三菱のMR410 です。 皆、なつかしいですね。

この先、四条河原町から北の区間は、次回にご紹介します。

References:
京都市交通局「さよなら京都市電」毎日写真ニューサービス, 1978.9.30
鉄道ピクトリアル増刊356「京都市電訣別号」1978.12.10


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